五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高記念館は観光案内の対象ではないようだ

2012-04-18 04:00:28 | 五高の歴史

昨日の火曜日には記念館に出勤した。先の観光案内ボランテイアの班別研修で「五高記念館を見学に来ませんか?火曜日には正午を中心に五時間はいます」と答えて、「来る時は電話連絡しますのでよろしく」とあったので、例の如く宛てにしないで心待ちにはしていたが全然なしのつぶて、観光ボランテイアの人は五高記念館と言えばやはり敷居が高く感じているようで、記念館は観光案内対象ではないようだ。

先頃には案内してくれと2~3名のグループから指名で頼まれたことがあったが、観光案内の実績と交通費の関係を考え「ボランテイア協会事務所の方に申請書を出しておいて下さい」と頼んだことがあった。その日になっても連絡がないので確認したところ案内は会長と副会長にお願いしましたとの返事、少々ムカついてこんなことでも俺には案内させないつもりかと腹立たしく感じたもので、これも観光案内ボランテイアは敬遠したいと考えた理由の一つであった。

不満を言っても仕方がないので昨日の状態を述べてみたい。新入生に「五高と近代日本」というテーマで五高は明治20年から昭和25年まで旧教育制度に於ける高等教育機関の一つでこの授業を通じて日本全体や熊本の歴史を絡ませて五高が近代日本に果たした役割を講義するということで新入生の教養講座が行われている。この授業を聴講する学生は多く、特に女の子がより興味を持っているようだった。五高記念館の展示室を見学した上で記念館スタンプをおしている。

復原教室を眺めている子が三、三、五、五とあり顔を出して、「どこか興味があるところがありましたか」と尋ねる。ほとんどの子が記念館の黒板に未だに「坂の上の雲」の第一予備門の授業の風景でロケがあった当時の板書を記念としてそのままにしているがそのあたりを説明してやると皆興味津津で2階の展示室のあそこにあったでしょうと説明する。ついでに天井の隙間の様子、空調になっていること等続ける。

記念館スタンプを押す用紙に記念館を見ての感想を書くように指示してある。文学部の学生がほとんどで池田勇人、佐藤栄作両総理大臣は五高の大正11年の卒業生で両人とも戦後日本の復興を行なった吉田茂首相の子分で吉田学校と言われていたその優等生だったと教える。さすが先ごろ入試のための勉強をしてきた連中であるし、池田、佐藤、両氏は総理大臣であったことはほとんどの子が知っていた。俺が話したようなことを中心に感想を書くと大分感謝してもらったことはよかった。男の子については俺などどこかの爺いがいるくらいしか考えていなく話をしようと思ってもとりつかなく無視してしまうのはどうしたものだろうか。

写真は中門付近の様子

二時三〇分も過ぎようとしていた時大分年配の男性が、ここの広さはどれくらいですか、玄関に板で作った足踏み台があるのはおかしいとか、サインカーブとはなんですかとか、正門から中門まで腹いっぱい土地の余裕を採ってありますね?とか、いろいろ質問した人があった。ちょうど事務室の方で作ってもらった記念館宣伝のための市民研究員の名刺等を整理している時であったので2階の第2展示室に案内して展開配置図から昔の五高について説明してやった。この構内に散歩しに来た時、ここはどうしてだろうかと思っていたところを次々に質問して、その度に詳しく説明してやったところとても喜んで下さった。「今日先生に会えたことはとてもよかった」と大変感謝されたことは、記念館に関して調査している者としての冥利に尽きるものであると喜びであった。