今日は仙台の戦災記念日である。河北新報の歴史講座「仙台万華鏡」でコラムを担当されている石澤友隆氏が、62年前の仙台空襲前の町の様子を書かれていた。コラムによれば、空襲は用意周到に行われたものだったのが分かる。 昭和20(1945)年5月25日、米軍はB29爆撃機一機を飛ばし仙台上空から百枚以上の写真を撮影していた。これが空襲時の貴重な資料となる。これら写真のうち6枚を、昨年仙台市博物館が米国立公 . . . 本文を読む
その①の続き
清廉潔白さは役人ばかりか庶民も同じであり、ヘダーヤトは京都のリンゴ売りの話を挙げている。彼らは町でリンゴ売りの老女の籠に50銭を施しのつもりで入
れたが、彼女は彼らの後を追ってきて「このようなお金は貰えません」と言い、金を返す。そこで彼らは50銭分のリンゴを買うことにした。ヘダーヤトは書
く。「日本には乞食がいない。中国には沢山いたが」。 一行は学校も見学
し、日本の教育の . . . 本文を読む
サーデク・ヘダーヤトは
現代イラン文学の巨星とされ、邦訳もある。その彼の祖父は一年間に及ぶ世界一周旅行の途中日本にも立ち寄り、帰国後は『メッカへの旅』を著した。日本滞在
は28日間に過ぎなかったが、305頁からなる紀行の約四分の一の79頁は日本の記述に当てられている。紀行に見える日露戦争開戦直前の日本の姿は実に興
味深い。 明治に来日したヘダーヤトは1864年生まれで、14歳の時兄と共にベ . . . 本文を読む
子供の頃の私は時代劇が好きでよく見ていた。銭型平次他様々な岡っ引きが活躍する捕物帳は面白く、十手を使う彼らは子供心にも実に格好よく思えた。しかし、実際の岡っ引きは十手を常備など出来ない身分だった。 江戸時代の警察機構は町奉行所が管轄しており、直参旗本である町奉行の下には御家人などの幕府直轄の下級武士により構成される与力、同心がいた。さらに与力、同心の配下には町年寄、そして俗に岡っ引きと呼ばれる者 . . . 本文を読む
2005年7月22日、46歳で夭折した漫画家・杉浦日向子さんの作品に、文藝春秋漫画賞受賞した『風流江戸雀』がある。江戸時代の川柳を使いながら、生き生きと江戸の風俗を描いた漫画は素晴らしい。 若い恋人たちを詠んだ川柳がいくつも出てくるが、「相合傘の話の切れる水たまり」はにくい。相合傘で雨の中を歩いていたカップルが、現代の喫茶店に当たる麦湯を売る店に立ち寄り、2人して目の前に広がる蓮池を見ている。そ . . . 本文を読む
その①の続き コックスの日記には日本の殉教が何度か記されている。高官が死んだ時、家来や親しい者まで殉死するのは現代の日本人でも不可解だ。家康の死後、幣鋳造の奉行が切腹したと書かれており、平戸藩主・松浦鎮信の
亡き後も宇佐美殿という奉行の他に2人が切腹している。鎮信の弟が死んだ時、一人の僧侶は首をつる。僧は士のように刀を用いることが出来ないので、木に首
をくくったのだ。なお、その際家来数名が殉死 . . . 本文を読む
鎖国前の1613年11月、平戸に英国商館が開かれる。同年の6月、既に英国の通称親善使節がジェームス1世から家康に宛てた親書と贈り物を持って平戸に来ており、国交を交わしている。商館長となったのがリチャード・コックス。コックスの日記には日本について詳細に記されており、当時の第一級の文献史料としての価値も高い。彼の書いた日記から、当時の日本及び日本社会が見えてくる。 コックスの生年月は明らかではないが . . . 本文を読む
江戸時代、女に学問は不用とされ、ひたすら夫と家に仕え、家事と育児に専念していたというイメージがある。だが、子育てが終わった後、私塾に通い歌や学問を習う庶民の女たちもいたのは案外知られていない。 江戸末期、九州に伊藤常足(つねたり)という歌人がいた。神官が本職だが本居宣長系の国学を学び、儒学にも明るい教養人で、筑前歌壇の中心的存在だった。彼は自分の住んでいる神社の傍らに「古門小学」という私塾を開き . . . 本文を読む
尼寺といえば、どんなイメージがあるだろうか?特に格式高い尼寺なら、周囲は尼さんばかりで男子禁制の世界と思われがちだが、必ずしもそうではなかったらしい。現代鎌倉に唯一残る尼寺・英勝寺は江戸時代初め、徳川家康の側室お勝の方が開いた寺で、彼女が水戸家の祖、徳川頼房を養子にしていたところから、代々水戸家ゆかりの女性がこの寺の住職となっていた。そのため、住持になる姫君には水戸家の侍が付いてきて、寺の維持、 . . . 本文を読む
細川ガラシャといえば、戦国時代に一途に信仰を貫いた敬虔なキリシタン女性の印象が強い。その悲劇的な死は彼女に貞女のイメージも植え付ける。だが、陳舜臣氏の短編小説はガラシャが信仰に救いを求めたことやその死も、全て夫の嫉妬が追い詰めた結果によるものと描かれている。
お玉(ガラシャ)は15歳で同じ年の細川忠興のもとに嫁ぐ。忠興も美少年と謳われたほどなので、さぞこの若夫婦は雛人形のように美しかったろう . . . 本文を読む