今日は梅雨の中休みの貴重な晴れ間。
この期を逃してなるものかと、カメラと三脚を担いで今日は撮るぞと勇ましく、張り切って一路葉山の紫陽花公園を目指してウォーキング。
ところが、まだ蕾ばかりで空振り三振。それでも何枚かゲット。
紫陽花は日本原産で、ヨーロッパで「オタクサ」と呼ばれていますが、これはシーボルトがこよなく愛した日本人女性お滝さんに因んで「オタキサン」と命名したのが、その後変化したと伝えられています。
シーボルトは文政6年(1823年)長崎に渡来しました。
シーボルトとお滝さんとの出会いについては諸説語られています。
そのひとつではシーボルトは、来日早々長崎奉行の計らいで、出島を出て日本人患者を治療することを許されました。
その患者の中に美しい女性がいました。
シーボルトはこの若い女性に心を奪われたのです。
それがお滝さん。当時、出島の入り口には、「一、傾城の外女不入事」、という高札が揚げられ、遊女以外の女性は入ることが出来ませんでした。
お滝さんは遊女屋の引田屋から其扇(ソノギ)という遊女名を借りて出島へ入ったのです。
このシーボルトとお滝さんのロマンスの中、二人の間に生まれた娘のイネは日本人初の女医として知られています。
シーボルトは日本地図を入手しますが、これが幕府の禁制に触れ日本を追放されます。
そして傷心帰国の時、紫陽花を持ち帰り最愛の「オタキサン」の名前を付けるのです。
その後、ヨーロッパから世界中に拡がり、今では全世界で愛される花になったのです。
花は何時でもロマンティックですね。
この期を逃してなるものかと、カメラと三脚を担いで今日は撮るぞと勇ましく、張り切って一路葉山の紫陽花公園を目指してウォーキング。
ところが、まだ蕾ばかりで空振り三振。それでも何枚かゲット。
紫陽花は日本原産で、ヨーロッパで「オタクサ」と呼ばれていますが、これはシーボルトがこよなく愛した日本人女性お滝さんに因んで「オタキサン」と命名したのが、その後変化したと伝えられています。
シーボルトは文政6年(1823年)長崎に渡来しました。
シーボルトとお滝さんとの出会いについては諸説語られています。
そのひとつではシーボルトは、来日早々長崎奉行の計らいで、出島を出て日本人患者を治療することを許されました。
その患者の中に美しい女性がいました。
シーボルトはこの若い女性に心を奪われたのです。
それがお滝さん。当時、出島の入り口には、「一、傾城の外女不入事」、という高札が揚げられ、遊女以外の女性は入ることが出来ませんでした。
お滝さんは遊女屋の引田屋から其扇(ソノギ)という遊女名を借りて出島へ入ったのです。
このシーボルトとお滝さんのロマンスの中、二人の間に生まれた娘のイネは日本人初の女医として知られています。
シーボルトは日本地図を入手しますが、これが幕府の禁制に触れ日本を追放されます。
そして傷心帰国の時、紫陽花を持ち帰り最愛の「オタキサン」の名前を付けるのです。
その後、ヨーロッパから世界中に拡がり、今では全世界で愛される花になったのです。
花は何時でもロマンティックですね。