も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

5月25日 伊勢鉢山登山

2019-05-25 17:47:50 | 日記
女性3人を連れての軽い山登りに行こうとなった。
昼はそのうちの女性宅でカレーライスをご馳走してくれるので昼までには戻ってこようと出発した。
そうなれば限られている。
木古内方面となればなかなか山は無い。
当別丸山は何度も行ってるし、桂岳に向かう林道で花を見るのみ良い。
しかし決まったのは伊勢鉢山だった。
恐らく5~6年前に登ったきり、その後は登っていない。
国道から林道を通ってA(仮)さん宅の前に車を止める。
「こんにちは」と言って玄関を開けたらお母さんが他の部屋から顔を出した。
「函館の毛利です。お久しぶりです。
すぐに思い出してくれた。
「毛利さん、前会った時より若くなっている!」との言葉。
このお母さんは88歳になった。
でも5~6年前と全く変わっていない。
実は出会いには経緯があって、伊勢鉢山に登りに来た時、車を置く場所が無かったので、この家の空き地に止めさせて貰おうと玄関を開けた。
そうしたら「毛利さんですね」と言われた。
え~なぜ知っているの??
聞いたら江差町にある桧山支庁で、土方歳三の講演を行ったときに、ご夫婦で聞きにきてくれたそうだ。
お父さんが強烈な土方歳三ファンだった。
宮崎に住んでいたが、土方関連で京都に移住し、さらに箱館戦争絡みで北斗市の現在の場所に移住したのだ。
そしてここで酪農を始めた。

私が山に向かって歩いていたら、後ろから男性が犬を連れてやってきた。
お母さんから、毛利さんを頂上まで案内するように言われて、後を追いうかけて来たのだ。
一緒に山に登り、帰りは家に寄って新撰組や土方歳三の話で盛り上がった。
この時はすでにお父さんは亡くなっていた。
これが初めての出会いで、それからは何度か訪問はしていた。
それから5~6年ぶりである。
家の前には色々な花が咲いており、同行した女性たちも楽しそうだった。
中でも本霧島つつじの赤は見事であった。

故郷の思い出の木なんだろうか。
他にも珍しい花があり、開花する頃にまた来ようとなった。




山に登る事にする。
いつもの道がずいぶん立派になっている。
砂利もしっかり入って固く踏まれている。
しばらく行ったら分かった。
高規格道路の工事中だった。
山に行く道が消えてしまって無くなっている。
仕方がないので、藪を漕いで行く事にする。
笹が結構伸びていて、なかなかの苦戦だ。
かなり登ったら山道が出てきた。
しかしその道も木が生え草が生えて道の用をなしていない。
軽い登山の積りが、結構な登山になった。
熊の糞も3か所で比較的新しいのが見られた。

熊が蟻でも探していたのか、木をひっかいで穴を開けていた。

ようやく頂上に着いた。
ここは景色がさほど良くない。
帰りはどうしよう。
高規格道路工事の道に向かって別ルートで行く事にした。
旨く行けば半分くらい下った所に道があるはずだ。
再び藪漕ぎをする。
登りよりははるかに楽だ。
しかし途中から大量の倒木で、なかなか前に進めない。
強風でこのあたり一帯の木が相当な規模で倒れたらしい。
途中からコースを外れて、工事道路目掛けて、まっすぐに下っていく。
途中でヒドケの群生を発見。
沢山採った。

予定した通りに何とか出られた。
この山は今時期は来れる山では無くなった。
冬しか無理かも知れない。

下ってお母さんとまた話す。
まずはこの家の敷地にある蕗を採らせて貰う。
すごい立派な蕗があるのだ。

そして強風で倒壊した大型倉庫や家がある。
2階建ての大型倉庫が倒れて、柱が道端に散乱している。
お母さんにこの木はどうするのかを聞いたら、放置するし無いという。

それなら貰えませんかと聞いたら、全部持って行って良いよと言う。
でもそんなに持って行けないなと言ったら、何年かかっても良いから持って行ってとなった。
これだけの薪が有れば自遊旅の暖房は5~6年分は確保できる。
でも運ぶトラックをレンタルか何かをしないといけないな。

お母さんと別れて、久根別の女性宅でカレーライスを頂く。
カレーライスはそれぞれの家の特徴があり、楽しく食べられる。

明日は函館市主催の恵山親子登山の日なので、お手伝いに参加する。