も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

5月16日 一気に函館へ

2019-05-16 16:03:36 | 日記
朝は5時頃起きる。
新聞を一通り読んで外に出て車の洗車をする。
そして自転車のホイールを前後外して、自転車は後部座席にきっちり収まった。
自転車のサイドバッグはトランクに入れきっちり収まった。
9時頃まで妹のパソコンの設定をしてあげた。
も~さんブログも見られるようになった。
二人に見送られて出発する。
今度来るのは大曲の花火の後になりそうだ。
国道7号線に出て能代を目指す。
やはり車は早いな。
自転車旅で何度も見慣れている景色がどんどん通り過ぎていく。
能代から大館経由か鰺ヶ沢経由か迷ったが、車の少ない鰺ヶ沢経由にした。
日本海の岩場の海岸は今日は穏やかだ。



深浦海岸が出てくる。
秋田から何時もはこの辺りが宿泊場所だった。
前回泊まった場所に車をおいた。
ここからは夕陽が綺麗に見える。

鰺ヶ沢、五所川原と進む。
ここで金木オートキャンプ場に行こうか迷った。
もしフェリーの予約が取れなかったら行こう。
フェリーターミナルに電話したらあっさり取れてしまった。
ターミナルには2時前に着いた。
自転車なら3日は掛かるのだが、車だと半日も掛からない。
フェリーに自分の車を乗せるのは昔キャンピングかーを持っていた頃以来と思う。
恐らく50年位前になるかも知れない。
無事乗船して客室で一眠り。
船は津軽海峡の半分は進んだ。
残り半部をまったり過ごして、7時には家に着くだろう。

5月15日 車の緒手続き

2019-05-15 16:00:35 | 日記
妹の旦那さんから頂いた車だが、預かっているスタッドレスタイヤが直ぐに出せないと言うことで、8月のねぶたか大曲の花火の後に、函館に持ち帰ろうと決めていた。
所が車の書類を見たら、車検が7月で切れる事がわかった。
そうすれば8月には動かせない。
車検が切れる前にもう一度秋田に来るのは大変だ。
そこでカローラの営業マンにお願いしたら、タイヤ保管しているブリジストンに連絡して受け取りが可能になった。

その前に譲渡に必要な印鑑証明を貰いに行く。
潟上市役所支所に行ったら印鑑登録は出来ないと言う。
既に登録している証明書の発行のみだと言う。
今度は潟上市役所に行く。
手続きの中でマイナンバーカードが無ければ駄目だと言う。
家に戻りカードを持って再び市役所へ。
ようやく印鑑証明書が貰えた。
マイナンバーカードが無かったら、今回の車の持ち帰りは不可能だった。
次に卸団地にあるブリジストンに行く。
タイヤは保管庫から出していてくれた。
車に積んで、今度はカローラに行く。
譲渡証明や委任状を作る。
これは譲渡者の直筆でなければ駄目だった。
秋田に居る内に手続きに動いて良かった。
緒手続きが全て終えて、明日には函館に向かって帰ることが出来る。
夕方近くに住んでいるタカ、育代ご夫妻の家に行く。
5月の四国の大角かれいキャンプ場でも一緒にキャンプした仲間だ。
タカ、育代ご夫妻はいずれ家を建てる予定で、その時は鋳物の薪ストーブにすると言うことで、どうやって薪を集めるのか、薪小屋はどうするかなど色々話した。
私も薪を集めるのに苦労したが、今は解体業者から家の柱を貰えるまでになった。
暖房費ゼロは大きい。
何とか薪が集まるようになって欲しい。
その後育代ちゃんが帰ってきて3人で話す。
今年の大曲の花火は芝生の席で見ようかとなった。
1000円の席でゆったり使えるのが魅力だ。
ここだとテントも張れるので、大混雑する帰りも避けられる。
楽しい一時も終わって帰宅。

5月14日 秋田の妹宅に来る

2019-05-14 15:55:29 | 日記
フェリーの船内では海を見てばかり過ごした。
陸地は霞んで見え無いので波ばかりだ。
夜の8時には寝てしまった。
久しぶりのベッドは寝心地よく4時半まで寝ていた。
フェリーは20分くらい早く着いた。


秋田は風がひんやりしていた。
やはり北に来た感がある。
妹の家までは約10kmある。
のんびり走って到着。
少しして朝食を頂いた。
久しぶりの話に花が咲いたが、旦那さんは温泉に行くとなり、妹は美容室の予約を入れてあると言うので、旦那さんの車を借りて、妹を美容室まで送っていく。
私は県立博物館に行く。
なかなか見所のある博物館だ。
昔の人力車や駕篭に興味があった。


さらに昔の人の木の切り方。
縦方向に木のくさびを数本入れ、石の付いた斧で叩いて割る。


他にも色々見て楽しんだ。




一番興味のあったのは菅江真澄の展示があった。
北海道の道南を旅している。「ひろめかり」「えぞのてぶり」「えみしのさえき」の本を書いているが、「ひろめかり」の足跡を追い旅したことはあるが、他はしていないので、これにも挑戦したい。

次に旧奈良家住宅に行く。
1751ー1763年に作られた家。
130坪もある。
国の重要文化財になっている。





次に水心園に行く。
庭園が綺麗だった。




直ぐ向かいの菖蒲園に行ったが時期は合っていないか。
立派な東屋に野宿場所に良いなと思ってしまう。


妹宅に戻る。
美容室に行った妹が娘と帰ってきた。 
店では親子と知らなかったみたい。
今日初めて美容室で一緒になったそうだ。

旦那さんがもう車の運転を止めると言う。
来週カローラで廃車処分と言う。
見たら外観、室内ピカピカだ。
親戚も皆車を持っていて、誰も要らないと言う。
そこで私が貰うことになった。
1週間遅かったら廃車になっていた。
私のポンコツより数10倍良い車だ。
大曲の花火の時に貰いに来る事になった。

5月13日 フェリーで秋田に向かう

2019-05-13 08:21:34 | 日記
2日間お世話になった文化センター隣の公園を後にする。


砂の採集に気比松原の浜に行く。
丁度朝日が出てきたので写真を撮っていた。

その時、グレーの制服を着た女性が走ってきた。
すみませんここをヘリコプターが飛ぶんで退いてくれませんかと言う。
その内、低空飛行のヘリが来て着陸。
給油をしているようだ。
そして飛んでいく。
その内又来て同じ動作を繰り返す。
訓練中なのかな。


砂の採集をする。
ここの砂はガイドの話に寄れば、海水浴で濡れた体に付いても乾けばポロポロ落ちるそうで、大学教授も研究して、日本でも珍しい砂だとなっているようだ。

このあと敦賀最後の観光で西福寺に行く。
徳川家康ゆかりの名刹で国の重要文化財になっている。
現在修復中だった。





時間が早いので有名な庭は見られなかった。
戻って公園の東屋でパンを食べていたらランニングの男性が立ち寄り暫く話す。
昨年函館に行ったそうだ。
又歳を聞かれる。
フェリーターミナルに行く。
まだ時間は十分ある。
自転車の荷物の整理をしていたら親子と思われる女性が来て、四国を回ってきて、そこから敦賀に来たと言ったら驚かれて、又歳を聞かれる。
75才と言ったら、信じられない、すごいと言われてしまった。
気をつけて帰ってねとの言葉。
有り難う。
フェリーに乗船する。
徳島の佐藤さんから電話が来る。
風の庵(かぜのいおり)がオープン状態になったそうだ。
漆喰塗りに相当苦労したようだ。
取り敢えずお客さんを泊められる状況になったそうだ。
無料の旅人宿が増えるのは嬉しい。
是非行ってみたいが難しいだろうな。
出航して直ぐにお風呂に入る。
何度も何度も洗って、蒸気サウナに入ってスッキリした。
体重は4kg落ちていた。

シアターで映画を見たが難しい内容の映画。
若者は1人も居ないんだから分かりやすい映画にすれば良いのに。
船内は空調が効いていて短パン半袖では寒い。
2度目のお風呂に入る。
夕食はカップラーメンで終わり。
まだ秋田まで12時間ある。
長いな



5月12日 敦賀最後の日

2019-05-12 14:53:21 | 日記
明日の午前10時発の秋田行きフェリーに乗るので今日は敦賀最後の一日になる。
最近は暖かくて短パン1枚にtシャツとウインドブレーカーで良くなった。
朝一番で美浜に行くことにする。
海岸の綺麗な水晶浜や丹生の浦があると言う情報を仕入れた。
距離は往復26kmだ。
今はこの距離を聞いても遠さは感じない。
海岸沿いの道を走っていく。
途中に気比の松原がある。
塩害防止のために松が植えられたのだが、長さが1.5kmで40万㎡もある。
三保の松原、虹の松原と並ぶ日本三大松原だ。


6km位走ったら看板があり、今日の9時半から12時半迄全面通行止めと書いてある。
何があるんだろう。途中に長い登りの峠があった馬の背峠だ。

ここで一汗かく、トンネルはずっと登りで車がどんどん来る。
長いトンネルなので排気ガスが充満している。
ようやく抜けて海岸に着く。
警察官がいて右に行くの左に行くのと聞くから、水晶浜に行くと言ったら、目の前の浜が水晶浜だと言う。
どうやらこの人出は美浜町五木ひろしふるさとマラソンだった。

大型バスがどんどんやってくる。
水晶浜は綺麗な砂浜だった。
2段の砂丘で重い水晶の入った砂は波うち際の方に、軽い砂は一段上まで上げられている。


次に丹生の浦に行く。
こちらは砂の粒子がとても小さくてさらさらだ。

遠くには美浜原発の建物が見える。
砂を採集してきた。


急いで戻る。
通行止めになったら大変だ。
海岸を見ながら楽しいツーリングだ。

朝におにぎり1個のみなのでお腹が空いてきた。
アルプラザの6回に敦賀名物ソースカツ丼があった。
小を注文する。
カツは2枚。
薄いカツにソースが掛かっている。
食べたがカツは美味しいがソースが濃過ぎる。
今一つの感がある。


次に行ったのがみなとつるが山車会館。
敦賀の祭りが見られる。
凄いのは人形に着せる鎧兜は本物であると言うこと。
古くから伝わって来ているものを大事に使っている。




次にきらめきみなと館に行く。
フードスペースがある。
立派な施設なのに誰もいない。


ここでゆっくり観光巡りのプランを考えていたら、男性スタッフが何度も来て情報を教えてくれた。
それにしたがって、敦賀鉄道資料館に行く。
昔は港に入った船に繋がる鉄道があったのだ。
ここのボランテアのおばちゃんと話すが30分くらい話した。
日立の鉄道車両のプレートがあり、私も日立と書いたレーパンをはいている。
先日来た女性も日立の社員で喜んでいたそうだ。



ここのおばちゃんにソースカツ丼はソースが濃すぎると言ったら、元々の発祥はヨーロッパ軒でそこの先代が海外で修行したさいに考案したものだそうだ。
次にレンガ倉庫群に行く。
1905年に外国人技師が設計したもの。

今は中はレストランになっている。
次に金崎宮に行く。
ここは金ケ崎城跡でもある。

更に階段を登って登って月見御殿跡に行く。
汗だくだ。
ここで城主が月を見たらしい。


下って来て人道の港敦賀ムゼウムに行く。
あのリトリア.カナウスの領事代理杉原が発給したビザが6000人のユダヤ人を救ったと言う歴史。
その受け入れ港がここ敦賀とは知らなかった。
資料も沢山残されいて無料でガイドもしてくれる。
今後更に大きな建物にするようだ。
今日も団体で込み合っていた。