火曜日には週一回の五高記念館への出である。少々小雨模様であったが出ていった。ここへ出た時が一番心が休まる感じである。火曜日の午後がどこか知らないが、掃除屋さんが掃除に来る日の様で、この掃除屋さんは身体障碍者を雇用している会社のようである。トイレの掃除は別個で個人契約をしてあるようで朝から綺麗にしている。掃除やこれが出てくると喧しくとても昔の文章など転載できないので連中が出てくるまでに俺の仕事は完了するようにしている。そのためには12時からの休みもしなくなるべく早く帰るようにしている。
大正12~3年ころ五高文芸界は低迷期に陥っている。そのため龍南会雑誌に五高文芸界の展望という五高ルネスサンスというか二~三年前から叫ばれてきたが、依然として低迷の状態が続いている。今年の春、勉強家の松井武渉氏と麓東の松本文雄氏を送り出して寂しさを残したがまだ創作では『道を行くの』の北野裕一郎君、俳句では宮崎事米君 詩では梅崎春生君を擁しておるので、心強いが、来年は何とかなるであろう?現代『龍南』で活躍しているのは、雑誌部委員の三年生なので甚だ心細く私たち今年の雑誌部委員は来年を如何にすべきか、一~二年生の自覚と積極性をひたすら願って止まないのである。来年は今年より今年のレベルが下がりはしないだろうかと思われる。
先ず今年の雑誌部委員の名を挙げると
楠田郁夫 伊喜美隆吉 東明雅 藤田忠 梅崎春生 安部辰生 で 済々高出身の阿部辰生君と去年の秋の『龍南懸賞号』で『妬く』という創作を書き龍南文芸界に非常な感動を与えたのが惜しいことにこの三月亡くなってしまった。『妬く』は部長の八波先生も中央の雑誌に出しても恥ずかしくはないと激賞され東京帝大の大学新聞では新日油心憎いまでに女性心理を解剖したものでその筆に確かさは勿論、内容においても高校レベルを抜くものと批評してあった程で、五高ルネッサンスに光明が見え始めたんだと思うが、春休み中に夭折した
楠田郁夫君は去年の春の『龍南』に「窒の中で」という創作を載せ同号第一等の栄誉を獲っている。その後沈滞し今春の『龍南』には「猟場」のらのかえりみち』という創作を出したが、前者に比して数段の見劣りがする。併し彼の筆の精微さを真摯なる態度とを以って今に伸びることだろうと思われる。
東明雅君は一昨年十訓抄あり広い上げた「甘酒」で一年生にして堂々と五高文芸界を驚嘆せしめた。歴史ものでは凄い腕前を持っているのであるが、今春の『龍南』には「初夏」という現代ものを書いた為残念ながら『甘酒』の比ではなかった。龍南における歴史物の第一人者を持って任じで居ればいいものをと嘆息する次第であるが、当人にしてみれば野心も大きいのであろう。
きたの裕一郎君は前の長編『道を行く』を書いて高校には絶無を思われる堅実振りを発揮したが哲学の竹下教授に今作品を出しておくと大学を出て置くと大学を出て自分の書物を出すときに困ることがあることを云われた由でそのまま引き込んでしまったのが、我々の甚だ不愉快とするのも無理はあるまい。
藤田忠君は去年の秋の懸賞号で『家史』を書き阿部の次位で考えさせる作品をして相当名評を得た。今春の龍南には「とげた」という前者の姉妹編ともいうべきものを出して、相当の効果を挙げた。彼にしてはこの程度の創作は相当の自信が出来ているものと思われる。今後は龍南の中堅として活動することであろう。この筆の凄みは高校中にも一寸異常であろう。その作品は漱石にも似ている。梅崎君の詩は龍南の第一任者として定評がある。大庭忠達君宮崎八策君の二人は五高俳句の大立物で上田英夫先生初の龍南を驚かして居る。短歌には前田可博君が居るが、相当なものだ。部長に八波先生、それに詩歌では上田先生を持って居ることは我々に取っては幸せである。
大正12~3年ころ五高文芸界は低迷期に陥っている。そのため龍南会雑誌に五高文芸界の展望という五高ルネスサンスというか二~三年前から叫ばれてきたが、依然として低迷の状態が続いている。今年の春、勉強家の松井武渉氏と麓東の松本文雄氏を送り出して寂しさを残したがまだ創作では『道を行くの』の北野裕一郎君、俳句では宮崎事米君 詩では梅崎春生君を擁しておるので、心強いが、来年は何とかなるであろう?現代『龍南』で活躍しているのは、雑誌部委員の三年生なので甚だ心細く私たち今年の雑誌部委員は来年を如何にすべきか、一~二年生の自覚と積極性をひたすら願って止まないのである。来年は今年より今年のレベルが下がりはしないだろうかと思われる。
先ず今年の雑誌部委員の名を挙げると
楠田郁夫 伊喜美隆吉 東明雅 藤田忠 梅崎春生 安部辰生 で 済々高出身の阿部辰生君と去年の秋の『龍南懸賞号』で『妬く』という創作を書き龍南文芸界に非常な感動を与えたのが惜しいことにこの三月亡くなってしまった。『妬く』は部長の八波先生も中央の雑誌に出しても恥ずかしくはないと激賞され東京帝大の大学新聞では新日油心憎いまでに女性心理を解剖したものでその筆に確かさは勿論、内容においても高校レベルを抜くものと批評してあった程で、五高ルネッサンスに光明が見え始めたんだと思うが、春休み中に夭折した
楠田郁夫君は去年の春の『龍南』に「窒の中で」という創作を載せ同号第一等の栄誉を獲っている。その後沈滞し今春の『龍南』には「猟場」のらのかえりみち』という創作を出したが、前者に比して数段の見劣りがする。併し彼の筆の精微さを真摯なる態度とを以って今に伸びることだろうと思われる。
東明雅君は一昨年十訓抄あり広い上げた「甘酒」で一年生にして堂々と五高文芸界を驚嘆せしめた。歴史ものでは凄い腕前を持っているのであるが、今春の『龍南』には「初夏」という現代ものを書いた為残念ながら『甘酒』の比ではなかった。龍南における歴史物の第一人者を持って任じで居ればいいものをと嘆息する次第であるが、当人にしてみれば野心も大きいのであろう。
きたの裕一郎君は前の長編『道を行く』を書いて高校には絶無を思われる堅実振りを発揮したが哲学の竹下教授に今作品を出しておくと大学を出て置くと大学を出て自分の書物を出すときに困ることがあることを云われた由でそのまま引き込んでしまったのが、我々の甚だ不愉快とするのも無理はあるまい。
藤田忠君は去年の秋の懸賞号で『家史』を書き阿部の次位で考えさせる作品をして相当名評を得た。今春の龍南には「とげた」という前者の姉妹編ともいうべきものを出して、相当の効果を挙げた。彼にしてはこの程度の創作は相当の自信が出来ているものと思われる。今後は龍南の中堅として活動することであろう。この筆の凄みは高校中にも一寸異常であろう。その作品は漱石にも似ている。梅崎君の詩は龍南の第一任者として定評がある。大庭忠達君宮崎八策君の二人は五高俳句の大立物で上田英夫先生初の龍南を驚かして居る。短歌には前田可博君が居るが、相当なものだ。部長に八波先生、それに詩歌では上田先生を持って居ることは我々に取っては幸せである。