五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

夏目漱石の尋常中学校参観復命書

2012-04-08 05:41:08 | 五高の歴史

夏目漱石は五高の英語教師として明治29年4月赴任した。これは翌年の明治30年(1897)11月8日から11月11日までの4日間にわたって、佐賀県尋常中学校、福岡県修猷館、久留米明善黌、柳川伝習館を訪問し授業を参観した。写真の参観報告書はその時の出張復命書である。各中学校とも五高への有力な進学校であったためか各中学校の授業の様子について23ページにわたって几帳面に綴られている。漱石もこの報告について大分注意を払ったように思われ明らかに出来のよいクラスのことは教師の実名を上げて報告し、また出来の悪いクラスについては教師名を某氏また失名とするなどの心配りも見せている。漱石の五高における在職期間は7年であるが、(明治33年6月には英国に留学した)教壇に立ったのは約4年である。五高時代の漱石関係の資料は極めて少なiい。

五高の教授連は佐賀中学、長崎の尋常中学、そして福岡柳川等の各尋常中学校を訪問し教員の授業態度、教科書を批判、研究している。それらの学校は五高への進学校であったからその授業を批判研究しているのである。今まで長尾槇太郎教授、遠山參郎教授の復命書を掲げたが今日から漱石の復命書を掲げてみたい。これも長尾先生の報告書と同じく長いので今朝はその一日目の佐賀中学の分を掲げる、

佐賀県尋常中学参観報告書  十一月八日
 授業来観時数三時間 十時より一時間半に到る(午前八時より講堂ニ於て海軍少佐長井氏の海軍に関する講話あり此際依頼により英語に関して一場の談話をなせり 午後一時半より同校英語教師と会して教授上の質疑をなし又之に関して卑見を述ぶ三時半に了る故を以て一日を校中に消したりとも此三時間以上の授業を観る事を得ず  参観級四年、三年、二年

四年級
課目、訳読 
用書、マコーレー著論文
教師、専門学校卒業生某氏 生徒人数、四十名許
教授法、生徒をして敉致を音読せしめ而る後之を翻訳せしむ夫より教師再び之を訤ず  傾向、教師生徒共に単に意味を解する事ののみをかめて発音法等に注意せざるが如し又単語熟語等の暗誦を試しざるに似たり用書困難にして以に及ぶの餘邡なきか将た次点ニ於て冷汏なるか 

三年級
課目、訳読
用書 文部省会話読本
教師 高等学校卒業生某氏 生徒四十名内外
教授法前に同じ 傾向 此級に在っては四年級より少しは発音等に注意するが如しと雖も単に教師のみに止まり生徒は依然として冷淡なるが如し 且会話読本を用いるも関せず其使用法は毫も会話読本の用をなさざるか如し尤も他に会話の時間ありて之を補うためか

二年級
課目 会話作文文法
用書缺
教師平山氏(永く洋人について学びたる人) 生徒人員五十名許
教授法、生徒をして前回の英訳一 二句を暗誦せしめ指名の上之を教壇に上らしめ他の生徒に対して暗誦せる句を高声に誦ひしむ(以上会話)次に教師暗誦せる英語の続き一二句を日本語にて与え生徒をして之を英訳せしむ后終わって生徒の英訳を黒板にて正し(以上作文)而る後以上正したる英訳に就きて文法上の質問をなし又此方面に向ふを新知識を授く(以上文法) 傾向 教師は頗る正誤的に英語の知識を注せんと企て生徒の冷淡なるも関せず着々正誤的に進歩するの見込あり且一時間内にわたって会話作文文法ノ三科ヲ教授するは教科を融合して以て一丸となすの便利あり教方法に因りて此師の授業を受けば少なくとも此諸科に対する知識は高等学校入学試験に応ずるに充分ならん

昔のものだからだろうか片仮名で書いてあるので転載するのに少々困難をきたしている、