昭和十二年十月、五高は開校五十周年記念式を盛大に開催している。同時に五高五十年史が編纂され、一方習学寮に関しては習学寮史が編集・発行されている。
今朝からは暫らく習学寮史の中の寮生日誌を覗き寮生の心理状態を検討してみたい
寮生は漸く個人主義に傾き、自己の部屋という殻に閉じこもり、人間の集合体としての切磋琢磨の実を上げるという寮生活の意義は空文化になってしまった如くであった。・・これは寮の構造に起因するものである。
崎野総代の文から
「乱雑の陣型とでも云いたい状態をとつて進んでいる。自分も五高生だが、且つ又遅刻したのだが之が五高生の本領かと思う時唖然たらざるを得なかった。且つ自己に対しても、殆どすべての五高生が遅刻したのではなかろうか、慙愧、」
「據らしむべし知らしむべからず。・・・然しあくまでも理想は知らしむべく據らしむべく行はしむべく起たしむべしでなければならぬ。新聞!抱負あり定見あり洞察力あり
世道人心を率い世論(大いなる、一時的ならざる、附和雷同ならぬ)を構成し得る新聞がのぞましい。」
十一月十四日の熊日紙上五高を塾愛する一市民の投書から「龍南の沈滞叫ばるヽ折から、その中心生命たる習学寮々生諸君、自覚して此れ弊風を打破されたし。最近風儀よろしからず。先日の提灯行列の状態は何ぞ」
熟視するに悪い意味でのエゴイズム(それは寮生の無気力と安易性に発した)が充満し、何ら有機的な寮の生命というものは感じられなかったと思われる。『自覚と権威』との欠けた支離滅裂の龍南、一貫した思想と覇気の欠けた、枯死つつある龍南
当時の熊本市民は五高を自分たちの誇りの学校と思っていたのである。熊本に医科大学はあったが、それを支える高等学校は熊本にはほかにはなかった。
今朝からは暫らく習学寮史の中の寮生日誌を覗き寮生の心理状態を検討してみたい
寮生は漸く個人主義に傾き、自己の部屋という殻に閉じこもり、人間の集合体としての切磋琢磨の実を上げるという寮生活の意義は空文化になってしまった如くであった。・・これは寮の構造に起因するものである。
崎野総代の文から
「乱雑の陣型とでも云いたい状態をとつて進んでいる。自分も五高生だが、且つ又遅刻したのだが之が五高生の本領かと思う時唖然たらざるを得なかった。且つ自己に対しても、殆どすべての五高生が遅刻したのではなかろうか、慙愧、」
「據らしむべし知らしむべからず。・・・然しあくまでも理想は知らしむべく據らしむべく行はしむべく起たしむべしでなければならぬ。新聞!抱負あり定見あり洞察力あり
世道人心を率い世論(大いなる、一時的ならざる、附和雷同ならぬ)を構成し得る新聞がのぞましい。」
十一月十四日の熊日紙上五高を塾愛する一市民の投書から「龍南の沈滞叫ばるヽ折から、その中心生命たる習学寮々生諸君、自覚して此れ弊風を打破されたし。最近風儀よろしからず。先日の提灯行列の状態は何ぞ」
熟視するに悪い意味でのエゴイズム(それは寮生の無気力と安易性に発した)が充満し、何ら有機的な寮の生命というものは感じられなかったと思われる。『自覚と権威』との欠けた支離滅裂の龍南、一貫した思想と覇気の欠けた、枯死つつある龍南
当時の熊本市民は五高を自分たちの誇りの学校と思っていたのである。熊本に医科大学はあったが、それを支える高等学校は熊本にはほかにはなかった。