何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

どう生きたらいいの?・・・・・・祥一郎・・・・・

2016年02月29日 | 日記
私はもう齢55。


祥一郎を亡くし、後の余命はあとどれほどのものなのだろう。。


そしてその命をどのように使用し過ごしていったらいいのか。


人は誰かに何かに寄り添ってしか生きられないとしたら、私は何をどうやってそれを見つけたらいい
のだろう。


おそらくこれからも、少ないながらもそれなりの短い出会いは有るかもしれない。

しかし祥一郎の代わりが見つかる可能性など皆無に等しい。いやそもそも祥一郎の代わりなど有るわけもないのだ。


ではたったひとりで何のために生きる?


生きる為に生きる?この世は修行であって死んだ後光の世界へ行く為?


与えられた寿命をまっとうするのがこの世の摂理だから?単に生存本能に従って?


少なくとも誰かの、何かの温かみがまったくないまま生きるのだとしたら、それは人間として生きることになるのだろうか。


今から何かを必死になって見つける?


私にそれができるのだろうか。見つけるだけの気力体力が残っているのだろうか。





祥一郎………私はお前無しで、何に寄り添い、どこへ行けばいいのだろう……


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