何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

スカイツリー、そして東京オリンピック

2016年04月04日 | 何故死んでしまったの
信じられない速さで、この世は流れて行く・・・・・・・・・

この国でも、この街でも・・・・・・・・・・・・


たまにそぞろ歩く荒川の河川敷から見える、東京スカイツリー。
祥一郎がまだ元気な頃に出来たが、一度も行くことは無かった。行こうと思えば行けたのだろうが、そういう話が出なかった。

しかし今はもう行こうとしてもその機会をつくることは不可能。

一緒に行く祥一郎はすでにこの世に居ないのだから。


そして、2020年の東京オリンピック。

私は結構オリンピックが好きで、日本がいくつメダルをとったのと一喜一憂することが楽しみだった。

それを横目に、祥一郎は、

「オリンピックなんて、どこがおもろいん?馬鹿馬鹿しい。」

そう、あいつはオリンピックが嫌いだった。

「ええやろ。年寄りには楽しみが少ないんや。」なんて私は言い返したものだが。


でも、わたしは密かに計画していたのだ。

今度の東京オリンピックの開会式のチケットをなんとしてもどんな手を使ってでも購入して、祥一郎をなんとか説得して一緒に行こうと。

生きている内に、自分達が住んでいる国、街でオリンピックの開会式をリアルで観覧できるなど、
そんなチャンスはそうそう無いはずだから。

高いチケットを二枚買ってしまえば、なし崩し的になんとかあいつを無理矢理引っ張っていけるだろうと。

二人で見る開会式・・・・・・・・・

二人がもっと歳をかさねれば、開会式をこの目で一緒に見たというそれなりの良い想い出になっただろう。

東京オリンピック開催が決まったときからの、私の7年越しの計画だった。


でも、もうその想い出作りの計画は雲散霧消してしまった。

2020年がやってくる5年も前に逝ってしまった祥一郎・・・・・・・・

私がこの話をおくびにも出せずに、あいつは逝ってしまった。


そういえば今年、リオデジャネイロでオリンピックがあるのだった。

私は多分そのニュースに聞き入ることも無く、テレビ観戦すらすることはないだろう。


オリンピックだけじゃない。

やれ新幹線がどこそこまで延長しただの、東京に日本一高いビルが建っただの、誰それがノーベル賞をとっただの、皇室に慶事があっただの、これからもそれなりに市井の人々が心浮き立つ出来ごとがあるだろう。


そういう話しを何気に二人で話題にしたり、新しい施設に祥一郎と二人で行くことはもう無い・・・・・・・

そう、信じられぬ速さで流れて行く世の中を、二人で見ることはもうできないのだ・・・・・・・・・・


そして私はその流れにひとり取り残され、いや敢えて流れに乗ること無く、祥一郎と共に過ごした過去に生きることになるのだろう。

私はある意味、過去の人間になってしまったのだな。

あの20数年が終った時から・・・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・おっちゃんは歳をとっていく。

でも心はお前と暮らしたあの頃に置いたまま、老いさらばえていくんだよ・・・・・・・・・・

覚悟がある人になれなかった・・・・・・・・・・・・・

2016年04月03日 | 何故死んでしまったの
祥一郎がもしガンだと本人も私も分かっていて、入院してそれなりに闘病生活をして、その後逝ってしまっていたなら、私はどう思い、どう感じていただろう。

(もしかしたら祥一郎は、もう駄目かもしれない。)

という覚悟が出来て、心の準備が整っていただろうか。 謂わば覚悟がある人になれただろうか。

それとも、これだけやるだけ一生懸命やったのに、何故逝ってしまったんだ?という悔しさや悲しみが湧き上がって、覚悟もなにも吹っ飛んでしまっていただろうか。


もしも、の話でしか無いけれど、そんなことも想像してみる。

死別した方の中でも、期間は様々あれど、闘病と看病の末、最愛の人を亡くした方もいるだろう。


そいういう方と、私のように覚悟も何も無く、あまりに予想だにしなかった結末を迎えた者との悲しみの種類は違うのだろうか。


前日まで、明日病院にかかれば何とかなる、まさかその日の朝に亡くなるなんて思いもしなかった。
そして突然倒れ、断末魔のような叫び声の後、私の膝の上で大量吐血しながら息絶えて行った祥一郎。

そんな経験を、場面を目の前で見てしまった私の、その後の感情の推移と、ある程度覚悟があった人たちとのそれは何か違う面があるのだろうか。


聞いてみたい気もする。


心の中では、「私の悲しみは貴方達よりもっともっと深い。」などとどこかで思っているのかもしれない。


でも実際は、違いは多少あるとしても、愛する者を亡くした悲しみ苦しみの大きさは、なんら変わる事はないのだろうなとも思う。

隣の芝生は青く見える、でも実際はそれほど変わらない、そういう事なのかもしれない。


今、グリーフカウンセリング、要するに最愛の人を亡くした人が受けるカウンセリングだが、それを受けようかどうしようか迷っている。

亡くし方はそれぞれ違いはあれど、似たような経験をした人達と語り合う事で、なにかヒントになればと思っているのだが。

そして、その後の生き方に違いがあれば、何故違うのか、違っていることでお互いに参考になることがあるのか、それも知りたいと思っている。


実際に本当に受けるかどうかはわからない。

ある程度お金もかかるし、金儲けの臭いがプンプンするような団体も有るようだし、さりとて安い費用でカウンセリングを受けても、それなりにしかならないような気もする。


とにかく4月頃には結論を出そうと思っている。


話は変わるが、
さきほど通院している心療内科に行って来た。


「先生、私は鬱なのでしょうか。」という問いかけに医師は

「抑うつ状態であるのは確かですね。」とのこと。

「あまりに大きなストレスが外部からかかってしまった為、そうなったのです。」とも。


では、私は普段どのように生活をしていったらいいのでしょうかという質問には、

「とにかく、家に一人で居ないことです。ますます落ち込みますからね。誰かと逢うなり、会話するなり、それができないなら、喫茶店でお茶を飲むだけでいいです。表に出ましょう。」


と。まあこちらの予想通りの答えで、わかりきった答えでしかなかった。

そんなことが休みの度にできたら苦労はしないのだけれど。

喫茶店でお茶を飲む?祥一郎が亡くなってから何度かそうしたけれど、楽しそうに会話する他の客を呆然と眺めて、よけいに疎外感、喪失感が大きくなったので、以来喫茶店のような場所には一人で近づかないようにしている。

結局、ひとりで部屋に居てもなんとか過ごせるように、間違ってもリストカットなどしないように自分自身で慣れていくしかないのだろう。

私の帰る場所は、この祥一郎と暮らしたこの部屋しかないのだから。

祥一郎の肌着を引っ張り出して、泣きながら眠りについた昨夜のようなことを繰り返しながら、
この環境になんとか折り合いをつけていくしかないのだろうな。

気が遠くなるような気もするが・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・・・・・ 逢いたいよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トレーニングする祥一郎

2016年04月02日 | 何故死んでしまったの
「はっはっはっはっはっはっ」

「どすっどすっどすっどすっ」・・・・・・・・・・


私が帰ってくると、祥一郎はパソコンデスクに座っていない。


こんなときはいつも隣の部屋でトレーニングをしている。

とにかく最低二日に一回は必ず、時間を決めて身体を鍛えていた。


勿論専門のお高いトレーニングマシンが有るわけもない。まあストレッチや体操を組み合わせて自分なりに工夫して一生懸命やっていた。
それこそ何十年も継続して。

私など、年齢もあってもうとっくにメタボ体型になっていくことに諦めていたけれど、祥一郎は

「絶対お腹が出たり、痩せていくのはいややねん。」

と、友人にも言っていたそうだ。まあよく続いたこと。

お陰で祥一郎の肉体は、ボディビルダーのあんなムキムキではないが、均整のとれた、細マッチョとでもいうような体型を維持していた。

劇団関係の仕事を以前していたからなのだろうか。

それともゲイ特有の肉体美を維持したいというナルシズムからなのか。

単に健康の為か。

おそらくどれも理由なのだろう。

私が買い物に早く行こうといっても、

「体操せなあかんから、待って。」と言って私を待たせ、「ちょっと、私にも予定があんのよ。」と、二人がちょっとした揉め事になることもあった。それほどトレーニングを生活の中で重視していた。


ここ1年~2年ほどは、区内にみつけた公営の安いトレーニングセンターにときおり通っていたな。

帰って来ては、

「茶髪の、へんなオネエっぽい奴が居ったわ。あれ絶対ホモやで。」
「まあ昼間行ったら、じいちゃんばっかりで、景色の悪いこと。」
「スタッフの兄ちゃんが、なにかと話しかけてくるねん。うちに気があるのやろか。」

等々、聞きもしないのに報告してくれた。

あいつのツイッターの最後の呟きも、亡くなる半月ほど前の、

「日曜のスタッフのBGMのチョイスは、中島みゆきやけど、あれってどうなん。」

だった。12月の5日の最後の呟き・・・・・・・・・・それ以降呟きは何も無いけれど・・・・・・・・


調子が悪くなってからは思うように体操も出来ず、腹水で腹が膨れてきてきっとかなりなストレスだったろう。
そんな状態も一週間か十日余りで、あっという間に祥一郎は逝ってしまったけれど・・・・・・・・



貧乏は貧乏なりに、工夫して自分の体型を維持していた祥一郎。

あの継続力には私も感服していたけれど、願わくばその情熱がもっと自分自身の他の健康維持に向かっていれば、こんな結末ももう少し違ったものになったかもしれない、という思いも無いではないが・・・・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・

おっちゃんはメタボじゃなくなったよ。鍛えたからじゃなく、お前が亡くなって10キロほども痩せてしまったからね。お腹もげっそりへこんじゃったよ。

こんなおっちゃんを見たらお前はなんと言うだろう。

「ええやん、ちょうどええ機会やからトレーニングしたら?細マッチョになれるで。」

なんて言うだろうか。


うん、おっちゃんがそっちに行ったら、一緒に二人で組んで体操しようね。

おっちゃん楽しみにしてるよ・・・・・・・祥一郎・・・・・・・・・

奪われるのは、もういい・・・・・・・・

2016年04月01日 | 何故死んでしまったの
別にもう夢も希望も無い。

50もとっくに過ぎて、あとはどう枯れていくかを考えるこの数年だった。

ただ、祥一郎とともにどう歳を重ねて行くか、それだけが後の人生の課題だった。


それがたがを外された・・・・・・・祥一郎の死によって。


何故だ、何故こうも私の人生には禍々しい影ばかりがつきまとう・・・・・・


両親の愛も知らず(というか初めから無かったようなものだが)、根を張るつもりが住む場所も転々とし、今度こそはと覚悟を決めた仕事にも見放され・・・・・


そしてやっと家族と思える人とも死別してしまった。

唯一の温かいものを手に入れたと思い、共に白髪の生えるまでと決めていたのに、それさえ奪われてしまったのだ。

奪われていくものばかりのここまでの人生だった。


あと、私には何が残っているのだろう。

このくたびれ果てた命だけじゃないか。


そんなもの、いつでも奪っていくがいい。何が、どんな存在が奪っていくのか知らないが、熨斗をつけてくれてやる。


こんな、こんな思いをするのなら、もっと先に私の命を奪って欲しかった・・・・・


祥一郎・・・・・・

こんな愚痴をこぼす私は間違っているかい?

立ち直って、前を向いて生きろと言うのかい?

僕の分も生きて欲しいと言うのかい?


おっちゃんはもう疲れたんだよ・・・・・・・

この世は修行の場だと言うのなら、もう十分修行はしただろ?

悲しい、痛い、苦しい、切ない思いはもう十分しただろ?

まだ生きろというのなら、何に縋って生きて行けばいいんだい?

祥一郎・・・・・・・・


疲れたよ・・・・・・・・・・・

お前がそっちに居るのなら、手を差し伸べておくれ・・・・・・・・・・


また一緒に暮らそう。何の不安も心配も無い世界で・・・・・

月命日・・・・・・・・・・あれから三ヶ月

2016年03月28日 | 何故死んでしまったの

三ヶ月・・・・・・・・・・


あの日からもう三ヶ月・・・・・・・・・・


長かった。本当に長かった。

祥一郎、お前のことを24時間想い、過ごしてきた。

何度泣き、何度錯乱し、何度大声を上げ、何度死にたいと思ったことだろう。


あまりにも膨大な、そして様々な想いを抱いて過ごしてきたから、こんなにも長く感じるのだろうか。

しかしあの、お前が徐々に体調を崩していく経過、そしてあの日の朝のお前との永訣の瞬間は、まだ昨日のことにように鮮明に私の目に、というか私の全身に焼きついている。

不思議な感覚。

一瞬前の出来ごとのように感じるのに、過ごした時間は長く感じる。

そう、まるで私の時間軸が二つ有って、ひとつはあの瞬間で止まったまま、そしてもう一つはその後の悲しみのためだけのゆっくりゆっくり進む時間があるような。


人は年齢を重ねるとともに、月日の経つのが早く感じるという。

でも、この悲しみ辛さ、後悔や自責の念は、いつまでもいつまでもまるで澱んだ川のように流れもせず、私に残って行くのだろうな。


祥一郎・・・・・・・・・・・

お前が去年の末に買ってくれたカレンダーを、もう三枚めくることになるよ。
おっちゃん一人が過ごすことになってしまった月日が刻まれているカレンダーだ。

買い物に行く日を忘れないように、職場からもらったシフト表に赤丸をつける作業をしなくなってもう三ヶ月だよ。

お前が食べることの無くなった冷凍食品もまだ冷蔵庫に眠っているよ。

そのほかにも、乗ることの無い自転車、靴、布団、服、化粧品や石鹸、小物類、そして音のしなくなったお前のスマートフォン。

まだまだお前の痕跡に囲まれて過ごしているよ。


祥一郎・・・・・・・・・・・

きょうは仕事だからごめんね。

明日花を買ってくるよ。そして一緒に一献傾けよう。


最近夢で逢いに来てくれないね。

もう落ち着く場所に落ち着いたのかな?

でもおっちゃんは思い切り念を込めて、たまにはおっちゃんの元に来てくれるよう祈ることにするよ。

できるなら、できることならその祈りに答えておくれ。

愛する祥一郎よ・・・・・・・・・・・・・・・・