「苦労をかけたね・・・・・・・・」
そう祥一郎に伝えられずに、この世とあの世に隔てられてしまったことが悔しい。
思えばあいつと出逢ってから、私の転職は7~8回、転居が5回。
私の生々流転の人生に付き合わせてしまった。
祥一郎にも多大なストレスを与えてしまったことだろうと思う。
別に好きでそんなに転職したわけではない。
店長をしていた店が人手に渡り、給料がまともに払われなくなったり、酒を飲む商売なので、身体を壊したり。
水商売を辞してからも、新たな事業の店舗に勤めたはいいが、すぐ潰れてしまったり、部署そのものが廃止になったり、わたし個人がリストラに遭ったり。
そんなことの連続だった。好きで辞めた仕事など殆ど無い。
そしてそれに伴って、オーナーから借りていた部屋を出ざるをえなくなるので、転居も多くなってしまった。
それに加えて、なまじ東京にも大阪にも縁があったので、東京から大阪、そしてまた東京に逆戻りという、この20数年間だった。
まあ、幼少期から東京大阪を親の都合で行ったり来たりの人生だったから、成人してからもそれから逃れられなかったわけだ。
祥一郎と出逢う何年も前に、ある占い師に、「貴方、今の職場を辞めたら、もう二度と安定した仕事に出会えないわよ。」
と言われたことがある。妙に引っ掛かっていたその言葉通りの人生になってしまったわけだ。
私はどちらかというと保守的な方だ。
ひとところに落ち着いてずっと過ごしたい性分だ。逆にそういう人生だったからこそそんな性分になったのかもしれないが。
辞める必要の無い安定的な仕事、転居する必要の無いそれなりの住まい。
それらがあったなら生活も安定し、祥一郎と出逢ってからもそれほどストレスを感じさせずに済んだかもしれない。
いや、なにより祥一郎の健康にもっと気を配ってやれたかもしれない。
祥一郎に言われたことがある。
「だって、またいつ引っ越しになるかも知れんし、おっちゃんが仕事変わるかも知れんし、うちだって落ち着いて仕事探されへん。」
確かにそうだと思う。逆の立場でも私はそう思っただろう。
それでも出逢ってから10年くらいは、祥一郎は途切れ途切れでもそれなりのアルバイト等をしてくれていた。
そして東京へ舞い戻る少し前に肝炎で入院、別の病気の発覚。
祥一郎の立場からすれば、それ以降は自分の人生に落胆しても当然と言えば当然だろう。
「あーあ、こんな人についてきたばっかりに・・・・・・」
などと思っても不思議ではないと思う。
それでも祥一郎は着いてきてくれた。
収入は減る一方で、生活は苦しくなるばかり、部屋も粗末な部屋を選ぶしか無く、日々の暮らしに汲々とした後半の10年余りだった。
そんな私に祥一郎は、
「うちはなんだかんだ言うても、おっちゃんの事が好きやで。」
と言ってくれた。
事実、好きでも無ければこんな不安定な甲斐性の無い男については来ないだろう。
こんな私に「好きだ。」と言ってくれた唯一の存在、祥一郎。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ごめんね、祥一郎。
おっちゃんもっと暮らしを良くしようとしたけど、駄目だったよ・・・・・・・
お前にろくな事もしてやれなかったね。楽しみの少ないおっちゃんとの暮らしだったろうね。
そして、お前の死が迫っていたことさえ気づかずに、死なせてしまったね・・・・・・・
おっちゃんにもっと余裕があれば、あれもこれもしてやれたのに・・・・・・・・後悔先に立たずと言われても、そう思ってしまうよ・・・・・・
だから、せめてせめておっちゃんの後の人生は、お前の菩提を弔い、お前との想い出だけを生きる糧にして過ごすしかないんだ。
許してくれとは言わない。
そうすることで、後の人生お前の為に何ができるかやるだけやった後で、おっちゃんが死んだとき、お前に報告するよ。
きっとまた「おっちゃん、相変らずやったなあ。」
なんて言われるかもしれないけどね。
できるなら、案外早くそんな日が訪れることを祈っているんだ。
ねえ、祥一郎・・・・・・・・・・
そう祥一郎に伝えられずに、この世とあの世に隔てられてしまったことが悔しい。
思えばあいつと出逢ってから、私の転職は7~8回、転居が5回。
私の生々流転の人生に付き合わせてしまった。
祥一郎にも多大なストレスを与えてしまったことだろうと思う。
別に好きでそんなに転職したわけではない。
店長をしていた店が人手に渡り、給料がまともに払われなくなったり、酒を飲む商売なので、身体を壊したり。
水商売を辞してからも、新たな事業の店舗に勤めたはいいが、すぐ潰れてしまったり、部署そのものが廃止になったり、わたし個人がリストラに遭ったり。
そんなことの連続だった。好きで辞めた仕事など殆ど無い。
そしてそれに伴って、オーナーから借りていた部屋を出ざるをえなくなるので、転居も多くなってしまった。
それに加えて、なまじ東京にも大阪にも縁があったので、東京から大阪、そしてまた東京に逆戻りという、この20数年間だった。
まあ、幼少期から東京大阪を親の都合で行ったり来たりの人生だったから、成人してからもそれから逃れられなかったわけだ。
祥一郎と出逢う何年も前に、ある占い師に、「貴方、今の職場を辞めたら、もう二度と安定した仕事に出会えないわよ。」
と言われたことがある。妙に引っ掛かっていたその言葉通りの人生になってしまったわけだ。
私はどちらかというと保守的な方だ。
ひとところに落ち着いてずっと過ごしたい性分だ。逆にそういう人生だったからこそそんな性分になったのかもしれないが。
辞める必要の無い安定的な仕事、転居する必要の無いそれなりの住まい。
それらがあったなら生活も安定し、祥一郎と出逢ってからもそれほどストレスを感じさせずに済んだかもしれない。
いや、なにより祥一郎の健康にもっと気を配ってやれたかもしれない。
祥一郎に言われたことがある。
「だって、またいつ引っ越しになるかも知れんし、おっちゃんが仕事変わるかも知れんし、うちだって落ち着いて仕事探されへん。」
確かにそうだと思う。逆の立場でも私はそう思っただろう。
それでも出逢ってから10年くらいは、祥一郎は途切れ途切れでもそれなりのアルバイト等をしてくれていた。
そして東京へ舞い戻る少し前に肝炎で入院、別の病気の発覚。
祥一郎の立場からすれば、それ以降は自分の人生に落胆しても当然と言えば当然だろう。
「あーあ、こんな人についてきたばっかりに・・・・・・」
などと思っても不思議ではないと思う。
それでも祥一郎は着いてきてくれた。
収入は減る一方で、生活は苦しくなるばかり、部屋も粗末な部屋を選ぶしか無く、日々の暮らしに汲々とした後半の10年余りだった。
そんな私に祥一郎は、
「うちはなんだかんだ言うても、おっちゃんの事が好きやで。」
と言ってくれた。
事実、好きでも無ければこんな不安定な甲斐性の無い男については来ないだろう。
こんな私に「好きだ。」と言ってくれた唯一の存在、祥一郎。
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ごめんね、祥一郎。
おっちゃんもっと暮らしを良くしようとしたけど、駄目だったよ・・・・・・・
お前にろくな事もしてやれなかったね。楽しみの少ないおっちゃんとの暮らしだったろうね。
そして、お前の死が迫っていたことさえ気づかずに、死なせてしまったね・・・・・・・
おっちゃんにもっと余裕があれば、あれもこれもしてやれたのに・・・・・・・・後悔先に立たずと言われても、そう思ってしまうよ・・・・・・
だから、せめてせめておっちゃんの後の人生は、お前の菩提を弔い、お前との想い出だけを生きる糧にして過ごすしかないんだ。
許してくれとは言わない。
そうすることで、後の人生お前の為に何ができるかやるだけやった後で、おっちゃんが死んだとき、お前に報告するよ。
きっとまた「おっちゃん、相変らずやったなあ。」
なんて言われるかもしれないけどね。
できるなら、案外早くそんな日が訪れることを祈っているんだ。
ねえ、祥一郎・・・・・・・・・・
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