何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

介護福祉士合格通知  何の為の資格だったのか・・・・・・・

2016年04月06日 | 何故死んでしまったの

先日こんな通知が来た

「介護福祉士合格通知書」

何の為に私はこんな資格をとることにしたんだろう。

去年2015年の9月に、実技試験免除の為の講習を5万円も払って受講し、今年2016年1月の筆記試験に備えていた。

別にこの仕事を愛しているわけでもなく、今後身体が動かなくなるまで続けるつもりも無かった。ただ資格手当がいくらかつくので、少しは生活が楽になればいいという動機しかなかった。

資格貧者の私にとって原付免許以来の資格取得のつもりだった。

筆記試験に受かる為それなりの勉強が必要だったので秋口頃から参考書を買い求め、ちまちまと勉強するつもりだったが、仕事の忙しさもあって殆ど出来なかった。

なので1月末の筆記試験の直前、2015年12月21日から9日間有給休暇を取って集中的に勉強するつもりだった。

その頃だ。

祥一郎の体調が急激におかしくなっていったのは。

血便や下血が始まり、本人は痔だと言い張り、座るのも辛そうだったのでてっきり私もそう思っていた。

本人も以前も有ったことだから、いずれ治ると言っていた。

私はその言葉を呑気にも信じて取り敢えず痔の薬や痛みどめなどを与え、休暇当初は図書館に行って勉強していたのだ。祥一郎を部屋に残して。

しかし休暇が始まって二、三日経ってから今度は腹部の張りが見られてこれも、痛くてろくに排便も出来ないので腹が張っていると本人も言い、私もまたそれを信じていた。たまに排便があったらほっとして、これから良くなればいいなくらいにしか思っていなかった。
私はこの期に及んでまだ図書館通いをしていたのだ。

しかし今度は激しい寒気震顫や高熱が出始め、食事も目に見えて取れなくなっていく。

流石にこれはおかしい、痔ではないのではと私も思い始め、何とか病院にかかろうと生活保護の医療扶助の検討や、近所の総合病院のソーシャルワーカーに相談と、遅まきながら動き出したのだった。

もう試験勉強どころではなく、私は駆けずり回る。

その間にも祥一郎は下血は収まらず、高熱も散発的に続き、腹部はますます張ってきていた。
食事もお茶碗半分のお粥を食べるのがやっと。市販の鎮痛剤や解熱剤もほぼ役に立たず。

確か26日に根回しが終わって、12月28日に区役所に生活保護の相談と、午後に病院にかかる手筈を整えたた。

そしてその当日の28日早朝。
祥一郎は前夜からの変なしゃっくりが止まらず、ろくろく眠れなかったところを起き出してきた。
台所にいって飲みものでも飲もうと思ったのだろう、意識も朦朧としていたのかもしれない、突然叫び声を上げて倒れ、助け起こそうとした私の膝の上で大量吐血してあっという間に絶命したのだった。

(過去日記参照)

奇しくも明日で休暇が終りというその日に祥一郎は逝ってしまい、休暇最後の日に親族の意向で葬式もしてもらえずに荼毘に付された。


思えば私の休暇が始まる何日か前、祥一郎は言っていた。
「おっちゃん、いつから休みなん?」「その間は自分の晩飯の用意せんでええから楽やわあ。」などと。

冗談めかして言っていたが、あいつは何かを予感していたのだろうか。

滅多に無い私の長期休暇に合わせて体調を悪化させ、自分の最後の何日かを私と少しでも一緒に過ごし、私に看取られる為に、何かの運命の歯車が合わさったのか。

今更ながらあんなことになるなら、図書館で勉強などせずにずっとあいつの傍についていれば、少しは早くに病院にまがりなりにも連れていくことも出来たかもしれない。

そうすれば結果的に手遅れになったとしても、白い清潔なベッドの上で何か二言三言くらいはあいつの最後の言葉が聞けたかもしれない。
それが私への恨み事でも、私にして欲しかったことでも、幸薄かった自分の人生の悔しさでも、なんでもいい、二人の意志の疎通があったかもしれない。

最後に聞いたのがあいつの断末魔の叫び声のみというのでは、あいつは死んでも死にきれなかっただろうし、私にとっても一生残るトラウマになってしまった。



祥一郎が亡くなった後、散々迷った挙句職場の上司の強い勧めも有って結局私は介護福祉士試験を受けた。
愛する伴侶を突然亡くし精神がおかしくなりそうな状態で、勉強などろくろくせずに受けたのだから、結果はどうでもいいと思っていた。そもそもあいつを亡くして資格を取って生活を少し楽にすることに何の意味があるのかとも。

しかし試験当日、私はあいつの写真を上着に忍ばせ、あいつの使っていた筆箱を持って試験会場に行っていた。心のどこかで「それでも受かればいいな。」とでも思っていたのだろうか。

亡くなってまだ1ヶ月も経たないあの頃、私の行動と思考は支離滅裂だったような気がする。

そして今回の合格通知。

あれから3ヶ月、ますます大きくなる喪失感や孤独感と悲しみ淋しさ。
生きて行くことの意味の無さや、激しい自死願望。

この資格取得に何の意味があったのだろう。馬鹿馬鹿しい事この上ない。破り捨ててやろうかとも思う。
こんなくだらない資格取得の為に、何時間か何十分かの祥一郎との時間を犠牲にしてしまったことが悔やまれてならない。

資格取得のために払った金も少しばかりの労力も、そんな物は天に召されるまでの祥一郎との短かったかもしれない一緒の時間と引き換えになどできるわけもなかったのに・・・・・・・・


そう、あんなことになるなら、あんな悲惨で悲しい永遠の別離が来ると分かっていたなら・・・・・・・・・・

祥一郎・・・・・・・ごめんね。ごめんね。

お前は死を予感していたのかそうでなかったのは今となってはわからない。

でも結果的にあの休暇の間、全ての時間をお前の為に使えなかった私は愚かで馬鹿だったよ。救いようの無い腐れ外道だったよ。

断末魔の叫び声だけではなくて、お前と最後の会話がしたかった・・・ほんの少しでも・・・・・・・

祥一郎・・・・・・何度でも言うよ・・・ごめんね・・・・・・・・・・・

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宝くじが当たったら・・・・・・・・・・祥一郎の部屋

2016年04月05日 | ひとりぽっち
そうだな・・・・・・・・・・・・・

広さは3LDKくらいでいいかな。あまり広いと掃除も管理も大変そうだし。

リビングは12畳くらいほしいかな。

中央に掘りごたつがあって、大きな長いソファーも置きたいな。私は胡坐が欠けないので、それが楽だな。


そしてふかふかの絨毯を敷いて、欲を言えば暖炉なんか有ればいいな。マンションだと暖炉式の電気ストーブか。

勿論床暖房完備。

ダイニングには、7~8人くらい座れる、檜の匂いのする大きなテーブル。客を沢山呼べるように。

それから、キッチンからテーブルに直接料理が出せるようになっている。

キッチンは広い方がいいよね。
使いもしない洋食器や和食器が一杯良入る棚と、埋め込み式のコンロは四つくらいある。

冷蔵庫はそれこそ5人~7人家族要の大きなもの。

家庭用の大き目の冷凍庫も欲しいなあ。


風呂は二人一緒に入れる位の広さが欲しい。

カランが二つ有って、一緒に身体が洗えて、バスタブも一緒に入れる、足の伸ばせるくらい大きいものを。ジャグジーは必須だな。



祥一郎の部屋は8畳くらいでいいかな。

あいつは小物が好きだから、それがかわいく綺麗における棚と、コスメも好きだから、香水や化粧品が整然とおけるお洒落な段違いの棚も。

寝相が悪いからセミダブルのベッドも要るだろ。その上にトゥルースリーパーなぞ置いて寝易いように。

衣装持ちだから、大き目の箪笥も二つ必要だな。あと整理ダンスも。

パソコンデスクと、スペックの良いノートパソコン、大きなプラズマテレビとDVDリコーダーと、あいつは音楽が好きだから、オーディオ用品も一通り必要だ。

8畳じゃ狭いかな・・・・・・・・・

なにやら小坂明子の「あなた」っていう古い歌の歌詞みたいな内容になってるな。


そしておっちゃんの部屋は・・・・・・・・・・あれ?殆ど考えて無かった・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・


誰もが考える、もし宝くじが当たってマンションが買えたならする想像。

なにやら祥一郎の喜びそうな妄想ばかり考えてたな。

実生活ではあいつに貧しい思いばかりさせてきたから、たまに宝くじを買うとそんなことばかり夢想していた。



もしも、もしも今私にそんな幸運が巡ってきたらどうするだろう。

泣くかもしれないな。

なんで今頃って。なんで祥一郎も居ないのにって・・・・・・・・・・

なんでこの幸運を共有できる人はもう居ないのにって・・・・・・・・・・・・・

スカイツリー、そして東京オリンピック

2016年04月04日 | 何故死んでしまったの
信じられない速さで、この世は流れて行く・・・・・・・・・

この国でも、この街でも・・・・・・・・・・・・


たまにそぞろ歩く荒川の河川敷から見える、東京スカイツリー。
祥一郎がまだ元気な頃に出来たが、一度も行くことは無かった。行こうと思えば行けたのだろうが、そういう話が出なかった。

しかし今はもう行こうとしてもその機会をつくることは不可能。

一緒に行く祥一郎はすでにこの世に居ないのだから。


そして、2020年の東京オリンピック。

私は結構オリンピックが好きで、日本がいくつメダルをとったのと一喜一憂することが楽しみだった。

それを横目に、祥一郎は、

「オリンピックなんて、どこがおもろいん?馬鹿馬鹿しい。」

そう、あいつはオリンピックが嫌いだった。

「ええやろ。年寄りには楽しみが少ないんや。」なんて私は言い返したものだが。


でも、わたしは密かに計画していたのだ。

今度の東京オリンピックの開会式のチケットをなんとしてもどんな手を使ってでも購入して、祥一郎をなんとか説得して一緒に行こうと。

生きている内に、自分達が住んでいる国、街でオリンピックの開会式をリアルで観覧できるなど、
そんなチャンスはそうそう無いはずだから。

高いチケットを二枚買ってしまえば、なし崩し的になんとかあいつを無理矢理引っ張っていけるだろうと。

二人で見る開会式・・・・・・・・・

二人がもっと歳をかさねれば、開会式をこの目で一緒に見たというそれなりの良い想い出になっただろう。

東京オリンピック開催が決まったときからの、私の7年越しの計画だった。


でも、もうその想い出作りの計画は雲散霧消してしまった。

2020年がやってくる5年も前に逝ってしまった祥一郎・・・・・・・・

私がこの話をおくびにも出せずに、あいつは逝ってしまった。


そういえば今年、リオデジャネイロでオリンピックがあるのだった。

私は多分そのニュースに聞き入ることも無く、テレビ観戦すらすることはないだろう。


オリンピックだけじゃない。

やれ新幹線がどこそこまで延長しただの、東京に日本一高いビルが建っただの、誰それがノーベル賞をとっただの、皇室に慶事があっただの、これからもそれなりに市井の人々が心浮き立つ出来ごとがあるだろう。


そういう話しを何気に二人で話題にしたり、新しい施設に祥一郎と二人で行くことはもう無い・・・・・・・

そう、信じられぬ速さで流れて行く世の中を、二人で見ることはもうできないのだ・・・・・・・・・・


そして私はその流れにひとり取り残され、いや敢えて流れに乗ること無く、祥一郎と共に過ごした過去に生きることになるのだろう。

私はある意味、過去の人間になってしまったのだな。

あの20数年が終った時から・・・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・おっちゃんは歳をとっていく。

でも心はお前と暮らしたあの頃に置いたまま、老いさらばえていくんだよ・・・・・・・・・・

花冷えの少し寒いこんな日は・・・・・

2016年04月03日 | ひとりぽっち
きょうは私のオフの日。 少し寒い。花冷えというのか。


遅く起きた私は、まだ歯磨きや洗顔もすること無く、煙草を口に咥え、ソファーにどっかりと座ってぼーっとしている。

祥一郎はというと、私より早目に起きて、いつものようにパソコンで自分のブログやツイッターのチェック。

それが終わると、私のパジャマ件部屋着をむりやり引っぺがして、自分の汚れものと一緒に洗濯機に放り込み、掃除機をかけ始める。

私はというと、掃除機をかけやすいように足を上げて、取り溜めたケーブルテレビの映画なぞを鑑賞中。

それから祥一郎は朝シャンだ。
風呂の掃除をしながら、頭を洗い、髭を剃る。困ったことに湯水を大量に使うクセがあった。

さて、散歩でもするかと、私は顔を洗って出掛けて行き、赤羽界隈の激安商店で何かお買い得が有ったら買い込み、ついでにお菓子屋に寄り、自分の分と祥一郎の好きそうなスナック菓子などを購入。

日用品で必要なものが有ったら、ドラッグストアで買い足し。何が無かったっけと分からないときは祥一郎に電話して確認する。
「カミソリの刃と、ティッシュも無いで。」とか言われてそれも購入。


帰ると祥一郎は洗濯物を干し終り、昼を回った頃に、冷凍チャーハンで昼ごはん。

私は昼を抜き、さてきょうの晩飯は何にするかと考えを巡らす。

「きょうはちょっと寒いし、また冬がくるまでの最後のおでんにでする?」と聞くと、祥一郎は「またおでん?」とかなんとか。


その後祥一郎は体操の日であれば、それが終わるまで待ち、その後二人でいつものスーパーで一週間分の食料と、晩飯の材料を買い回る。

二人でチャリを荷台代わりに、えっさほっさと坂道の多い道を帰る。


食料を冷蔵庫に放り込み、また二人はそれぞれ好きな事をして過ごし、やがて私は夕食の準備にとりかかる。

その後一服してから、祥一郎の入れてくれた風呂に入り、午後7時くらいに夕食開始。

終わると祥一郎は洗いもの、私は料理で疲れたから、またビデオを鑑賞しながら晩酌をしている。

洗いものが終わった祥一郎は風呂に入る。彼は空腹で風呂に入ると気分が悪くなるらしく、いつも食後に入る。

明日が仕事なら私は晩酌もそこそこに寝床に入る。

祥一郎はまだパソコンと格闘中。

そして遅れて彼も就寝。



きょうみたいなちょっと寒い日は、そんなふうに二人で過ごしただろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・




今は・・・・・・・・・朝も昼も殆ど何も口にせず、やっと夜に安い弁当を一人で腹に収め、ビデオを鑑賞しようとするが、まったく集中出来ず、

日中の半分くらいは、祥一郎の座っていた椅子で、前かがみになって畳の目をじっと見ている。あの子のことを考えながら。

涙がジンワリ滲んでくることも有れば、本格的に泣くこともある。そうでなければ溜息ばかりついている。

孤独でどうしようもない感情の持って行き場が無いので、睡眠薬を飲んで早目に寝床に潜りこむ。いわゆる寝逃げというやつだ。

祥一郎の遺影をまくらの横に起き、「お休み。」と言いながら、(お願いだからこのまま目が覚めないで)と願いつつ、やがて眠りに入っていく。


祥一郎・・・・・・・・・おっちゃんはもう廃人になったような気分だよ・・・・・・・

それでもおっちゃんの生は続いていくんだろうか・・・・・・・

覚悟がある人になれなかった・・・・・・・・・・・・・

2016年04月03日 | 何故死んでしまったの
祥一郎がもしガンだと本人も私も分かっていて、入院してそれなりに闘病生活をして、その後逝ってしまっていたなら、私はどう思い、どう感じていただろう。

(もしかしたら祥一郎は、もう駄目かもしれない。)

という覚悟が出来て、心の準備が整っていただろうか。 謂わば覚悟がある人になれただろうか。

それとも、これだけやるだけ一生懸命やったのに、何故逝ってしまったんだ?という悔しさや悲しみが湧き上がって、覚悟もなにも吹っ飛んでしまっていただろうか。


もしも、の話でしか無いけれど、そんなことも想像してみる。

死別した方の中でも、期間は様々あれど、闘病と看病の末、最愛の人を亡くした方もいるだろう。


そいういう方と、私のように覚悟も何も無く、あまりに予想だにしなかった結末を迎えた者との悲しみの種類は違うのだろうか。


前日まで、明日病院にかかれば何とかなる、まさかその日の朝に亡くなるなんて思いもしなかった。
そして突然倒れ、断末魔のような叫び声の後、私の膝の上で大量吐血しながら息絶えて行った祥一郎。

そんな経験を、場面を目の前で見てしまった私の、その後の感情の推移と、ある程度覚悟があった人たちとのそれは何か違う面があるのだろうか。


聞いてみたい気もする。


心の中では、「私の悲しみは貴方達よりもっともっと深い。」などとどこかで思っているのかもしれない。


でも実際は、違いは多少あるとしても、愛する者を亡くした悲しみ苦しみの大きさは、なんら変わる事はないのだろうなとも思う。

隣の芝生は青く見える、でも実際はそれほど変わらない、そういう事なのかもしれない。


今、グリーフカウンセリング、要するに最愛の人を亡くした人が受けるカウンセリングだが、それを受けようかどうしようか迷っている。

亡くし方はそれぞれ違いはあれど、似たような経験をした人達と語り合う事で、なにかヒントになればと思っているのだが。

そして、その後の生き方に違いがあれば、何故違うのか、違っていることでお互いに参考になることがあるのか、それも知りたいと思っている。


実際に本当に受けるかどうかはわからない。

ある程度お金もかかるし、金儲けの臭いがプンプンするような団体も有るようだし、さりとて安い費用でカウンセリングを受けても、それなりにしかならないような気もする。


とにかく4月頃には結論を出そうと思っている。


話は変わるが、
さきほど通院している心療内科に行って来た。


「先生、私は鬱なのでしょうか。」という問いかけに医師は

「抑うつ状態であるのは確かですね。」とのこと。

「あまりに大きなストレスが外部からかかってしまった為、そうなったのです。」とも。


では、私は普段どのように生活をしていったらいいのでしょうかという質問には、

「とにかく、家に一人で居ないことです。ますます落ち込みますからね。誰かと逢うなり、会話するなり、それができないなら、喫茶店でお茶を飲むだけでいいです。表に出ましょう。」


と。まあこちらの予想通りの答えで、わかりきった答えでしかなかった。

そんなことが休みの度にできたら苦労はしないのだけれど。

喫茶店でお茶を飲む?祥一郎が亡くなってから何度かそうしたけれど、楽しそうに会話する他の客を呆然と眺めて、よけいに疎外感、喪失感が大きくなったので、以来喫茶店のような場所には一人で近づかないようにしている。

結局、ひとりで部屋に居てもなんとか過ごせるように、間違ってもリストカットなどしないように自分自身で慣れていくしかないのだろう。

私の帰る場所は、この祥一郎と暮らしたこの部屋しかないのだから。

祥一郎の肌着を引っ張り出して、泣きながら眠りについた昨夜のようなことを繰り返しながら、
この環境になんとか折り合いをつけていくしかないのだろうな。

気が遠くなるような気もするが・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・・・・・ 逢いたいよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・