五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

同盟休校事件以後の様子

2013-10-02 04:37:03 | 雑件
五高の同盟休校事件は昭和七年三月二日 総務部が学校当局の許可なくして謄写版印刷「雑報」第一号を全生徒に配布したことに端を発したものである。

総務委員服部弘文(文科二年甲)丸田国雄(理科二年甲)の両名が教務室で強制的に武藤校長、中山教務主任、白川生徒監から退学届けを提出させられた。この学校当局の強権発動に対し二年生が妙体寺で臨時生徒大会を開催して代表数名が、校長に対し退学理由を尋ね生徒に其の報告を行った。三日午前総務委員はクラス代表等十名を選び服部、丸田の両者の退学取消を嘆願したが入れられず二年生三百余名は「両君の復学が許されないときは四日から開始される試験をボイコットする」と絶叫して習学寮に籠城したものである。

盟休事件を出発点として文化団体の誕生が多くなった。昭和八年には「座禅を根底とした人格の淘汰を期する」と蒼龍社が生まれ九年山本浩の発起で吟詠会は活動始めている。

創立以来八年幾多の荊棘の道を歩いてきた童話会も九年になり熊本児童の支持を集めて父兄たちの理解を集めて研究家、教育家の正しい認識により五高童話研究会が成立し九州童話会においても押しも押されもせぬ地位を確立している。

理科では科学同好会が創立され諸教授の熱心な指導のもとで活動を続け同年には書道洗心会、ついでに哲学研究会も生まれている。映画同好会は映画の勃興期により500に上る会員が

参加し毎学期1~2回常設館で名画鑑賞会を開いた。例年記念祭には映画の昨夜も催している。童話会も九年になり熊本児童の支持を集めて父兄たちの理解を集めて研究家、教育家の正

しい認識により五高童話研究会が成立し九州童話会においても押しも押されもせぬ地位を確立している。これは大正十五年八波則吉教授の指導のもとに設立されたもので、市内を中心と

した小学校、幼稚園の巡回童話も行なっている。児童の情操教育への方法論を検討し実践している。