部屋に人を呼ぶことが多くなった。
折に触れ、祥一郎のことを少しでも知っている人や、間接的に知っている人などは勿論のこと、今では
職場の同僚も呼んでいる。
毎朝「・・・・・・行きたくない・・・・」と思いながら重い腰を上げて何とか向かうあのくそ忌々しい職場にも、それなりに何人か気の合う同僚が居て、たまにこの部屋で飲み会をやっている。友人では無い、単なる同僚だ。
理由は一つ。
気が狂ってしまうようなほど大きくなった喪失感や孤独を紛らわせるため。
昨日もそんな同僚と元同僚ふたりを呼んで、ささやかな酒宴を開いた。
誰かに料理を作って食べさせたいという思いも有ったのかもしれない、心ばかりの酒のつまみを作ってもてなす。
本当は祥一郎を喪った私の辛く哀しい話を聞いて欲しいのだが、まったく面識も無く、あいつが亡くなるまでその存在さえ知らなかった人達にそんな話ばかりを聞かせるわけにも行かず、せいぜい線香を上げて貰って、後は仕事の話や、たわいも無い話をして酒宴を続ける。
そして酔いがまわったら街に繰り出して、カラオケ屋に行ったり、はしご酒に走ったりしている。
昨日は部屋での酒宴が終った後、同僚の知り合いの場末のスナックに行き、カラオケ三昧をして過ごした。
同僚達は勿論私が部屋に招待する動機はわかっていて、それでも付き合ってくれている。それ自体は有り難いことだ。
そんなひと時を過ごす時、少しは気が紛れているような気がする。
しかし、したたかに酔って酒宴がお開きになり、部屋にひとり戻ったとたん大きな揺り戻しがくる。
酒の力によって、一人になった時に感情のタガが外れてしまうのだろう。
酔った勢いで眠りにつこうと目論んでも、心が祥一郎への想いへ戻って行き、後から後から涙がこぼれ出す。
そして部屋で体操をしていたときに来ていたあいつの匂いの染みついたTシャツを引っ張り出し、顔面に押し付けて大声を上げ、嗚咽と涙で暗い部屋を満たしてしまう。
わかっているのだ。
そんな酒宴をしょっちゅう開いても、たいして付き合いも無い人達を無理矢理誘っても、かりそめの逃避にしかならないことを。
わかっていてそんな行動に走るのは、この先一年365日、たったひとりでこの部屋で過ごすことが途方も無く恐ろしく、それこそ精神に本当に異常をきたすのではないかとおののいているからなのだ。
今はこの部屋が、たいして広くも無い2Kの部屋が、夜になると真っ暗で大きく広い廃屋になった屋敷のように感じる。
その真ん中にひとりっきりで俯いて、じっと耐えている自分。
そんな自分の置かれた状況から逃げたくて、これからも折に触れ人を呼んでかりそめの酒宴を開くことだろう。
それが終ったらまた揺り戻しが来るとわかっていても。
私は弱い・・・・・・私は愚かだ・・・・・・
思う事がある。
祥一郎を喪った悲しみを真正面から受け止め、逃避せずにその中で生きていける強さが欲しいと。
来る日も来る日も涙を流し、髪を掻き毟り、地べたに這いつくばって祥一郎の名を呼びながら
一日24時間、一年365日が過ごせる強さが欲しい・・・・・・・・・・・
祥一郎・・・・・
おっちゃんはお前を喪った悲しみ苦しみにどっぷり浸かって、それでもこの世に常命の尽きるまで
存在し続け、その後必ずお前に逢えるのなら、そうすべきなのかな。