昭和十七年の夏休みも終わり九月からは土・日の平常の阿蘇道場行きに帰った。
九月の合宿は東光会の合宿が行われていることである。ここで五高東光会について解説する。
五高東光会は大正12年4月に五高社会思想研究会に対抗して設立されたもので、校外の立田山中腹の民家で産声を上げた。メンバーは紋付、袴、羽織をはおり杉下駄でいかにも壮士風であった。主なるメンバーは江藤夏雄(T14卒維新の政治家江藤新平の孫)納富貞雄(T14卒)星子敏雄(T14卒 熊本市長)平尾正民(T14卒)、中村寧(T15卒)広瀬正雄(T15卒 代議士)園佛末吉(同 大牟田市長)等が中心で東光会とはインドの詩「光は東方より」から採ったものである。
綱領
○本会は日本の精神の神髄を体得し東洋人としての自覚を把握し以って社会人としてのその本然の生活に生きんことを期す。
○義に当たりては一身を必ず履み行ふ可き事
○会員相互の間毫釐の妥協腹顧みず蔵ある可からざる
この五高東光会は、思想としては徳富蘇峰、中野正剛の考えを踏襲し昭和6年に勃発した満州事変以降、急速に勃興したファシズムの世相に反映して、次第に五高生の精神的な「支柱」となった。昭和25年の五高の閉校まで存続した。東光会とはマルキシズム華やかなる頃これに対抗して「光は東方より」を叫んで結成された東洋研究団体で国粋主義傾向を表して活動した会である。この後マルキシズムは没落していったが、東光会は活発になり活躍していった