昨日の続きで大正時代そして昭和になってから五高の外国人として採用され教壇に立った教師を掲げる
Catherine G, Woodrow 英 大正3,8,31~4,6,30
Wilhelm Gundert 独 大正4,8,1~9,7,31;T8,7,1~9,7,31
William N, Porter 英 大正5,8,1~14,3,41
Franz Huebotter 独 大正10,4,1~14,3,31
Georg H, Doll 独 大正14,11~S昭和9,3,31
D,S,Spencer 英 大正14,2~昭和11,12
L,L,G Miller 英 大正9,22~昭和3,3,31
Leo Meyer 英 大正 11,15~昭和3,3,31
J,G,de G,Martye 英 昭和3,4,1~12,3,31
Friedrich Greil 独 昭和9,4~12
Jame R Baird 英 昭和12,9,1~14,7,31
Robert H, Crowder 英 昭和14,9,1~18,7,31 合計 29名
昭和になると外国語は必要ないと云う日本政府の思想が浸透してか特に英語を教える外国人教官は全くいなくなった。明治の野村校長時代の西洋に追いつけ、追い越せという思想で原書を使用していた時代に比べると外国人雇用に雲泥の差が見られる。この名簿には、特に昭和の時代では日本人の英語教師は多いが本場仕込みとは大分ちがったことだろう。この辺にも英文の解釈文法等を重視し、会話をお留守にした明治の教育精神が窺える感じである。
特に最後の外国人教師Robert H,Crowderは先の2010年ごろアメリカ ロスアンジェルスで百歳とかで亡くなられたそうであるが この先生については色々調査もしたので明日はクラウダーについて眺めてみたい現代と違い英語勉強も、留学も簡単ではなかった事だろうから一担留学でもすれば外国の知識の吸収は大なるものがあったに違いない