Happy sprout / 幸福の芽 蓮みろく3

心の時代へのパラダイムシフト、ひふみ神示(日月)の八通り目の解読や古史古伝と共に弥勒の世に向かって 

聖書の後、歴史について

2024-01-24 22:33:00 | 日月神示

※追加しました。

 

シュメール文明から聖書に基づいてしばらく書いてきましたが、

その後の歴史について書きたいと思います。そう言っても歴史で

学ぶ内容ですので書き留めておくと思ってください。

 

モーゼを仲介者として神と契約したイスラエルの民は

イスラエル国を建国しましたが後に北イスラエル国と南の

ユダ国に分かれます。その後、他国の侵攻により離散することに

なりました。離散したユダヤ教徒は世界の国々でトーラーを守り

続けます。キリスト教徒は全世界伝道に向かいます。やがて

巨大なローマ帝国はキリスト教を国教とするまでになりました。

その後はペルシアに滅ぼされ、アレクサンダー大王による征服、

分裂していきます。

 

イエスキリストの誕生とされる西暦元年から数えて西暦610年に

アブラハムの子イシマエルを祖とするイスラム教は成立しました。

初期にユダヤ人と対立しています。

ウンマという共同体を築いて遠征し630年にはムハンマドの生地で

あるメッカを獲得しました。その後も遠征して国を大きくして

いきます。

イスラム教はコーランを経典としていますが旧約聖書も新約聖書

も経典の一部としています。しかしイエスキリストをメシアとは

しておらず、ムハンマドが最後の預言者だとしています。

東ローマ帝国の支配下にあったエルサレムはイスラム帝国の前身

ウマイヤ朝が制服し、岩のドームを建て第三のメッカとなり

ました。岩のドームの「岩」の意味はイシマエルの父アブラハムが

息子イサクを神のために捧げようとした台だとされています。

イスラム教圏は630年以降遠征を繰り返し、巨大なイスラム帝国を

築き、711年にフランスにまで遠征しました。

11世紀末になって聖地を奪われたキリスト教圏は「十字軍」を

組み、イスラム教圏に遠征し、1270年まで続きますが最後は

敗北しています。

その後はオスマン帝国の支配を受けました。

 

※追加

イスラエルは約束の地カナン、

信仰の祖、アブラハムはなかなか子供ができず、高齢になって

妻の侍女にイシマエル、妻サラにイサクという子を持ちます。

サラが先に亡くなり、その後も子を増やしています。

妻の侍女ハガルの子が産まれた時にアブラハムは86歳でした。

神はアブラハムが99歳になったときに言われました。

「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の

父となる。わたしはあなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする

からである。王となる者たちがあなたから出るだろう」「わたしは

あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを

永遠の契約とする。そしてあなたとあなたの子孫の神となる。

わたしはあなたが滞在しているこのカナンの全ての土地を、あなたと

その子孫に永久の所有地として与える。私は彼らの神になる。」

「だからあなたもわたしの契約を守りなさい。」

サラの子イサクが産まれた時、アブラハムは百歳でした。

                     創世記第16章

 

イスラエルは1882年にシオンへの帰還が始まり、

1948年5月イスラエル独立宣言が行われました。

 

聖書に基づいて書いてきましたが、ここで終了します。

 

 

 

 

 

 

 

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預言者ダニエルと終末

2024-01-24 20:33:00 | 日月神示

昨日、ダニエルは聖書の縁起の法に気が付いたと書きました。

ダニエル書については別に書くとしましたが、私のblogを読んで

くださっている方々は続いて読みたいと思われますので書いて

いきます。

 

預言者ダニエルはバビロン捕囚でした。

カナンの地にイスラエル国が初めてでき、ダビデ王、ソロモン王

が治めた後、北イスラエル国と南のユダ王国に分かれます。

北イスラエル国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ国はエジプト、

そして新バビロニアに侵攻されて敗北しました。

その時バビロン捕囚となったのが預言者ダニエルとエゼキエル

です。ダニエルは非常に優秀だった為、バビロンの王に重用され

ました。ダニエルはメシヤの到来の預言をしましたがバビロンの

王の夢の解き明かしもしました。

 

聖書に基づいて書いていきます。

ダニエルはバビロン捕囚時、バビロンの王に重用されてそこで

モーゼ五書、エレミヤ書を手にします。それにより自分の祖先、

民族がモーゼ五書の法を守らず、他国に侵攻されたことを知り、

自らのこと、祖先、民族のことを神の御前で泣き伏せてお詫び

します。神はモーゼ五書の法によりイスラエル国を外部からの

侵入から守っておられました。それは神との契約による奇跡

です。祈りにより大難を小難にしていたと思います。

日本でいうところの結界になるでしょう。

イスラエルの民は法を守ることで祝福され、いつしか当たり前に

なり、「のろい」を忘れて間違った道を選んでしまいました。

バビロン捕囚のダニエルのところへ大天使ガブリエルが舞い降り

て言います。「あなたの民とあなたの聖なる町(エルサレム)に

ついて70週が定められています」「これはとがを終わらせ、罪に

終りを告げ、不義をあがない、いと聖なる者に油を注ぐためです。

それゆえ、エルサレムを立て直せという命令が出てから、メシヤ

なるひとりの君が来るまで7週と62週であることを知り、かつ

悟りなさい。その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。」

とメシヤの到来、そして断たれると預言を頂くことになります。

                    ダニエル書第9章

1週は7日ですが預言の1週は7年で数えられていました。

70週の時が満ちた時とはメシヤが現れてイスラエルに帰還した

ユダヤの民が再度神の国を建国する時です。

 

時は62週目(55週+7週)です。

ローマ帝国が新バビロニアに侵攻し、新バビロニアが敗北した

ことでバビロン捕囚は解かれ、イスラエルに帰還しました。

イスラエルに戻ったダニエルは預言を伝えます。

新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王が

エルサレムの再建命令を出して再建します。

 

時は定められた70週のうちの69週目(7週と62週)です。

それまでもそして62週から69週までの間も神は預言者を遣わし、

神の天使たちはユダヤの民に気づきを与え続けています。

しかしイエスキリストがイスラエルに現れますがユダヤ教律法学者

によりユダヤ教徒のメシヤ、ダビデ王の子孫ではない、偽者だと

言われ磔刑となります。ユダヤ律法学者やユダヤ教徒は現在でも

メシヤであるイエスキリストの到来を信じず、新約聖書や

ダニエルによる預言も信じていません。

やがてローマ帝国の侵攻によりユダヤの民は離散します。

この時にユダヤの民はモーゼ五書であるトーラーを信仰するユダヤ

教徒と、イエスキリストを信じて異邦人も教徒とするキリスト教に

分かれ、ユダヤ教徒は世界に離散しますが差別を受けて苦しむ

ことになります。それでもダビデ王の子孫が救世主として到来する

ことを信じています。一方キリスト教徒は教会を作り神の祝福を

受けて全世界伝道に向かいます。

イエスキリストが磔刑されたことで70週のカウントが止まり、

残り1週は終末期に始まることになります。

 

残り1週の始まりは終末の始まりになります。まず滅びの子が現れ、

そして携挙が起きることが書かれています。

70週のカウントはエルサレム第三神殿が建設された時から始まり

ます。

     

ダニエルの預言に戻ります。

時はダニエルがバビロン捕囚となり、王に重用されていた時です。

バビロンの王はある日、この先を案じて夢を見ます。「一つの像」

ですが王にとってその夢は恐ろしく、不吉な予感がするものでした。

バビロンの祭祀は解き明かせず、ダニエルは祈りによってその

夢を幻で見て解き明します。

「王様、あなたはこれから起こる出来事を夢でご覧になりました。

あなたが見たのは人の形をした巨大な力のある像でまぶしく光り

輝き、ぞっとするほど恐ろしい姿をしていました。この像の頭は

純金、胴と両腕は銀、腹と腿は青銅、脛は鉄、足は一部が鉄、

一部が粘土でできていました。けれど王が見ておられるうちに

一つの岩が人の手によらない力で山から切り出され、その像に

向かい、鉄と粘土の足を粉々に砕きました。」

「あなたはその純金の頭です。しかしやがて強国に変わり、

その国が敗れるとまた次の強国に変わります。また鉄のような

強国が現れて制服します。しかし足の鉄と粘土の部分は、

混じり合わないのでそれを現す国々は成功しません。

この時代に人の手によらない岩が切り出されて足の部分を破壊し、

永遠不滅の国を築きます。神がそれをお示しになりました。」

この足の鉄と粘土の部分は終末時期を現します。

 

 

 

 

 

携挙について

テサロニケの信徒への手紙一

「主は号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きのうちに、

ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が

蘇り、次に生き残っている私たちがたちまち彼らと一緒に雲の

中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このように

して、私たちはいつまでも主とともにいることになります。」

 

 

 

 

 

 

 

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縁起の法、そして聖書

2024-01-23 20:33:00 | 日月神示

先日、仏教の縁起の法で聖書の創世記について書きました。

私が研究し作成した仏教の三諦円融(さんたいえんゆう)、宇宙の

法と縁起の法の図です。日月神示では悪因によるメグリ(縁起の法に

よる悪果)を取ることが重要だと言っています。そして聖書も縁起の

法があります。

 

ムー文明はラ・ムーによって神と直結した文明でした。

ラ・ムーが治めた霊性の時代も縁起の法が説かれており、それを

大事にしたからこそ、調和した社会が営めたことは否めないで

しょう。

ムー文明、そして日本の神道の森羅万象に神が宿るという八百万

の神の信仰による全てのものには神性が宿っていること、仏教では

一切衆生悉有仏性(実際は森羅万象に対して)、当時身分制度が

酷かったところ、身分立場関係なく人には仏性が宿っていることを

説いています。

全ての人、全ての森羅万象には神性(仏性)が宿っています。

だからこそお互いに人や森羅万象に宿る神性(仏性)を大切にして

調和して生きる必要があります。

 

そして仏教では依他起生(えたきしょう)という言葉があります。

人は一人で生きているのではない、自分以外の他者、他のものに

依って生きている存在である。

だからこそ他者を大切にし、全てのものを大切にして愛する必要が、

あります。必要というよりそれを理解して心から愛でることです。

 

ムー文明はラ・ムーにより霊性の時代を築き、輪廻転生、縁起の法

を信じて実践していたからこそ、調和した文明が築くことができ

ました。神を信じ、お互いの神性(仏性)を信じ、愛と感謝、

思いやりの心で社会ができていました。

ラ・ムーにより法が説かれ、法により外部からの攻撃に守られた

文明だったのです。

やがて成長の渦によって変化し、大陸は沈んでいきました。

 

聖書に書かれている縁起の法は、個人の縁起を追求していく仏教の

ような形では書かれていませんが原因結果は含まれています。

仏教もまた非常に暑く生きにくい時代、制度により生きにくい時代

に魂を救済することに重点を置いたものです。「生老病死」による

苦しみは何故起きるのだろうか、それは多くの人の苦しみの声でも

あったでしょう。だからこそ、そのような時代において魂が浄化し

昇華したあとのことを積極的に残していません。

 

縁起の法について仏教と聖書の理解には幅というか違いがあるよう

に思います。

聖書の神も縁起の法を説いています。個の人の法も含んでいますが

最も重要なのは民族、血族の縁起の法になります。

旧約聖書にある神との契約「祝福とのろい」です。

縁起の法は宇宙の法なので地球に住む全ての人、ものが生命活動を

している限り、関係ありますし外れることがありません。

聖書以外の人々のことを考えてみましょう。

人は善いことをすれば善いことが還ってくる、悪いことをすれば

悪いことが還ってくると言われますし、多くの人が知っています。

生まれるときはリセットして生まれますが後にメグリが現れます。

しかし、人は悪いことをしたらすぐに悪いメグリがみられたら解り

易いのですが、時間経過と共に神仕組みの重層的な縁しによって

現象が現れてきます。それがメグリだと気がつかないことが多い

かもしれません。またこの世で生を持ち、他者に対して悪く生きた

人がなぜそのままなのかと思うことがあると思いますが、これも

神仕組みの重層的な縁しです。最終的には死後に清算することに

なります。これに個人でなく社会的な縁起、団体、宗教、民族など

があると個人としては余計に解りにくいことになります。

それはその人がその環境に縁があり、現在あえてそこに居るとしか

言えません。聖書に関係無い人でも縁起の法は動いています。

 

全ての人に縁起の法はあります。

それを神があえて先に形にして契約としたものが「祝福とのろい」

です。「私は今日、あなたがたに対して天と地とを証人に立てる。

私はいのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く」

聖書の民、イスラエルの民には何度も何度も振り返って法に戻れば

解るようにしてあったのです。

聖書に縁起の法がありましたがいつか「祝福」が当たり前になり、

「のろい」を忘れてしまって間違った道を選んでしまいました。

時は初めのイスラエル建国の後、

ダビデ王は非常に信仰深く、モーゼの法を理解し忘れず、国を

治めました。

しかしその後は時間と共に民族は法から離れてしまい、他国から

度々侵攻されてしまうことになります。

侵攻されバビロン捕囚となったエゼキエル、そしてダニエルは

預言者でした。

ダニエルは聖書を読むことで縁起の法に気が付き、神の前に

泣き伏せます。ダニエル書には民族、血族としての縁起の法が

書かれています。

内容はまた別に書く機会があると思います。

 

 

 

話は逸れますが日本は縄文に戻るということが言われています。

ムー文明は科学的にどうだったでしょうか。

先日、X-twitterに書きました。

Suppose you have a question like this.

Which is better : Atlantis or Mu ?

Mu is before, and after Atlantis.

このような問いがあったとします。

アトランティスとムーのどちらか良いか。

ムーは前にあり、後にあります。

 

ムー文明はアトランティス文明にある科学を先に持っていて、

アトランティスの科学も知っていました。

しかし、人の進化、人の成長にとって何が重要なのか、物では

なく何が大切なのか、それを示した文明でした。

 

 

 

 

 

 

 

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創世記とアブラハムの子孫

2024-01-22 03:33:00 | 日月神示

※追加しました。

 

アブラハムはアダムから20代目、イサク、イシマエルはアダムから

21代目になります。

イシマエルはアブラハムの妻、サラの侍女の子で長男、イサクは

サラの子で弟になります。

2人は別々のところで生活することになります。

先日書いたように、

兄イシマエルの母ハガルは神の御使いに「彼は野生のろばのような

人になる。あらゆる人にこぶしを振りかざすので彼は兄弟すべてに

敵対して暮らす。」と言われ、アブラハムも「あの女の息子も一つ

の国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」と言われます。

荒れ野に水が沸き、子孫を増やしていきます。

一方弟イサクは神は啓示によりアブラハムの直系として指名されて

あなたの子孫はイサクによって伝えられると言われています。

イサクの子のヤコブの子は聖書による十二氏族となります。

多くの人と違うのは二人は人生の初めに神により啓示を受けている

ことで人生も通常の理解と違うことになります。

 

先日、再々々掲載した三諦円融(仏教)のこの図ですが通常は

一人の人の人生の始まりからその対象者の現時点までのことを縁起の

理法を現しています。

 

三諦は三つの真理、
「空諦(くうたい)」-この世の価値観から離れ、仏さまの世界
(空)があるという真理
「仮諦(けたい)」-仏さまの世界があるが一旦否定した今生きて
いるこの世(この世は仮の世、有の世界)があるのも真理
「中諦(ちゅうたい)」-仏さまの世界と今生きている世界と
二つの世界があるという真理はあるが、それぞれの世界で
それぞれの中だけに真理があるのではない。その二つの中に
真理がある。

今の時代を生きていくには「空諦」、「仮諦」、そして「中諦」の
三つの真理、それぞれの世界があり、それぞれを円融(妨げること
なく、またそれぞれの世界を融合)して生きていくことが大切で
あり、その中で仏さまの意図を感じ取っていかなくてはならない。
 

仮にイサクとイシマエルですが、

この時、イサクは直系として信仰深くアブラハムの民を導いて

いたと思いますが、遠く離れて暮らすイシマエルの民から戦いを

挑まれるようにこぶしを振りかざされて敵対しています。

イサクはそれはなぜなのかと思いますが、先に啓示を受けている

のでイサク自身とイシマエルはそのような関係にしかならないの

だと思って対応することになります。イシマエルも同様です。

この2つの子孫は今後そのような形で歴史を刻んでいくことに

なります。

しかし啓示を受けていなかったらどうでしょうか。イサクも

イシマエルも敵対する双方が置かれた立場は、なぜこのような

形にしかならないのだろうか。和解できないのだろうかと考え

たかもしれません。この何故というものの答えが個々の悟り

になります。その悟りに至るにはそれまでの人生のいろいろな

縁がらせん状に絡み合い、そのらせん状に絡み合うところに

神の天使たちは良い状態になるように導きを与えています。

二人はなかなか気づきが得られず時間を要します。

イシマエルはやがて人生の終わりになって、弟であるイサクが

生まれた時にイサクに嫌なことをしたことを思い出します。

イサクは直系の跡取りである自分の立場がそのようにしたのかも

しれないと悟ります。

 

通常はここで終わるのですが民族の血縁からもっと遡ります。

時は創世記、アダムとエヴァの子、兄カインと弟アベルです。

聖書に書かれているとおり、兄カインと弟アベルは同じように

神に実りを供えたのですが神はアベルのものを選びました。

カインは嘆き悲しみ、アベルを殺しました。

神がアベルの供え物を選んだ理由ははっきりと書かれていません

が、供え物を準備するときから二人の全ての行動を見ていた神が

それをもって決めたことなのか、それとの供え物にこもった二人の

思いを知り、決めたのかわかりません。聖書の様子からカインにも

信仰の心があったけれどアベルのほうがより信仰が深かったの

だろう思います。その後カインは家族と離れ遠い町に行き、そこで

結婚しています。

通常は死後、人生を清算し生まれ変わるのでここで終わりですが、

これがイシマエルとイサクの血縁の初めだと仮定すると、

イシマエルはカインであり、アベルはイサクかもしれません。

アベルが殺されたのでアダムの子としてその後セツが生まれ

たのでセツが直系となりました。

兄カインは弟アベルを殺したことで神や神のおられる天上を

見上げることができなくなりました。しかし兄カインは神が

なぜアベルの供え物を選んだのか解らない、または理解しよう

としなかったのだと思います。神はそのことについて黙って

いた訳ではなく、兄カインが解るように幾つもの導きをした

けれど、どうしても理解ができなかったのかもしれません。

アベルは霊界で叫んでいます。信仰深く善に生きたのになぜ、

殺されたのだろうか。

兄カインと弟セツ、その因縁は血縁として兄イシマエルと

弟イサクに繋がります。

 

時は現代、

今、イスラエルは戦争の真っただ中です。

 

 

※追加

この結果どうなるのかと聞かれました。

一刻も早く戦争を止めてほしいと思いますし、皆さんもそうで

しょう。

そんな中である地点で結果がでるでしょう。時は終末、個々に

悟ることはあると思います。最終的には最後の審判があります。

 

 

 

 

 

 

 

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人生の岐路、人生の選択 ~みろくの世

2024-01-22 02:33:00 | 日月神示

人生は日々、一瞬一瞬に自分自身の心に飛来した思いをどう選択

したか、その選択の連続でできています。

 

今はとても生きにくい世の中、人は積極的にものを考えずに

生活していると次々にいろいろな思いを抱きます。

自分の心とは何か、それをまず掴むことが大事なことです。

そうでないと飛来してくる思い、自分が本当に考えているのか

わからないような自分の思いに振り回された人生を歩むことに

なります。良い思いだけなら良いですがそうはいきません。

まず自分の心、思いの世界には次々といろんな想念が浮かんで

くるという実態を知ることです。心の存在を掴むことです。

 

以前にも書きましたが自分の心に飛来している思いや感情を1日

何回か紙に書いてみる、繰り返してみるとある程度わかると

思います。瞑想をする方はそれでよいと思います。

書いたものをひとつひとつこれはどのような思いなのか、感情

なのか、本当に自分自身の心で考えていることなのか、深く

考えてみる、点検してみることを勧めます。

そうすると自己評価と違い、これが自分が考えていることなのか、

こんな悪い思いを抱くことがあるのかと自分でも驚き、気が付く

ことがあると思います。それはあなた自身の癖かもしれませんし、

それはあなた自身ではないかもしれません。

自分自身にとって良いものではない思いは取り除く必要があります。

 

夏目漱石の代表作に「心」という書籍があります。まさに主人公

の心に一瞬飛来した思いにより心に影を持ち、一生引きずること

になります。

人は善に生きたいと思いますが現社会で人の成長を妨げるものや

悪い誘惑や嘘、陥れなどにより人生を狂わせることがあります。

また相手自身は省みず、悪者に仕立てる人もいます。

特に人生の岐路で良い選択できれば良いのですが選択の余地なく、

良くない道に進んでしまうことも現社会では多いと思います。

非常に苦しく、後悔することになります。

 

それは人間の行ないであったり、人の心に侵入してくる悪いイン

スピレーションを与える心の声であったりします。

それも自分の心です。人は心に飛来してくる思いを選択し続けて

自分の人生を決めている、自己責任になります。

神や神の元にいる天使たちは地の人々のそのような姿を見て嘆き

悲しんでいます。なんとかしたいと思っています。

 

神は愛です。

神のもとにいる天使たちは神の愛を受けたその御使いです。地の

人々に迷って苦しんでほしいと思っていません。

以前聖書の携挙のことを書きました。携挙により天界の天使たち

が一挙に増えます。人が神の御心に合うように心を掃除して身霊

を磨くと、人数が増えた天使たちは地の人々が迷わないように

より多くの良い導きをしてくださいます。

 

みろくの世は地にいる人々が悪い誘惑やインスピレーションに

より迷い苦しむことが少ないように天使たちが導く世界です。

 

 

 

 

 

 

 

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