(渋沢栄一のアンドロイドが鎮座する深谷の生家)
今年の大河ドラマ「青天を衝け」は、私の尊敬
する渋沢栄一が主人公なので欠かさず見て
います。
埼玉県の深谷に出来た「大河ドラマ館」は、来年
の初めに閉館するらしいと聞いたので、何とか
閉館前に見学しておきたいと思い、娘の運転で
行って来ました。
目的の「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」
は、写真の深谷公民館の1階にありました。
(入場料:800円)
公民館の前には、2024年に刷新されることに
なった一万円札の顔の渋沢栄一がお出迎え
です。
館内には、大河ドラマで実際に使用されたセット
や小道具・衣装などが展示されていました。
また、メイキング映像の上映や出演者紹介の
パネルもあります。
オバサマ達が、吉沢亮やディーンフジオカの
等身大のパネルと並んで嬉しそうに撮影をして
いました。
(出演者のパネル等は撮影可能)
次に、大河ドラマ館から車で5分位の「血洗島
(ちあらいじま)」にある 「旧渋沢邸・中の家
(なかんち)」に向かいます。
「中の家」は、渋沢栄一の生家です。
生家の前は深谷名物のネギ畑です。
渋沢栄一は、1840年にここで誕生、渋沢家の長男
として23歳まで過ごしました。
正門を潜りますが、立派な門構えです。
(観覧は無料)
庭には、主屋を見つめている「若き日の栄一」像
があります。
大河ドラマでは、”渋沢栄一は農民出身”と度々
紹介されますが、このとても広くて立派な家を
見ると、”農民出身”というよりも”豪農出身”
という感じです。
上の写真は主屋です。
大きな池のある主屋の庭から、主屋の内部を見学
します。
奥の座敷に、晩年の栄一のアンドロイドが鎮座
しています。
羽織袴の正装ですが、身体全体が動いていて、
まるで生きているかの様にリアルでよく出来て
います!
敷地内には、藍玉の貯蔵などに使用されていた
という4つの土蔵が現存してます。
順路に沿って、建屋の裏側を回って見学終了です。
次に、上の写真の「誠之堂(せいしどう)」と
その奥にある「清風亭」の建物を外から見学
します。
説明版によると、この誠之堂(せいしどう)は、
平成11年に世田谷区から移築されたそうです。
また、スペイン風の様式の清風亭は、鉄筋
コンクリート造りの初期の建築物として貴重
なので国の重要文化財だそうです。
大正5年に、渋沢の喜寿を祝って、栄一が初代
頭取を務めた第一銀行の行員たちの寄付により
建築されたそうです。
誠之堂と清風亭の川向うにある写真の「割烹楓
(かえで)」で、郷土料理の「煮ぼうとう」
(825円)を食べます。
麺が手打ちの幅広でモッチリつるつるの「煮込み
うどん」です。
具材は、深谷ネギをはじめ、鶏肉・人参・白菜・
油揚げ・大根・ゆず等です。
大河ドラマでも、この煮ぼうとうで、アメリカの
グラント将軍を接待するシーンがありました。
次に、「旧煉瓦製造施設」(国重要文化財)へ
向かいます。
上の写真は、「旧事務所」で、煉瓦工場の建設
および製造指導にあたったドイツ人技師の居宅兼
事務所として建てられました。
現在は、資料館として写真や文書を展示して
います。
栄一が、唯一、故郷に建てた工場で、東京駅
などの名建築に欠かせない煉瓦の製造を担い
ました。
深谷は、従来から瓦の生産が盛んで、煉瓦の
良質な粘土が採れ、また利根川を利用して
東京への舟運がありました。
(明治41年頃の煉瓦工場)
上の写真は、6基あった煉瓦製造の窯のうちの
残った1基(ホフマン輪窯・6号窯)ですが、
現在、修理中で見学出来ませんでした。
最後に「深谷駅」へ向かいます。
東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたデザイン
で、「ミニ東京駅」として親しまれています。
これは、東京駅の駅舎が深谷の日本煉瓦製造工場
の煉瓦を使ったことにちなんでいます。
日本煉瓦製造工場から深谷駅まで専用路線が
通っていました。
写真は、駅前の青淵広場にある渋沢栄一の座像
です。
駅の売店で、上の写真の「大金持ち海苔」
10万円分?を買いました。
(580円)