小説渋沢栄一 上 (幻冬舎文庫 つ 2-12) | |
津本 陽 | |
幻冬舎 |
(上の写真は、谷中霊園で最も広い墓地を占める
渋沢栄一の波瀾万丈の一生を描いた小説)
先般の「谷中界隈 散策」で、谷中霊園の徳川慶喜
以外の墓については、別の機会にご紹介する
ことにしました。
そこで、撮りだめした谷中霊園の写真を見直し
作業をしていたのですが、似たような墓が多く、
思い出しながら整理するのに時間がかかって
しまいました・・・
そして、昨日ようやく谷中霊園の写真整理が
終わりましたので以下ご報告します。
霊園を巡る前に、先ず、谷中霊園の散策方法を
ご紹介します。
下の写真は、谷中霊園のメインストリートの
桜並木です。
先ず、この桜並木の一番奥の公園管理事務所へ
行き、下の写真の谷中霊園の地図(無料)を
貰います。
この地図の裏面に、著名人のお墓の一覧表があります。
この著名人のお墓一覧表で、行ってみたい著名人
の番号を調べたうえで、表面の地図上のこの番号
の場所を目指します。
メインストリートの桜並木の中程に、幸田露伴の
小説「五重塔」のモデルとなった五重塔跡があり
ます。
昭和32年、この五重塔は放火心中事件で焼失してしまいました。
(上から消失前⇒延焼中⇒延焼後の写真)
・19代横綱・常陸山
武士だった常陸山は、明治維新で失業し、
相撲取りになったそうです。
横綱を引退後、大正3年に出羽海部屋を創設
しました。
・長谷川一夫 (俳優)
・横山大観(日本画家)
・廣津和郎(ひろつかずお)(小説家)
墓標は、表が志賀直哉筆、裏が谷崎純一郎筆
によります。
・伊達宗城(むねなり)
宇和島藩の8代藩主で、明治時代に侯爵と
なった政治家です。
・珍しい”愛馬の墓”です!(写真左)
愛馬の墓の右横の陸軍中佐が非常に可愛
がっていたのでしょうね。
・本居豊頴(もとおりとよかい)
(国文学者・歌人)
あの有名な国学者・本居宣長の曾孫です。
本居宣長の墓は松坂ですが、子孫の墓は谷中
なんですね。
最近呼んだ「やちまた(上・下)」は、本居
宣長の長男で盲目の語学者・春庭の生涯を
描いた評伝ですが、日本語の文法に関する
記述が多く読むのに骨が折れました。
(足立巻一著・朝日新聞社)
著者が40年をかけて、春庭のドラマチックな
生涯を、数々の資料をもとに徐々に浮き彫り
にしてゆく、というストーリーです。
・渋沢栄一
谷中霊園のご紹介で外せないのが徳川慶喜と、
この渋沢栄一です。
広~い!!
(赤線の内側の広大な敷地が渋沢栄一の墓地
なのです!!)
何と!!
徳川慶喜の墓の敷地よりも渋沢栄一の墓の
敷地が広いのです!!
では渋沢栄一とは、どんな人物だったのか?
帰宅してから、「小説 渋沢栄一」を読んで
みました。
手にとって見ると、テーマが経済で堅苦しく、
上巻・下巻とあり長いので、ちょっと躊躇
したのですが、読み始めると、はらはら
ドキドキ、面白くて一気に読んでしまい
ました!
渋沢栄一は、幕末の動乱期に尊皇攘夷に
目覚め、討幕運動に関わり、幕府から
追われる身となります。
しかし、徳川慶喜に、直接その才能を
見出され、群馬の1農民だった渋沢栄一は
幕臣となり、慶喜の相談役として慶喜を
支えてゆきます。
そして、維新後は、度量衡・国立銀行条例の
制定、日本郵船、王子製紙設立など、日本
経済の礎となる多くの政策立案に携わり、
その後経済界に入って、それらの施策を
実践しました。
冒頭の写真の「小説 渋沢栄一」は、奇想
天外のストーリー、波瀾万丈の史実です!
・鏑木清方(かぶらぎきよかた)
明治から昭和にかけて活躍した挿絵・日本
画家です。
・浅田宗伯(そうはく)
江戸時代の医学者で、あの有名な「浅田飴」
の元祖です!
墓の隣の大きな岩の上で、怖い顔の不動尊が
護っています。
・平尾家の墓
ミュージシャンの平尾昌晃の曽祖父、祖父の
墓です。
・鳩山家
最近評判の悪い鳩山由紀夫・元総理の鳩山家
の墓です。
右が鳩山一郎の父・鳩山和夫です。
中央は、鳩山威一郎で、鳩山一郎の父ですが、
孫に鳩山由紀夫・鳩山邦夫がいます。
左が鳩山家の墓です。
・川上音二郎
オッペケペ節で有名な新派俳優です。
墓は、戦時中に金属の供出で取り外され台座
だけが残っています。
・森繁久弥