周囲を海に囲まれているため、何となく自国は塩に不自由しない国と思っている日本人は少なくないだろう。私も最近まではそう思っていたが、2020-07-24付で「スポンジ頭」さんから頂いたコメントで初めてそうではないことを知った。以下はその文章。
―あと、塩が不足していたので長期の抵抗はできないとも言いますが、これも仮定の話です。実のところ、日本は塩作りに不向きな土地なのです。
翌日、引き続きスポンジ頭さんから「塩の自給率」というタイトルでのコメントを頂く。
―塩の話なのですが、私も海に囲まれているので塩は十分製造できると思っていたのです。しかし、雨量が異常に多く日光に乏しいので、海水を効率的に蒸発させられず、塩作りに手間が掛かり過ぎるのです。
https://www.shiojigyo.com/siohyakka/made/history.html
こちら、日本の塩自給率。11%でした。
https://www.shiojigyo.com/siohyakka/number/sufficiency.html
日本人一人あたり塩消費量。
http://www.siojoho.com/s01/02.html
戦前の日本で生産できる塩の量は50万トン程度であり、「日本の人口統計」には昭和15(1940)年時点で総人口が7,300万人強となっている。戦前は塩を一人あたま20gを摂取していたという話もあり、「何れにせよ、塩は工業用にも使用するので、食品だけでも自給は無理でした」とスポンジ頭さんはいう。
リンク先の「意外に知らない塩のことその3、日本の塩の歴史と専売制」には、「1938年当時、食料用・工業用合わせて250万トン程度の需要があり、自給率は20%程度だった」という一文があり、日本は「岩塩、湖塩の資源を持たず、海水から塩をつくる気象条件に恵まれない」国だったのだ。
塩など海水を煮ればいいと思っていたが、製塩はそう単純ではなかったのだ。07-30付で「牛蒡剣」さんからも以下のコメントを頂く。
―塩がなくて降伏論ですがありえたと思います。実際当時の内務省も指摘しておりますし、帝国政府が重視したのは家畜の塩不足です。耕運機も普及しておらず、壮丁は払拭した中牛馬ナシの農業は考えられないのですが、その塩を賄うことができず農業崩壊が止まらないという予測もありました。
加えて海軍が壊滅しため海上交通が死んでおり、肥料用リン鉱石の調達不足。それを加工するための安定的電力を供給するための異質のいい石炭や石油もまた調達できません。これが農業崩壊を促します。
また塩の調達に成功しても沖縄と硫黄島がとられ、アメリカ海軍の空母が自由自在に本土周辺を航行できるようになり、小型機も来週可能となり、大型のB29では叩けないような物流を担うトラックや機関車も自由自在に叩ける状況でした。ドラマで出てくる戦闘機の機銃掃射される場面が象徴てきですね。
ソ連参戦と原爆がなくとも、昭和20年の秋は不作でしたし、物流の死で沿岸部では塩を供給できても内陸はおそらく悲惨なことになったでしょう。そんなわけで内務省は数百万人の餓死者が出るという想定をしており、これも日本降伏の理由の一つです。
塩から見た太平洋戦争というのは考えさせられる。対照的に米国には広大な塩類平原もあり、塩は豊富なのだ。塩を必要とするのは人間サマばかりではなかった。
尤もスポンジ頭さんがリンクした記事、「味がなくなるほど減塩、そこまでする必要あるの?~高血圧の95%はいまだ原因不明」は安心させられた。東北人の常として私も濃い味付けを好むが、いかに低血圧でも体に良くないと思っていた。しかし高血圧の原因は塩分の取りすぎばかりではないようだ。ならば無理して減塩しなくともよいとなる。
京都から料理の大先生を雇って関西風の薄味の出汁
で味付けしていたのですが、東北では全く売れず
濃い味付けに大幅に変えた歴史があります。
でも大先生あきらめず少しずつ50年かけて味付けを薄くして来たので、東北の人々の嗜好もだいぶ変わってるんだと思います。
東北人も減塩キャンペーンの結果、塩分を控えめにするようになってきました。しかし今でも高齢者は濃い味付けを好むし、漬物にさらに醤油や塩をかけて食べる老人も少なくありません。
漬物に醤油はまだしも、塩と言うのは初耳です。さぞかしご飯が進むでしょうね。
実は私の老母もそのひとりです。薄味の漬物はサラダみたいで物足りないと言っています。最近は年相応の血圧になってきましたが、それまでは低血圧気味だったため、塩分を気にせず取っているのです。