もりんの日々是迷い人

もりん。50代主婦。
×あり。子あり。
良い職場と幸せを探し求める日々。

大事なのは悲しい過去じゃなくて…

2020-11-29 22:02:00 | 日記
自分が親になると
親に感謝するようになる。
なんて
世間一般では言われるけれど……

私は自分が親になった時
自分の親を軽蔑した。

もちろん
育ててもらった恩はある。
それでも
私は親が今でも苦手だし疎遠。


前記事で書いたように
どうせお前なんか!
を繰り返したことも許せないけれど

父親が私に言った暴言は
それだけじゃない

お前なんかいらなかった。
死ねば良い。

そんなことも
平気で言う親だった。

兄と弟は
将来稼いでくれるだろうが
女である私はいらなかったそうだ。

デブで不細工で 
人見知りで根暗な娘など
死んで欲しかったらしい。

実際私は何度か自殺を試みた。
ためらい傷程度だけれど
今も左手に傷は残っている。
 
常に兄や弟と比べられて
何も出来ない私は
家族の恥でもあったのかもしれない。



私は自分が親になった時
息子は軽い障害があって

私の親は
普通の子と違う息子も
他人の子と比べて嘆いた。

それを聞いて
私が産んだから息子もこんななの?
と悲しくなったっけ

でも私は
子供に「どうせお前なんか」
などと言ったことはない。
 
下の子が生まれてからも
息子に「お兄ちゃんなんだから」
と言ったこともない。
意識して言わないようにしてた。


人間の未来にはいつも
可能性がある。     

誰かと比べたり侮辱して
その可能性を否定する権利なんて
誰にもないはずだから……



否定の言葉ばかり浴びせられると
自信と希望を失う。

全てを親のせいにするつもりは
ないけれど
私はまともな大人に
育ってはいないと思う。

それなりに社会に適応することは
出来るけれど 
人間が嫌いで怖い

いつも
誰かにバカにされているようで
いつも
自分に自信が持てなくて……
弱い犬が強がって吠えているみたいな
生き方をしてる気がする。

それでも私は……

どうせ私なんかとだけは 
人前では言わない。

自分がダメなのはわかってても
それを人前で晒してはいけない。
だって今は
私には大切な人たちがいるから。

私が大切な人たちは
私を大切にしてくれるから。


昔、本で読んだことがある。
自分で自分を
「どうせ私なんか」
と言う人は
他人からも大事にされない。って

本人が「どうせ自分なんて」
と、価値を下げてる人を
どうして他人が大事にしようと思うの?
ってことらしい。

良い物なら大事にするけど
持ち主が「こんなもの!」
なんて言ってる物をもらっても
大事しようと思えないしね


私が
自分で自分の価値を下げたら
私を大事にしてくれてる人の価値も
下げてしまうような気がする。

だから。

どんなに私がダメな奴でも
「どうせ」な奴じゃない。

ちゃんと大事にしてくれる人がいる
ひとりの人間。


親の呪縛は永遠に消えないかもしれない。

でもあの時私は
死ななかったから
死ねなかったから

大切な今がある。

















幸せは不思議。

2020-11-29 14:03:00 | 日記
『幸せ』なんて感覚は
人の捉え方次第だから

自分にとっての幸せは
他人には
幸せじゃないかもしれないし
他人にとっての幸せが
私には不幸
なんてこともあるかもしれない。

そもそも
私にとって幸せって
なんなんだろう?とも思う。


私は幼い頃。
多分『幸せ』じゃなかった。

両親がいて兄弟がいて
祖母もいて
『家族がいる』
『屋根のある家に住めて
食べる物に困らない』
という事から見るなら
『不幸』ではなかったと
思うけれど……

物心ついた頃の私は
おとなしくて人見知りで
親戚に明るく挨拶なんて
出来る子供じゃなくて

見た目もデブで不細工。

父親は
そんな私が嫌いだった様。
もともと父親は
とても身勝手な人ではあるけど

小腹が減ったと
母にラーメンを作らせ
残った物を子供によこす。

子供と言っても兄と弟のこと。
お前はデブだから食うな
と、私にはそんな感じ。

親戚が家に来ても
私だけは呼ばれない。
叔父は言った。 
あぁ、
もりんは来なくて良いからと。

家族の中でも親戚の中でも
いつでも仲間外れ。 
そんな気がした。

どうせお前なんか
一生結婚出来ないんだから
親の面倒でも見てろ!と、

仲間外れにはするのに
将来は面倒見ろなんて
本当に身勝手な親だった。

母親は
父親に逆らうことが出来ないから
私が何を言われようと
庇うことはない。
むしろ父親に味方をする。

親にばかにされてる私を
兄弟たちも同じようにばかにする。

そんな家族。

そんな中で
私って幸せ♪なんて
思えるハズもなくて………

私は
デブでブスで何も出来ない人間
そんな風に思って生きてきた。


大人になって。 

父親の予言は見事にはずれ
私は結婚した。
優しい旦那とふたりの子供にも
恵まれた

色々あって離婚はしたけど
今も元旦那や子供たちとは
仲が良い♪


自分が親になって感じたことは
私の親は酷い!だった。

子供に決して言ってはいけない事を
繰り返し繰り返し言っていたから……  

どうせお前なんか!と。

大人になって思った。
これは絶対
言ってはいけない言葉 
だと。

どうせお前なんかやっても無駄。
どうせお前なんか誰も相手にしない。
どうせお前なんかデブで不細工だ。

その言葉は
今でも私の心を鎖で繋ぐ。

大人になったんだから
親と離れたんだから
結婚出来たんだから
親になったんだから

そう自分に言い聞かせても
今でも何をするにも自信がなくて
誰といるのも怖くて

『何もしない自分』を
『何も出来ない自分』だと
言い訳しているみたいに生きている。




今回。
別に不幸な話がしたい訳じゃなくて。

今は幸せなんだなぁ♪
って話。

誕生日にと
ご主人がケーキを買って来てくれて。

今年のプレゼントは
越してきたこの中古マンション
なのだそう。
頭金は私出してるけど(笑)

古くて見た目が団地で
リフォームはされてるけど
殺風景な部屋。

少しでも私を
おしゃれな所に住まわせてあげたい。 

そんな気持ちで
あちこちのリフォームを
してくれていたみたい。
前記事参照(笑)


子供の頃。
家族からも親戚からも疎まれて
バカにされて
今も呪縛の様な言葉に縛られて
何も出来ない私。

なのにご主人は
口癖の様に私のためにって言う。
色々してくれる。


昔は
幸せなんてわからなかったけど

今は
こうしてご主人と暮らせて
子供たちとも会えて

ただ生きてるだけでも
本当に幸せなんだな
と、思う。













 


















こんな感じになりました♪

2020-11-27 12:40:00 | 日記
ご主人のDIYは
ひとまず完了したようです

前回途中になっていた
トイレのクッションフロアも
貼り終わり…
大理石調の明るい床に

ご主人の仕事は車関係。
内装業とは関係ありません(笑)
YouTubeなどを見て研究しての
オリジナル。 

口コミにもあったけど
トイレに寝そべる日が
来るとは思ってなかった
などと言いながら頑張ってました。

私も
トイレに転がるご主人を
見る日が来るとは思ってなかったわ

床の前には
壁の一面にだけ木目調のシートを
貼ってくれていたので
ペーパーホルダーも
ご主人が木目の2個入れられる物に
替えてくれた。

これだけでも
充分イイ感じのトイレになったと
思います♪

でも…

それだけでは物足りないご主人
タンクレストイレにする!
と、頑張って……

なんと!
こんなメルヘン?なトイレに!!
これにはびっくり

YouTube見ながら研究して
100均の突っ張り棒とメイクシートと
プラダンを駆使して
格安で完成したにしては
かなり良い出来ではないかと

タンクのレバーの中も
ちゃんとメイクシート貼ってあるし
下の取っ手(小さいの見えるかな?)は
手前に開けて
中にはトイレブラシと洗剤が
隠されています。

なんか凄い
ここでホントに出して良いの?
ってくらい


そして
更にご主人の趣味?は続き……
玄関へ。


こんなザラザラ~で
汚れも付きやすく取りにくい
床でした。
もともと洗面所の床もこれだった。
きっと安い素材なんだろうなぁ

じゃん♪
こんなに明るく綺麗になりました♪
ピーターラビットの玄関マットは
500円だった♪お買い得♪

扉は団地感丸出しだけど
玄関そのものは
一軒家に負けないんじゃ
ないでしょうか



『好きこそ物の上手なれ』
とは言うものの
本当にご主人って凄いなって思う





私にとっても謎の人物。

2020-11-23 21:31:00 | 日記
私のご主人という人は
見た目も喋りもとても穏やか。

背も高くないから
ちまっとしてるし
のんびり屋。

話し方もゆっくりだし
小さめな声。


昔は会社の上司から
君はあっち系(オネェ)かね?
なんて言われたり

事務の女性たちからは
一緒に露天風呂とか入っても
安全そう
なんて言われてたらしい。


ご主人は車関係のお仕事。
今は本社だけど
昔は店舗の仕事もしていた。

車を引き渡した最後の日。
お客さん夫婦が言ったそう。

最後にどうしても
聞いておきたいことがあるんですが…
〇〇さん(ご主人)はこれ?

左頬に右手の甲をあて……
いわゆる『オカマ』ポーズですね(笑)

最後って
車のことだと思ったらそれだよ
なんて
ご主人は苦笑いしてましたが。

思えば私もご主人を初めて見た時
「女性か!?」と思ったし(笑)


それだけでも
ご主人の昔話としては
結構面白いのだけれど……

ご主人
只者じゃなかった!!


ご主人は学生時代
車の専門学校に通っていました。

かなりのマンモス校で
しかも男子校!
男子だから男子校に通うのは
不思議じゃないんだけど
見た目のイメージからは
なかなか男子校は出てこない(笑)

で。昨日
ご主人と自衛隊の番組の
録画を見ていた時。

私は
自衛隊って厳しくて
ホント大変そう
なんて思いながら見てたら

ご主人は
あぁ……うちも
あれくらい厳しかったなぁ
って……

いやいや
あれくらいって…自衛隊ですよ!?


ご主人のいた自動車の専門学校には
自衛隊上がりの先生ってのが
結構いたらしくて
凄く厳しかったらしいです

スパナを落としただけでも
大声で3回謝らないと
いけなかったとか(笑)

道具は整備士の命だ!と。
まぁ確かに

ちゃんと出来ない者は
チェーンブロックに
吊るされて
下に火を着けられた
こともあったそう

チェーンブロックに
逆さに吊るされて
下に水差しくらいの容器で
油撒かれて火を着ける。

ご主人は懐かしげに
笑いながら言ってたけど
今の時代なら大問題よね


夏の林間学校は
山を登って下って
山の間まで行ったそう。
それ林間じゃなくて山間?

学業にも厳しくて
100点取らないと寝れず
逃げ出す人も出たとか

みんなの間では
那須収容所って呼ばれてた

ご主人は笑って言うけど
昭和生まれの私でさえ
いつの時代の話!?
って思う
 


何より私が
凄い!って思うのは
そこにご主人がいた!
ってことなんですよね。  
 
この穏やかでおっとりなご主人が
自衛隊のような厳しい学校に!?
って

なんか……
男子校ってだけでも
カモにされそうなのに……

なんと在学中はずっと
風紀委員でもあったんですって
 
取り締まる方かい(笑)










台無しにされた時間を取り戻したい…

2020-11-23 11:05:00 | 日記
誰でも
期待していたことが
台無しにされることは
あると思う。

手に入るはずだったものが
他の人の物になってしまったり
楽しみにしていた事が
中止になったり

コロナ禍の今年は
特にそんな事の連続ですよね。


私は…

去年は
ご主人が実家を建て替えて
姑との同居が始まって。

引っ越しの挨拶周りで
近所の誰にも紹介すらしない
姑に不信感を覚えて。
本当は同居したくない?とか
私の存在は無視?って感じた。

それでも仲良くやろうと
姑を旅行に連れて行ったりも
したけど……

私たち夫婦より
自分や義弟一家の都合を
優先ばかりする姑に
嫌気がさして

今年の夏に
あの「家」を逃げ出した。


姑と同居するくらいなら
離婚で良かった。

でもご主人は離婚をせず
ただ私が出て行くのを
許してくれた。


ひとりでのアパート生活は
ただ寂しいだけじゃなくて

仕事の見つからない不安と
他の住人の怖さに
怯える毎日になってしまった。 
下の階の住人の奇声や大音量。
壁や天井を叩く音は本当に怖かった。


このまま
ひとりでここで死んでしまう?
そんな孤独と恐怖。


そんな中
私を救ってくれたのは
ご主人だった。

家賃を払い続けるくらいなら
一緒に中古マンション買おう
と。


実家を建て替えたご主人に
お金の余裕があるわけもない。
私の貯金だってたかが知れている。

それでも…
またご主人といられる
ひとりぼっちじゃなくなる
ならと
この中古マンションを購入した。


築40年近くて
見た目は昭和な団地で
エレベーターすらない。
4階なので荷物が重い時は
結構キツい(笑)

お風呂に追い焚きもないし
床も所々緩い。
リフォームされてるから
綺麗ではある(笑)

それでもここは
私の新しい『お城』

ご主人がいる。
姑がいない。
それだけでもとても落ち着く。


私は元々料理は
好きでも上手くもないけど
『誰かのためにご飯を作る』事が
楽しいことに思える。

姑と同居していた頃は
姑はキッチン独り占め。

建て替えを考えた頃。
ご主人は私と姑が
仲良くキッチンを使うと思っていた。

いざ同居が始まれば
私が使うのは2階のミニキッチンのみ。

料理も
メインはいつも姑で
私は簡単な副菜ばかり

たまに作った物が被れば
姑のもの優先で
私の作った物は
明日上(私たち夫婦)で食べれば?
と言われたっけ。
要するに不要品?


今の中古マンションに
住むことになって
ご主人が繰り返し言った言葉。

ずっと奥さんに
大きなキッチン使わせて
あげたかった。
だった。

私の気持ちに
少しは気付いていたのかな?


お風呂も姑優先で
自由に入れない。

ご主人のために
ご飯を作れない。

近くに住む
義姉、義弟一家は
知らない間に家の中にいる。

そんな姑との同居生活だった。


今もご主人は
週に一度は姑のいる「家」に戻る。

でもそれ以外は一緒。

結婚してこの地に来て。
ふたりでアパートで暮らしていた頃と
同じ様に
穏やかで自由な暮らしが
ここにはある。
 


姑と暮らしたのは1年余りだったけど
本当に嫌だった。

姑のすることも
自由に「家」で振る舞う
義弟一家も大嫌いだった。

ご主人と旅行に行って
嫌な顔をされたり
いない間に部屋に入られる心配も
今はなくなった。


嫌だったあの同居の頃のことは
忘れたい。

でも。

嫌な記憶ほど
なかなか消えないものでもある。

だったらせめて
嫌な記憶の上に
新しい生活を上書きして行こう。

今は
そんな気持ちになりました。