九月二十八日 月曜 晴
今日より三十日迄東光会合宿を行う。道場着九時半、直ちに掃除、終了後国旗掲揚、御詔勅奉読を行う。十時半より「啓発録」の輪読を行う。人員十名なりしも先輩京大法科小宮さん帰らる。夕食前数名兜岩にのぼる。
浅井先生来られる。夕食後九時半まで浅尾江斉先生著「剣術筆記」の輪読を行う。浅井先生も列席され種々御高見を拝聴す。大和屋兄来り輪読に加わる。都合全員十名なり。其の後十時半まで坐禅せり。かくて合宿第一日は同志間の満々たる鋭気の中に終わった。
九月二十九日 火曜 曇後雨
五時半起床、掃除、国旗掲揚、坐禅、朝食 八時半から十時まで真木、和泉、守「楠子論」の輪読を行う。十時過ぎ校長お見えになり、十時半より十二時までお話を伺う。昼食後、校長並びに浅井先生と学校教育のことについて談ず。小松先輩来らる。二時半より四時まで作業、六時夕食、七時四十分より吉田松陰先生「評天下非一人天下説」を輪読九時半に終わる。たまたま十時前大正十三年卒業の先輩相良次郎氏(府立高校教授)来られ先輩を囲んで十二時まで学校の様子から教育問題について論ず。
今日の合宿生活を通じての感想を次に記す。
何時の時代でも必要とされるのは人物である。況や今の時代に於いて最も必要とせられ、最も沸低しているものは人物に論はない。政治界にしても、実業界にしても、教育界にしても、人物なしの声、今ほど高い時はない。
而して端的に云えば、今の学校教育は人物を作る制度ではなく技術家を作る制度である。それ故かかる道場の生活が求められるわけであり、吾には東光会に於いて互いに切磋するわけである。人物というものはそう一朝一夕に出来るものではなく、又単に書物を通して智識を得ることによってのみでも出来るものでもない。
智識をも真に生かしうる境涯に達することが必要である。故に一度人物たらんと志したなら、毎日毎日我が身を顧みて、過ちを正し、先哲の遺文伝記に依り我身心を正してゆかなくてはならぬ。即ち二十四時間中のことであるのだ。
然して我等はかかることにより人物境涯に達しうると思う。この意味で道場の生活は重大な意義を有するもので平生の生活に於いてややもするとたわみ勝ちな我々は、少なくとも道場の生活では境涯を練ることを常に心掛けそこに於いて行った生活を日常生活にも持続し書くもゆくうちに、次第に境涯も練れて魂の修練も出来、人に及ぼす影響も大きくなり死しても後世の人をして発奮せしめうると思う。かくしてこそ我皇国は萬代にわたって不易なるものと信ず。
九月三十日 水曜 曇
阿蘇登山予定なりしも、雨になったため不可能、午前炳丹録をやり、之を最後として本合宿を閉づ。
思うに友は試験終了とて家の父母の許にかえり、又雲仙に、島原に、遊びに出かけるとき、吾等同志、試験の疲労を休めることなくかく合宿鍛錬を行う、実に意義あることと信ず。校長先生「生活即修養」二六時中無休なり、平常心是佛ならざる可からざることなり、
青年は恐らく一瞬の休みなく誅の道を求めて送進せざるの一のからす。阿蘇はあくまで堂々と吾等の眼前に迫る。真剣に楽しく阿蘇の合宿を味わいつつ帰途につかんとす。「よし明日よりまた頑張るぞ」