~ 鎮西八郎為朝コノ家ニ在リ ~
『為朝の武威痘鬼神を退くの図』
(ためともの ぶい もがさきしんを しりぞくの ず)
大蘇芳年筆
源為朝(みなもとのためとも)は平安時代末期の武将
為朝は幼少の頃から兄・義朝たちを事ともしない乱暴者で
もて扱いに窮した父により、十三歳で鎮西(九州)に追放されてしまう。
三年もたたないうちに九州全域を制覇して鎮西八郎を名乗り
勝手気ままに振舞いその狼藉ぶりは目に余るものがあったという。
保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方に参加し
強弓と特製の太矢で敵を震え上がらせるが敗れ
近江国で捕らえられ、伊豆大島へ流される。
そこでも十年で伊豆七島を完全支配し、為朝の武力を恐れて
疱瘡の神が島によりつかないという伝説が生まれた。