化粧品メーカーのCMソングとして「唇よ、熱く君を語れ」は
渡辺真知子さんの大ヒット曲。
「迷い道」でデビュー、「かもめが翔んだ日」「ブルー」など数々
のヒットを飛ばしてきたが、これぞと挙げてくれた一曲は
シャーリー・ホーンの「Here's To Life」だった。
還暦を過ぎ、コロナ禍の中で出した新アルバムにも収め
られている。
75年にポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に応募して
入賞し、デビューしたのは77年です。
当時は不幸を知らないから「迷い道」とか「かもめ」のような
失恋もの、悲しめの歌を歌いました。その方が私の中では
バランスが取れたんですね。
その後、30代はフュージョンやバンドブームが訪れ、それならば
とジャズやラテン音楽を開拓し始めました。
ジャズでは大人のすてきな世界に憧れ、ラテンはとても情熱的、
パワフルで。それが一体になったのが95年に結成された
「熱帯JAZZ楽団」というビッグバンドでの活動です。
「Here's To Life」を聴いたのはそんなタイミングでした。
40歳くらいかな。指揮者の藤野浩一さんに「ジャズを歌うなら
これがいい」と勧められたのが最初です。
「Here's To Life」の歌詞はとても具体的です。学ぶものは学び、
食べたいものはすべて食べ……。でも、あの丘の向こうが
明るい限り、そこを見てみたい。
夢を追うものだけがその願いをかなえられる……。
そして最後に目標、夢である「Here's to you」と呼びかける。
聴く人はグッとくると思います。
最初はピンとこなかった
この曲に出合って解放された気がしました。人は生きている
と一枚ずつベールを脱いでいく。若い時は恥ずかしいから隠す。
でも、いろんな山を越えるたびにベールを脱がされる。
気がついたらベールなんかもういらない、自分のままでいけば
いいんだと悟る。そして、あの丘の向こうを見てみよう、と。
でも、最初はピンとこなかったんですね。それが変わったのは
藤野さんに「息を長く、少しずつ歌っていくといいよ」といわれ
たこと。その後、両親を9カ月の間に亡くしたことから理解
できるようになり、私の中で光りだしました。
それから3.11があり、来年で10年というタイミングで今度は
コロナ騒ぎです。このトンネルの明るい向こうを信じて抜け
出したい。この曲にはそんな思いも込められています。
「Here's」を今度のアルバムに入れたのはKOBUDO―古武道
―(チェロ・古川展生、ピアノ・妹尾武、尺八・藤原道山)さん
との出会いもありました。
還暦コンサートの際に3人がお祝いに駆けつけてくれて、
「かもめ」を一緒に演奏していただき、ラストはホームバンドで
「Here's」を歌いました。
家もリフォームして歌手生活もリセット
それぞれの分野のエキスパート3人とのレコーディングはすご
かったですね。ものすごい集中力なので、終わった後はみんな
ボロボロになりました。
独立して「Kamome Music」という事務所をつくって今年で10年
になります。無我夢中でやってきました。その間に還暦を過ぎ、
昨年は中島みゆきさんの「夜会」に出演させていただき、今年は
年頭から「唇よ」のCMがバンバン流れ、いい波がどんどん来て、
過呼吸気味。そのままならパンクしていたかもしれません。
週1のラジオパーソナリティーの仕事もラテンがかかると体が
勝手に動いちゃうんです。・・・
・・・
大都会・東京で子育てに奮闘するアッコさんは、地方出身の
元ヤンキー。愛する家族のため、生まれ変わろう・・・。
娘が生まれた時、固く誓ったそうなのですが、消せない“過去”
は今も彼女の心に重くのしかかります。
初めて会う人が私に抱く第一印象はだいたいこんな感じだろう。
「地味」「チビ」「ぽっちゃり」「いわゆるお母さん」
この前なんて、スーパーの入り口でイキった中学生に「おばさん
こっち、見てんじゃねーよ」と絡まれた。「まだ26歳なんやけど
!」と言い返そうとしたけど、なんか本当におばさんっぽくて
やめた。
そんな私を夫は、「顔が豆に似ているね」「サトイモちゃん」
なんて言う。 ウエスト1メートル超えのあんたに言われたか
ないよ!!……と怒りながら、自分の姿を鏡で確認。
……ほ、ほんとだ。産後1年、自分の時間なんてなくて、肌も
ボロボロ。体形もまん丸で、流行はやりの服や歌にもついて
いけない。これが「お母さん」になるということなの?
ただ、私には周りにはひた隠しにしている“見た目”上の
秘密がある。 6年ほど前のことになる。当時20歳の私は
水商売をしながら、クラブ通いや夜遊びに明け暮れていた。
「将来のことを考えなさい!」なんて親に言われても、将来の
ことなんて簡単に思い浮かばなかった。考えることすらも
面倒で「今が楽しければいい!」って本気で思っていた。
虚むなしさからなのか、好奇心だったのか、今となっては
分からない。私は、20歳で初めてタトゥーを入れた。しかも、
大好きなロックバンドのロゴをお腹なかにどデカく、どーんとね。
一度入れるとタトゥーは“癖”になる。最初は服で隠せるお腹
だけと思っていたのに、まわりから驚かれるたびに、今度は
なに入れてやろうか、という気持ちになった。
ずっと容姿にコンプレックスを抱えていた私は、体に何かを
刻むことで、生まれ変われるようにも思えた。
肩、お尻、太もも……。タトゥーは次々と増え、ついに人目に
さらされる腕にもタトゥーを入れた。
「Love the life you live. Live the life you love.」レゲエの
神様こと、ボブ・マーリーの名言(らしい)。ネットで調べて
ノリで決めた。
英語の勉強もしてこなかったから、この言葉の意味もなんの
ことかは分からなかったけど。ただ、その腕に入れたタトゥーで、
私は後に死ぬほど後悔することになる。
23歳の時、私は当時、付き合っていた夫からプロポーズされた。
「東京の大企業のサラリーマンからプロポーズ!?
これで私は安泰じゃー!!!」と喜んだのも、束つかの間。
夫の家族への結婚のあいさつで、私は、完全に針のむしろ
状態になった。「長いわー。タトゥーはそれ一つ?」
初対面の私の右腕の袖をグイッとまくり上げ、顔をしかめた
夫の母。背が高く、浅野温子さんみたいなサバサバした雰囲気
の人で、ぎょろりと目を向けられるだけで、地元の怖い先輩を
思い出し、心臓がググッと縮んだ。
(あぁ、もう今すぐにでも逃げだしたい……)横目で夫に助け
を求めると、黙って下を見ている。
ようやく顔を上げてなんか言ったと思ったら、小さい声で
「焼酎なかったっけ?」。
お前あとでぶっ飛ばすからな。夫の家族全員が鋭い目で私に
注目する中、緊張に耐えきれなかった私はとっさに言った。
「はい。これだけです」 ……やっちゃった。以前、「私はウソ
がつけない」と書いたけど、この時はどうしようもなかった。
夫と出会って、水商売も辞め、大きなアパレル会社に再就職
した。夜の街と距離を置いたことで、実家との関係も良くなって
きたし、新しい生き方ができるかもって、少しだけ自分の将来像
を描けるような気がし始めていた頃。
なのに、軽いノリで入れたタトゥーに今の生活を壊されちゃう
のは、絶対にイヤ!! その一心から出た言葉だった。
どれぐらい沈黙が続いただろう。しばらくして義母はつぶやいた。
「2人が本気なら仕方ない」
ホッとした一方、私は胸の底がずーんと重くなった。
大嫌いだったはずのウソをついてまでした結婚だ。
こうなったら、義母に「あなたが結婚相手で良かった」と思って
もらうぐらい、何が何でも幸せな家庭を築くしかない。
ずっと笑顔でいなきゃ。子どもにもたくさん話しかけて、本も
1日10冊は読み聞かせてあげる。午前午後にはお散歩。
テレビもケータイも見せちゃだめ。ベビーフードは使わない。
そして、もちろん右腕のタトゥーはシールで隠して完全防御。
育児で相談できる人もいないから、育児本のいいなりになる
しかない。あれこれやっていると座る時間もないし、すごく気が
張っているから、子どもが寝てくれると、疲れがどっと出た。
タトゥーのせいでこんな生活を送ることになるとは、夢にも
思っていなかった。
中学生に絡まれた日の夜、帰宅した夫に「見てんじゃねーよって
言われた!」って伝えたら、「怖いもん知らずやなぁ…」って
逆に中学生を褒めていた。
相変わらずの調子でちょっとイラッとしたけど、ふと思った。
ひょっとしたら、私、中学生にナメられるくらい、お母さんを
やれているのかな、って。
「Love the life you live. Live the life you love.」夫によると、
「自分の人生を愛し、愛せる人生を生きろ」って意味らしい。
正直、タトゥーを入れたことはすごく後悔している。だけど、
家族が寝静まった夜、お風呂であらわになったこの右腕を
見ると、何だか明日も頑張ろうと思えるから不思議だ。
・・・
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