五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

阿蘇道場日誌から

2012-10-15 05:51:06 | 五高の歴史

昭和十七年十一月も最終の週になってしまった、阿蘇道場行きはクラスの研修等と例の如く行われている。

しかし太平洋戦争も一年過ぎたが五高の構内までにはまだ余り影響は無いようだ。世情では十月二十一日には激烈な学生狩りが行われている。習学寮においては電気スタンドの使用禁止、禁煙について討議が行われているが、現在ではタバコは肺がんの元といわれ、敬遠されているが当時の学生はタバコをふかす事が、格好がいいと思っていたようである?。

十一月二十一日 土曜日 曇模様 一年有志
四時半着、飯島外通学又寮生の一団十二名、予期に反して少数。行事常の如し、夕刻になると共に冷気漸く加わり夜寒し。坐禅は皆とうとう吹出して了って甚だ愉快なものであった。そのあと火鉢をとりまいて駄弁る。目的が寮生と寮外生との積極的理解にあるだけに、――――特に寮外生にとって~~稍失望の感ふきを得ない。夜月清し、十四日の月か。月下の阿蘇はまた趣のあるものであった。露営演習の帰校後れし為め二年 平松、島、福本は夕食前七時頃道場着、十時就寝

十一月二十二日 日曜日、天気晴朗 
六時起床行事常の如し、朝の戸外の行事七時頃終わりし頃太陽東の外輪山の端上り上るのを見る。朝食後二年三名は小島町長、内牧温泉研究所などへ収穫の唐芋を届ける。残り十三名は坂道の普請、秋晴にて絶好の日和、一年八名は握り飯など用意のため持参し昼食后出発、登山、高森線の方へ下山する予定、他は二重の峠を経て帰熊するもの一、十三時五八分内牧駅から帰熊するもの六、飯塚独り残る。快晴 后四時半内牧着一行理二の四組二十八名、五時まで道場着。常の如き行事を終わり六時半夕食、後雑談。九時半より静座、十時過ぎ就寝、

十一月二十三日  快晴 前六時の気温 室外負一、〇  室内四、〇
朝の行事常の如し、朝食後の作業は前日演習の疲れあるを以って取り止めその代わりに九時に道場を出て内牧校にて南原博士の講話を聴く(前夜、池田火山研究所に同氏を訪ひ懇願して快諾を得られたもの)あそ、しらぬひ、ひのくに、などの語源に関する研究より火山温泉活動の状況と同研究所の活動の状況とを面白く拝聴。十一時半終る。直ちに帰場昼食。后一時退場、帰途屋根修理材料の残り十四個を五高まで運ぶ。(池田誌記)