熊本民謡おてもやんと五高
十七日の火曜日記念館の資料を読んでいたところ宗像十郎という生徒のところに以下のような文書が見つかりましたので熊本民謡おてもやんと五高との関係を知る資料かと思い調べました。ところで現在熊日で「五高と近代日本」という講座をされています小山紘先生の著書「五高とその世界」には②のように書いてありました。このように五高は熊本民謡おてもやんにもその昔には関係していたようである。明治26年といえば五高が出来て七年目で、まだ第五高等中学校の時代です。春日人おてもさんの皆様にもこのことは知らせてやろう。
①五高の卒業生資料から
宗像十郎 明治26年2部工卒
肥後方言俚謡の「おてもやん」の元祖というべき深い縁故を持っている人である。明治25年ころには「おてもやん」は市井の間には殆ど口にするものはなかったが、氏はこの俗謡を肥後特有の方言で学校で歌いだし、やがてこれが龍南の学園を風靡し、今日の隆盛を見るに至った。
八幡製鉄の大功労者、創設当時の優秀な技術者
②まる小山紘著「五高とその世界」から
おてもやん広めた宗像
「おてもやん、あんたこのごろ嫁入りしたではないかいな」――当時は熊本県内でほとんど歌われなかった民謡「おてもやん」が学内で大流行した。広めたのは、宗像十郎「明治26年卒熊本市出身」どこで覚えたのか、身振り手振りで歌い始め、ちゃめきのある五高生の人気をさらった。技術マンで、八幡製鉄所創立当時に設計の大役を担い、みごと設備を完成させた。その後勅任技師として活躍、製鉄業界発展に貢献した。
熊本市の繁華街に設置されているおてもやん像