五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

クラウダーの最後の授業

2012-04-29 05:20:54 | 五高の歴史

昭和16年12月8日の五高におけるクラウダーの授業の様子について小山紘先生の「五高その世界」より転載する。

「大本営発表=帝国陸海軍は八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れリ」・・・・・昭和十六年十二月八日、新聞、ラジオは歴史的な太平洋戦争の開戦を伝えた。

真珠湾奇襲、マレー上陸、シンガポール爆撃・・・次々と発表される「皇軍の大戦果」・・・ラジオから流れる上ずったアナウンサーの声。それは、政府の東亜新秩序建設のかけ声に疑問を抱かず、米、英、中国、オランダのいわゆる「ABCDライン」包囲網の締めつけにイライラしていた国民には、うっぷんを一気に晴らしてくれるように聞こえたであろう。

その日の午前、岡田安雄が受けた授業は、米人講師アール・エッチ・クラウダーの英会話だった。クラウダーは,二十代の新進気鋭の独身教師。日米開戦のニュースを聞いていなかったのか、いつものとおるり授業を始めようとした。その時、一人の学生が立ち上がり「日本が真珠攻撃で大戦果を上げたことをどう思うか」と尋ねた.クラウダーの顔色が変わった。「敵国人になったクラウダー先生を迎える気持ちは複雑だったが、私はこの級友の質問が先生に対して残酷すぎるような気がした。他の友達もそうだったと思う」と岡田。

クラウダーの英会話授業は、当時イギリス式発音で学んでいた学生にとって新鮮だった。授業は、学生にテーマを出させ、それを話題に会話を広げていくという進め方だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪中略≫

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。しかし、クラウダーは、開戦翌日から五高に姿を見せなくなる。授業終了後に、同僚和田勇一らの目の前で憲兵隊に連行された。二度と五高に帰ってこなかった。熊本県警察史には「開戦の日に五高外人教師を防諜容疑で検挙した」という短い記述がある。その後のクラウダーの消息は、同僚にもわからない。