何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

「メゾン・ド・ヒミコ」を観て 不幸な人がガンになる?

2016年04月21日 | 悲しい
「メゾン・ド・ヒミコ」
という映画を御存知だろうか。

とあるゲイの男性が銀座でゲイバーを経営して、その後引退してゲイ専用の老人ホームを立ち上げ、その入居者とそれにまつわる若者たちの人間模様を描いた映画。

祥一郎がまだ元気だった頃、ケーブルテレビで放映していたその映画を最近何度も何度も観ている。

別に自分の老後を重ね合わせているわけでもなく、ストーリーにさほど感動してるわけでもなく、なんとなく観ているわけだが。

しかしその映画の中で、そのゲイ男性に捨てられた女性の娘が言う一言が妙にいつまでも引っ掛かる。

要するに捨てられた女性はそのゲイ男性の妻だったわけだが、ある日カミングアウトされて夫だった男性は消えてしまう。そして妻だった女性は心労のためほどなくしてガンで死んでしまう。

その捨てられて死んだ女性の娘がゲイの父に言った一言、「お母さんがガンで死んだのは、不幸だったからよ。」

そのフレーズが妙に引っ掛かる。

私の周囲にも、ガンになるのは良い人ばかりよ。周囲に気を使ってばかりいたり、苦労の絶えなかった人がガンになりやすいのよ、という説をとなえる人が何人か居る。

私は親戚付き合いは殆ど無く自分から避けて生きてきたが、そこそこ仲の良かった同じ歳の女性の従姉妹が居た。

自己主張が強く我の強い従兄弟達の中で、唯一その同い年の従姉妹だけは毛色が違い、おっとりして周囲に気を配り言いたいことも控える人だった。33歳の若さで大腸がんで亡くなったが。


祥一郎が亡くなる何年か前、私にとってゲイの世界で唯一といっていい親友もそうだった。

苦労人だった上、八方美人で気配りばかりする人だった。その後骨髄腫というガンで亡くなった。

少なくとも私の周囲では、苦労人で良い人と言われる人、気配りの出来る人、言いたいことも堪える人がガンで亡くなっているケースが多いような気がする。


祥一郎はどうだったのだろう。

私には言いたい事を吐き出せていたのだろうか。

私の前では、素の自分で居られたのだろうか。

20数年一緒に暮らしてそんなこともわからないのかと言われても、何十年も連れ添ったカップルでも、本当の、心の奥底の本音まで理解し合えていたと自信をもって言える人はどれほど居るのだろう。

祥一郎・・・・あの子は極端な内弁慶だった。あまり接点の無い人や、関係性の薄い人には妙に外面が良かった。

そして私の元へ帰って来ては、本音を出して愚痴を垂れ流すところがあった。そういう面では私には素の自分を曝け出せていたのだろう。

でも、100パーセントそうだったのかと考えてしまう。
ひょっとして私にも言えない、愚痴れない、甘えられない事をいくつか抱えていたのではないか。

私に気を使って、本当は言いたいことがもっとあったのに、言えずじまいだったことは無かったのだろうか。

家族同然だったのにあんなに近くに居たのにいつも一緒だったのに・・・だからこそ言えなかったことを抱えていたのではないんだろうか。

それがストレスや精神的な重荷になっていなかったのだろうか。

あいつの死んだ原因がガンだとして、それが遠因になっていたのだとしたら・・・・・・

あのメゾン・ド・ヒミコという映画の女優の一言が妙に引っ掛かるのは、最近そんなことを考えるからなのだ。

あまりに近すぎて言えなかった、それはやはりある意味不幸な事だろうと思う。

そして言おうとしてもあまりに突然の別れだったために言えなかった、そこまで考えるのは穿ち過ぎだろうか。

そう、あまりに突然の別れ。

それが故に、お互いに伝えたかった事はもう無いと、誰が言えるだろうか・・・・・。



祥一郎・・・・

少なくともおっちゃんは、ここに書ききれないほどお前に伝えたかったことが山のようにあるよ。

だから少しずつでもここに書き残していくつもりなんだ。

でも、お前がおっちゃんにまだ伝えたかったことがあるのなら、それはおっちゃんがそちらの世界へ行くまで聞くことはできないね・・・・・・・・・

それが切なく、悲しい・・・・・

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私が君を殺したの?・・・君が息絶えた板の間

2016年04月20日 | 何故死んでしまったの

君に夢で逢いたくて泣きながら眠った夜

逢えずに目覚めた朝はまたあの時刻

あの時刻、君が息絶えた冷たい板の間に座ってみる

君の痛みや想いをこの両足が覚えていないか

あの板の間に座ってみる

蘇るのは、君の白くなっていく眼と、血糊のついた口

私が君を殺したの?

私に出逢ったことで、君は私に殺されたの?




朝、君がやってくれたように布団を干してみる

使わなくなったひとり分の布団も一緒に

終ってから、君が息絶えた冷たい板の間に座ってみる

君の残した想いや、恨みを掴み取れないか

あの板の間に座ってみる

蘇るあの叫び声 取り返しのつかない自分のしたこと

私が君を殺したの?

私に出逢ったことで、君は死に向かったの?



惑い迷い、何をすべきか盲いた一日、一年

のろのろと、本能で君のしていたことをしてみる

思い出せなくて、君が息絶えた冷たい板の間に座ってみる

君がしたかったことを、固く冷たい板が教えてくれないか

あの板の間に座ってみる。

分かっているのは、蘇らない君の、あの時刻までの命、人生。

私が君を殺したの?

出逢わなかったとしたら、君はまだ生きていたの?・・・・・・・・・・・

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ただいま、祥一郎

2016年04月19日 | ひとりぽっち
ただいま、祥一郎。

はあ疲れた。あれ、またそんなサイトで男のヌード画像を拾ってるのかい?お前も好きだねえ。ツイッターでネタにするんだろ。

おっちゃん風呂に入るよ。ちょっと御飯の支度しといて。


あれ、また粕汁作ったんだね。お前これ好きだね。大阪に居た頃作り方を覚えたんだったね。

でもおっちゃんはきょうは粕汁って気分じゃないんだけど、まあいいか。大根おろしも用意してくれたんだね。
これと、玉子とトマトの炒め物でも作って食べるよ。お風呂もう入れるよね。

おっちゃん風呂から上がったよ。お前もお入り。

相変らず長風呂だね。お湯をいっぱい使って。月々の水道代が大変だよ。お前は風呂好きだからしょうがないけど。

おや、きょうはなんのスキンケアクリームを塗ってるんだい?変な匂いだね。顔面パックもして。

パックの最中は顔の筋肉を動かしちゃいけないんだろ?笑わせてやろうか?

「イカのキンタマ!」わははははは、ごめんごめん、そんなに怒るなよ。冗談なんだから。

またパソコンで今度はブログのチェックかい?あんまり根詰めるとまた目が悪くなるよ。

さあ、おっちゃんはもうちょっと晩酌でもしようかな。あれ?氷があんまり無い。もう、昼間の内に氷、作っておいてって言ってるのに、しょうがない奴だ。

まあおっちゃん明日も仕事だし、これくらいにしようかな。

眠くなってきた。先に寝るよ。

電気毛布を温かくしておいてくれたんだね。これで寒い思いしないで眠れるよ。


うーーーん、あれ、お前ももう寝るのかい。きょうは早いんだね。おやすみ・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・
ふぁあああ、朝か。

祥一郎、おはよう。

あれ、おかしいな、祥一郎、お前どこに行ったの?
布団がたたんである。

あれ?居間にも居ない。いつもならパソコンデスクに座って、朝食の薄皮あんパン食べて、紅茶オーレ飲んでるのに。

いつも毎朝真っ先に、お前のお母さんと猫のレイコに線香上げて、その香りが漂っているのに。

寒い日でも家中の窓を開けて換気しているのに、どの窓も閉まってる・・・・

クロの餌も朝はちゃんと用意してあるのにしてないな。どうしたんだろう。

祥一郎・・・・何処へ行ったの?昨夜は居たような気がしたんだけど。

おっちゃん一人でどうしたらいいの?

風呂掃除どうするの?おっちゃん毎日はできないよ。

クロの世話はどうするの?餌は誰がやるの?

おっちゃんゴミの捨て方も知らないよ。瓶缶やペットボトルはいつ何処に捨てたらいいの?

御飯もおっちゃんが仕事から帰ってくるとちゃんと炊いてくれてたろ。

洗濯は誰がするの?これもおっちゃん毎日できないよ。

布団だって毎日干してくれてたろ。これもどうするんだい?掃除機も毎日かけてくれてたろ。

お前、ツイッターやブログの更新はどうするの?フォロワーや読者が心配するよ。


それよりなにより、おっちゃんひとり置いてどこに行ったの?

ゆうべ確かにお前はいつものようにおっちゃんの傍に居たよね?

祥一郎、返事をしておくれ!

おっちゃんの声が聞こえないのかい?返事をしておくれ。

早く帰ってきておくれ。

おっちゃんをひとりぽっちにしないでおくれ。

おっちゃんだけでひとりでどう生きて行けばいいんだい?お前が居なけりゃ寂しくて死んじゃうよ。

急にどこに行ったんだい?

祥一郎・・・・・・・・お願い、お願いだから帰ってきておくれ・・・・・・・・・・

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グリーフケア グリーフカウンセリングに参加してみた その二

2016年04月18日 | 何故死んでしまったの


きょう、二度目のグリーフカウンセリングに行って来た。

前夜、祥一郎の法要のことで友人に相談をしながら、飲み慣れない酒をしたたかに飲んだため、かなり変な酔い方をし、友人に身体を支えられながら駅に向かってなんとか部屋に辿りつき、そのままぐったり朝まで伏せっていたので体調はかなり悪かったが、祥一郎が背中を押してくれたこのカウンセリングだと信じているので、今回も参加した。

テーマは、①伴侶が亡くなってから葬儀の前後で強く印象に残っていること、②伴侶の死の否認について。

① については、前回のカウンセリングで、葬儀は行われずいきなり火葬の運びとなってしまったことは話してあるので、それを踏まえてスタッフから質問が有った。

「けいさんはパートナー様のご葬儀が無かったと言われていましたが、なにか印象に残っていることはありますか?」

この質問には、祥一郎が亡くなった直後だったので、私自身が精神的に錯乱状態であり、父親とゆっくり話をする余裕も時間も無く、ましてや質問するような雰囲気でもなく、なぜ葬儀をしないのかと落着いて問答するような状態ではなかったこと。
その後父親に連絡する必要が有り、一度実家にお邪魔して、祥一郎と私の20数年の暮らしぶりや、どんな結びつきがあったのか話をさせて欲しいと提案したが、父親からやんわり断られたこと。

実家の方で遺影を作り、それを私に送ってくれた上、墓の場所も知らせてくれたこと、しかし葬儀をしなかったのはひょっとして(以前の日記にも書いたが)私達の関係を公にしたくなかったのではないか、恥だと思っているのではないか、そんな疑心暗鬼が私の方にあり、どうにも父親の本心が図りかねること、父親の二つの行動に整合性が無いこと等を話した。

② の伴侶の死について。

「どうですか、パートナー様の死はけいさんの中で、どのような受け止め方をされていますか?」
との質問については、

この質問には当然ながら、「まだまだ、まったく祥一郎の死は自分の中では受け入れられていません。」
と答えた。
仏壇に遺骨を置き、お供えをし、線香も上げ、毎朝飲んでいた飲みものも供えるという、死者に対する行動をとってはいるが、彼の死を受け入れたとはとても言い難く、遺影は仏壇には置かず、いつも自分の傍に、寝る時も枕元に置いていること、遺影に話しかけ、遺品も殆ど手付かずで、寧ろ遺品に囲まれて過ごす方向に動いていること、祥一郎が食べかけた食物まで冷凍して保存してあること等を話した。

あいつがスプーンでなぞった痕があるジャムや、使いかけのプロテイン、レトルトのハンバーグ等も冷凍していると告白したときは、少々他の参加者から笑い声も出た。変な意味では無く、気持ちが分かるという意味の笑いだったのだろう。

前回と同じく、話しながら涙声になり、感極まってしまいそうになりながらの質疑応答だった。



今回主催者側の言葉で印象に残った言葉は、

「伴侶の死の受け入れ方は様々で、そして時間がかかることだと思います。そしてその時間の流れ方もそれぞれ違うと思います。しかし例え何年かかっても何らかの形になり、何かが明らかになると思います。明らかになるということは、諦めるに通じます。ネガティブな意味での諦めるではなく、ポジティブな意味での諦めると言う事です。」

という話があった。

果たしてそんな境地に自分が本当に達するのか、今の私には分かるはずも無い。

諦めるどころかますます祥一郎への想いは強く募り、喪失感は巨大になり、孤独な時間が恐ろしいほど心を締めつける今の状況をどうにも変えようがない現実を前に、主催者の言葉は私の心にまだ虚しく響くだけだった

しかし少々の収穫もあった。
もらった冊子の中の記述に、「百万言の慰めの言葉よりも、黙って私の手を握り、抱きしめ、悲しみを可能な限り受け止めてくれる人の方が、何倍もありがたい事なのです。」とあった。

それはそうだと思う。

私には、黙って私の身体を抱きしめ、その胸の中でいつまでも泣かせてくれる人の存在が必要なのかもしれない。

しかしながら、今の私にはそんな人が周囲に存在しない。

そしてたった一人で、この生き地獄のような日々と闘って行かなくてはならないのだ・・・・・。

祥一郎・・・・・・・・おっちゃんの悲しみと苦悩はこれからも続くよ・・・・・・。

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あの頃の風景  そして新しい家具

2016年04月17日 | ひとりぽっち



もうこんな季節だと言うのに、私の部屋には心を氷らせるような寒風が吹きすさぶ。

日が照って暖かいはずなのに、実際に肌で感じる温度も寒いのだ。

あまりに過酷で悲惨な悲しみに心が満たされていると、身体の反応までそれに引き摺られるのか。

だからまだストーブは欠かさない。

特に何も予定のない休日には昼間から暖を取っている。

祥一郎がひがな一日座っていたパソコン前の椅子の横、以前と同じ場所にあるストーブ。

いつもあいつがスイッチを入れたり消したりして温度調節をしていたストーブ。片付けられる日がくるだろうか。
真夏になってもひょっとして置いたままにするかもしれない。
あいつが天に召されたあの冬の初めの部屋の風景を、そのままにしておきたくて置いたままにするかもしれない。

そう、そのままがいいのかもしれない。

二人が使った食器類、調理器具。

下駄箱のあいつと私の靴。

あいつの服がかかったファンシーケース。今少しずつクリーニングに出して綺麗に吊ってある。

風呂にはあいつが使っていた垢すりタオルが、私のタオルと並んで干してある。もう使われることの無くなった垢すりタオル・・・・・

そして、眠りを貪っていたもうぼろぼろになったあいつの布団。いつも私の布団の隣にたたんで置いてある。晴れた日はときどき干して陽の光を浴びせている。

返すべき物は実家の父親に返してしまったけれど、この部屋に残ったあいつの痕跡、使った物はできるだけそのままにしておこうと思っている。

でも、少し変化した部屋の風景もある。

あいつが食事を取る時にいつも座っていた座イス。
去年の暮れ、祥一郎の体調が悪くなる前に新調した。以前のものはもう破れてボロボロになっていたから。



ソファーも同じ時期に新調した。私が居ないときはいつも以前のこれまた古びたソファーで昼寝をしていたが、もうあちこち破れて使うもの限界だったので新調したのだった。


でも・・・・でも・・・・・

殆どあいつはその座イスにゆっくり座ることも、新しいソファーで昼寝する事も無かった。

急激に体調が悪化し、布団で寝てばかりいたから。

新しい家具を置いて、新たな気分でふたりで年を越そうとしていたのに・・・・・・・・

いずれあいつの体調も持ち直し、またいつもの暮らしに戻ると信じて、新しい家具でちょっといい気分で新年を迎えて欲しかったのに・・・・・

新調した座イスに胡坐をかいて、私の作った料理を食べて欲しかった。

新しいソファーで、気持ち良さそうに昼寝をしているお前の姿が見たかった・・・

今はもう、見ることが不可能になってしまった、何気ない日常の部屋の風景。

こんなことに、こんな悲しいことになるのなら、新調などせずにそのままで置いておけばよかったといま後悔している。
お前の匂いや汗が滲みついて、汚れてボロボロになったままにしておけばよかった・・・・

祥一郎・・・・・

おっちゃんはその新しい座イスにもソファーにも殆ど座る事は無いよ。

たまに来客があったときに使うだけだ。

お前が一番長く過ごしたパソコンデスクの椅子・・・これももう古びてあちこち破れているけど、おっちゃんはお前に代わってそこで殆ど過ごしているよ。

「おっちゃん、そこどいて。うちがパソコン使うんやから。」

なんてもう言われることもないんだね。

嗚呼、お前が居なくなってしまって、おっちゃんたったひとりになった部屋にまた寒風が吹きこんでくる・・・・

さあストーブを点けようか・・・・・・・・あまりに孤独で寒いから・・・・・

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