昭和十七年の年末、冬休みの合宿、この合宿はサークルか、参加者の身分は判らないが総員十四名だことで、二十五日の分を見れば自己紹介を行うとあるので道場合宿の希望者を募ったのか?飯島教授の出席は道場の責任者と言うことで合点が行くが、二十六日には校長先生来場とある十六名のために講話を行うための来場であったのか?そのうちに暇を見つけて阿蘇道場の道場行きの出来る限りの人数でも調べてみたい。
十二月二十四日 水曜 曇天
昭和十七年度の授業も本日を以って終った。余りにも早かった一年を反省せんものと試験終了後直ち来場す。総員十四名、十二月下旬としては暖かい五岳は遂に全貌を見せず、今日より五日間、此の冬休みの合宿を最も充実させる事を誓う。
十二月二十五日
起床七時、まず一時間失敗する、今日も案外暖かいが、冬曇の天は高岳を圧している。雲の山肌が、何か清々しい心地を誘う。午前九時半から道路普請を行う。気温さがる、昼食後小憩、三時半まで続行す。四時飯島先生来場する。一風呂浴びて坐禅す心甚だすむ、夕食後飯島先生、高橋さんを中心に、来場者十六名、自己紹介の後、神・霊に就いて語る。十時安らかに寝に就く、小雨淋しく降り続く、
一時間失敗すると記載してあるが起床が一時間遅れたということだろうか?
十二月二十六日
残月淡々兜岩にかかりて、一同の緊張、大阿蘇の連山を圧するが如し、国旗掲揚前に坐す。十時より禅坐
三十分程して校長先生来場。一時間余にわたって講話あり、「大智禅師十二時法話」について,心動かさる、又不解の点多々あり。理二甲一の井上氏来場。有田氏、荒巻氏退場。午后町営温泉に掃除に行く。帰りしなに入浴。帰り道路は心軽かなりき。
添野校長は禅の主導者大家であり禅を実践している。
十二月二十七日
朝、清掃後坐禅、国旗掲揚、外平常通り、午前の作業は、一昨日の道普請の跡にバラスを敷くこと。午後は各自(三人組)町に下り、作業をなす。二人道場に止まり餅つきを加勢す。浅井先生来場、内牧町内画家来場、夜、坐禅を十時十分に終る。坐禅は主として午後の作業の感想を各自が語って九時三十分に至った。
町民との親交は楽しく行われているようだ
十二月二十八日
朝起きてみると非常な寒さ、布団をけって起床、作業は道路普請、尚二名寄贈された絵を取りに行く。本日合宿は昼迄にて終了、大半は退場、残るは飯島先生と小生等二名、何か淋しい様な気がする