紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

忘れない為にⅧ

2008年04月21日 23時28分25秒 | 父のこと
お父さんを日本間から広い廊下に移し周りをレスキュー隊が囲み一人のレスキュー隊が電話から支持を仰ぎながら何か処置をしていました。
私たちはただその場をうろうろするしかありませんでした
ふと、お父さんの手を見ると・・・
それは・・・生きた人の手の色ではなかったのです
白い・・でも黄色い・・血が流れていない、硬い感じのする、まるで蝋のような生気がまったく感じられない色でした。しかし顔は普通の色でした
お父さん、死んじゃった!!!」   その時思ったことでしたがレスキューの人はあきらめていませんでした。
ぼーーっとしている横で一人のおっさんレスキューが電話をしながら支持を仰いでいる若いレスキューの人に向かって『もう、だめだ』っと言わんばかりに手を横に3回続けて振りました。隣で見ていた私はただ、その人と電話かけている人を交互に見ながら、どうしてこの親父は家族の前でそのような態度をするの???と思いつつ、その手を横に振っている意味はいったいなんだ?!!っと問い正そうとしてもなかなか声に出来ませんでした。

が、電話をしていた人が「数値が上がりました!!今から搬送します」っと言ってくれました。その時、うれしいというか・・よく解りませんでした

救急車には一人しか付き添いが出来ないので母が乗ることに、そして私たちは後を車で追っかけることにしました
その時、再度母が「延命治療はどうしますか?」っと聞かれたそうです。もちろんお願いしますと。このとき延命治療っという重みをよくわかっていませんでした。2回も聞かれているのにね。

外に出ると近所の人が見に来ていました。

お父さんが気に入っていた庭からお父さんが担架に乗せられて救急車に乗る光景はずっとずっとこの家で育ってきた私にとって想像が出来ない景色でした。動かないお父さん。この家で家族4人で暮らしてきた思い出がよみがえってきます。きっと母も姉も同じ気持ちだったと思います。本当に夢を見ているようでした
前日とうって変わってすばらしい晴天。普段人が来てもまったく鳴かない実家のボンゴがなぜかいつも違う鳴き方でウオンウオン鳴いていました。紋次郎と同様、何かを感じ取っていたのでしょうか
その中お父さんは意識不明のまま家を出ました。

(結局お父さんは心肺停止状態になりました。チアノーゼはその前兆だったようです。幸い、後から来たレスキュー隊(電話をしていた方)が心臓を動かす薬を打てる免許を持っていた方だったようで不幸中の幸いだったことを後日、病院の看護婦さんに聞きました)