紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

忘れない為に31

2008年08月19日 22時38分08秒 | 父のこと
私は、お父さんが倒れてからずっと、ずっと神様にお願いしてきたことがあります。少しでもいいので最後に会話が出来ますように・・・っと。しかしその後急変してからそれがかなわないことだとわかり、せめて、最後に目を開けてくれますようにっとお願いし続けていました。
誰にもこの願いは言っていませんでした。ずっとずっと心の中で思っていたのです。もう無理かも知れないけど、お願いし続けました

夜の面会のとき、集中治療室にはよほどのことがない限り一度に3人ほどしか入れません。丁度私と姪が面会していたとき、ふっとお父さんを覗くと
なんと!!片目を開けてくれていました!!!!!
びっくりしました。すぐさま姪を呼びお父さんに見えるように二人並び(このとき母はいませんでした)おとうさん、おとうさん、ありがとう!!っと何度も言いました。姪いわくその時涙が流れたそうです。(私はわからなかったです)そしてすぐに目を閉じました。

あのときの目は一生忘れられないです。何を言いたかったのか、チラッと私たちをいつものいたずらっぽく見ているようで、でもなぜか悲しそうで。。。お別れを言っているのでしょうか。

でも、最期に私の願いが叶いました
きっと無理だと思っていたので、お父さんと神様に感謝しました

やさしく、厳しいお父さん、ありがとう。本当にありがとう
もう覚悟を決めないとね。

家で迎える新盆

2008年08月19日 22時13分59秒 | 父のこと
13日から15日までの間、お父さんが帰ってくるということで初めてのお盆行事を行いました。
迎え火から始まって、食事、お土産のお団子、送り火と始めての経験でした。
子供のころ、おばあちゃんの家でナスやきゅうりで作った馬を見たくらいで、実際に行うと結構大変だなぁ~っと思いました
内容は後日また。

お父さんが死んだことによりいろいろな手続きをこのお盆休みに行うことにしました。印鑑証明も取得しました。
お父さんの戸籍も調べました。
私はお父さんの両親はもうずいぶん前に亡くなっていると思っていました。
実際お父さんは高知の母方のお母さんに育てられ、苗字も違っていました。
お父さんのお父さんは確かに早くに亡くなったようです。両親の戸籍に(亡)と書いてありました。
もう、私も大人です。お父さんのお母さんの欄には(亡)という字がありませんでした。思わずお母さんに「結婚したときにはお父さんのお母さんは生きていたの?」っと聞きました。答えは今から7年ほど前に亡くなったそうです
え?私ももうずいぶん前に亡くなったと聞いていたのに・・・・・
お父さんが隠したかったことだったのかもしれません。お母さんもそう思っていたそうですが、以前、お父さんと違う父親から生まれた(再婚先ですね)子供の助けがほしいっと電話がかかってきたそうです。
お父さんは捨てられたと思っていたようで、無視していたそうです。
そしてその後亡くなったそうです。
故郷の高知から電話がかかってきても無視していたそうです

両親がそばにいない、祖母、叔父叔母に育てられ、寂しい子供時代を送ったのでしょう。
黙っていたことを怒るより、お父さんのつらさがとてもわかった気がします
そして、いつも家族がそばにいたことを喜んでいたのに、私には子供がいないことをとても申し訳ない気持ちにもなりました
(そのことでお父さんに攻められたり、何か言われたことはありません。)