五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

阿蘇道場日誌から

2012-10-06 04:30:40 | 五高の歴史

今朝は土・日のいつもの週末の研修・合宿の様子、

九月五日 土曜 曇後雨
報国団(文化部幹事・鍛錬部幹事)二十一名、総務幹事九名、立田口后二時一分の汽車にて内牧道場に向った。
内牧駅から道場に行く途中、夕立に遭う。夕食後、高森先生が来られた。夕食後各部幹事よりインターハイ出場の時の状況、部に対する抱負等について報告、並びに意見発表あり。高森先生の御話によって全体の話を結んだ。
十一時就寝、
柔道部幹事大野氏は関節炎のため内牧駅より帰熊

解説)大野熊雄(1888~1981)
熊本市出身 昭和2年1部英法科卒 弁護士 日本武道会の最高権威者 
京大卒後大阪高校、大阪外語講師 毎日新聞記者、東亜同文書院教授、
戦後は京都大学学生監・学生主事等を務める。剣道9段、柔道7段
居合道10段 水泳9段 晩年は映画の殺陣指導 
「日本名刀伝」「宮本武蔵論」の著書あり

九月六日 日曜 晴
五時半起床、朝食終わりて、八時半頃、仕事を始む。内牧駅に此の前の大風の時倒れた煙突の代わりを持りに行った者四名、其の外は畠開きを行う。十一時半仕事を終わりて晝食をすまし、一時頃帰熊の為、内牧駅に向う。