※追加しました。
アブラハムはアダムから20代目、イサク、イシマエルはアダムから
21代目になります。
イシマエルはアブラハムの妻、サラの侍女の子で長男、イサクは
サラの子で弟になります。
2人は別々のところで生活することになります。
先日書いたように、
兄イシマエルの母ハガルは神の御使いに「彼は野生のろばのような
人になる。あらゆる人にこぶしを振りかざすので彼は兄弟すべてに
敵対して暮らす。」と言われ、アブラハムも「あの女の息子も一つ
の国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」と言われます。
荒れ野に水が沸き、子孫を増やしていきます。
一方弟イサクは神は啓示によりアブラハムの直系として指名されて
あなたの子孫はイサクによって伝えられると言われています。
イサクの子のヤコブの子は聖書による十二氏族となります。
多くの人と違うのは二人は人生の初めに神により啓示を受けている
ことで人生も通常の理解と違うことになります。
先日、再々々掲載した三諦円融(仏教)のこの図ですが通常は
一人の人の人生の始まりからその対象者の現時点までのことを縁起の
理法を現しています。
「空諦(くうたい)」-この世の価値観から離れ、仏さまの世界
「仮諦(けたい)」-仏さまの世界があるが一旦否定した今生きて
「中諦(ちゅうたい)」-仏さまの世界と今生きている世界と
今の時代を生きていくには「空諦」、「仮諦」、そして「中諦」の
仮にイサクとイシマエルですが、
この時、イサクは直系として信仰深くアブラハムの民を導いて
いたと思いますが、遠く離れて暮らすイシマエルの民から戦いを
挑まれるようにこぶしを振りかざされて敵対しています。
イサクはそれはなぜなのかと思いますが、先に啓示を受けている
のでイサク自身とイシマエルはそのような関係にしかならないの
だと思って対応することになります。イシマエルも同様です。
この2つの子孫は今後そのような形で歴史を刻んでいくことに
なります。
しかし啓示を受けていなかったらどうでしょうか。イサクも
イシマエルも敵対する双方が置かれた立場は、なぜこのような
形にしかならないのだろうか。和解できないのだろうかと考え
たかもしれません。この何故というものの答えが個々の悟り
になります。その悟りに至るにはそれまでの人生のいろいろな
縁がらせん状に絡み合い、そのらせん状に絡み合うところに
神の天使たちは良い状態になるように導きを与えています。
二人はなかなか気づきが得られず時間を要します。
イシマエルはやがて人生の終わりになって、弟であるイサクが
生まれた時にイサクに嫌なことをしたことを思い出します。
イサクは直系の跡取りである自分の立場がそのようにしたのかも
しれないと悟ります。
通常はここで終わるのですが民族の血縁からもっと遡ります。
時は創世記、アダムとエヴァの子、兄カインと弟アベルです。
聖書に書かれているとおり、兄カインと弟アベルは同じように
神に実りを供えたのですが神はアベルのものを選びました。
カインは嘆き悲しみ、アベルを殺しました。
神がアベルの供え物を選んだ理由ははっきりと書かれていません
が、供え物を準備するときから二人の全ての行動を見ていた神が
それをもって決めたことなのか、それとの供え物にこもった二人の
思いを知り、決めたのかわかりません。聖書の様子からカインにも
信仰の心があったけれどアベルのほうがより信仰が深かったの
だろう思います。その後カインは家族と離れ遠い町に行き、そこで
結婚しています。
通常は死後、人生を清算し生まれ変わるのでここで終わりですが、
これがイシマエルとイサクの血縁の初めだと仮定すると、
イシマエルはカインであり、アベルはイサクかもしれません。
アベルが殺されたのでアダムの子としてその後セツが生まれ
たのでセツが直系となりました。
兄カインは弟アベルを殺したことで神や神のおられる天上を
見上げることができなくなりました。しかし兄カインは神が
なぜアベルの供え物を選んだのか解らない、または理解しよう
としなかったのだと思います。神はそのことについて黙って
いた訳ではなく、兄カインが解るように幾つもの導きをした
けれど、どうしても理解ができなかったのかもしれません。
アベルは霊界で叫んでいます。信仰深く善に生きたのになぜ、
殺されたのだろうか。
兄カインと弟セツ、その因縁は血縁として兄イシマエルと
弟イサクに繋がります。
時は現代、
今、イスラエルは戦争の真っただ中です。
※追加
この結果どうなるのかと聞かれました。
一刻も早く戦争を止めてほしいと思いますし、皆さんもそうで
しょう。
そんな中である地点で結果がでるでしょう。時は終末、個々に
悟ることはあると思います。最終的には最後の審判があります。