月岡芳年 月百姿
『足柄山月』 義光
明治二十二年印刷
源義光(みなもとのよしみつ)は平安時代後期の武将。
源頼義の三男。通称は新羅(しんら)三郎。
寛徳二年(1045年)~大治二年(1127年)十月二十日
後三年の役のとき兄義家の苦戦を聞き、官を辞して救援にむかった。
義光は笙(しょう)の名手で、このとき義光を慕い後を追ってきた豊原時秋に
時秋の父である豊原時元より授かった笙の奥義を伝授したという。
国立国会図書館デジタルコレクション 096
「時秋物語」 より
「ところで笙はありますか?」と問うと、時秋は「ございます」と
懐から出したのは、実によいことであった。
義光は「このように私を慕って来ていただいたのは
きっとこの秘伝の曲の伝授を受けるためでしょう」と
時秋に二つの曲を授けた。
義光は「このような大きな事によって東国へ出向けば
身の安泰か否かは知り難いものです。
百に一つでも私が平穏無事ならば 都でまたお会いいたしましょう。
あなたは笙を守る家柄である、豊原家の五代目にあたる
音楽を職とする人であり、朝廷が必要とする人です。
私に恩を感じるのであれば、すみやかに都へ帰って
笙の道に打ち込んでくださいと言ったので
時秋は道理に負けて都へ上った。
笙の秘曲の図 周延画
新羅三郎足柄山に笙を吹くの図に題す 篠崎小竹
吹笙 秘を伝え 遠く兄に従う 佳誉千年 山月 明らかなり
足柄は 近く連なる腰越の駅 祖孫 懸隔す 鶺鴒の情
- 詩訳 -
源義光が豊原時元から伝授された笙の秘曲を戦陣に臨むにあたり
時元の子に授ける時、その笙の音は足柄山の月に冴えて りょうりょうとこだまする。
この状況は、真に千古の佳話であるが、足柄山に連なっている腰越駅は
源頼朝が義経の功績を奪い斥けた恨みの土地である。
同じ源家の兄弟が一つは助け合い、又一つは背きあう、何と大きな相違であろうか。
出典元:アキアキのブログ(Rakuten)
おはようございます。
『足柄山月』
足柄山っちゃあ「金太郎」違うな!
何も出て来ないし疲れた!狐さまの解釈通りで十分にて候。
笙の笛でいいのかな?楽器としては吹くものだよね!たて笛じゃないし~~
まっいいか。気楽にしなよって言ってたし~~だらだら~~これこれペシッ
義光はこの時に時秋に二つの曲を授けた。とあるけどタイトルないね!
結局は義光を慕って追っては来た時秋に曲を伝授して都へ帰ることを促した
ってことだよね。
この最後の句は時秋が義光詠って
下の句は。。。わかんなーい。誰の句?
繋がってる?漢字が難しい!ふりがなつけろ!つけろ!デモ隊か!!
月岡芳年
ジロジロ月は見当たらない!
ただ足柄山は山よりも高い不便な所故に義光は時秋を都へ帰した。
この下の絵は誰が描いたのかな?
新羅三郎足柄山に笙を吹くの図
って鎧着てるのは何故?
ほんじゃ 後はよろしく~~チャラチャラ~~雷で何度も起こされ寝不足。
じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
じゃ またね。ありがと。うふふ。ラロロラロレ
昨日のモアラロロラロレ←良かった!上手い!
蟹工場で働くかい?いえそれは夏期講習始まってるよ!さんはい!! バカうけ
行ってらっしゃい^^行ってきます♪
こんにちは。雨は大丈夫かな?
足柄山つながりだから、金太郎は次回だけど童話意外になんか話題があるぢゃろか?
これも難題だよ。
それで、 義光が時秋に伝授した秘曲は 大食調と八調曲で、 尚 時元直筆の笙譜を与え、その望みを叶えさせたのは、時あたかも仲秋おぼろ月の下だって。
おぼろ月は春の季語だし、秋か春かどっちかい!と思っていたら
寛治八年八月官を辞して陸奥に赴き・・・ともあるから、見えてないけど仲秋の名月だよ。
詩文説明追加したから本文も見てね。ラロロラロレ
蟹工船は昔読んだことあるなぁ 。若気の至り。