その一の続き
盛んに「平和貿易国家」だった歴史を強調する沖縄なので、周辺諸島への軍事侵攻は行なわず、さぞ平和外交に徹していたと思いきや、実際は正反対で、琉球王国は武力を行使、征伐した過去があることを、数年ほど前に歴史サイトで見たことがある。『逆説の日本史9』でもそんな歴史を紹介されていた。
―琉球王国の支配下にあったのは本島と周辺の島々だけで、少し離れたところにある宮古島・石垣島・与那国島(八重山諸島)といった諸島は「独立国」だったのだ。1500年、石垣島の按司・オヤケアカハチは、琉球王朝に対して入貢を拒否し、反旗を翻した。これに対し尚真は「征伐軍」を送る。
隣の宮古島の按司・仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)は中山軍の先鋒を務めアカハチ軍を各地で破る。アカハチは「反逆者」として捕らわれ斬首され、ここに八重山諸島は琉球王国に組み入れられた。石垣島では今でもオヤケアカハチは英雄である。琉球史の本には宮古・八重山諸島に対しては「平定」の言葉を使っている。
この本で初めてオヤケアカハチという人物名とオヤケアカハチの乱を知ったが、帝国主義そのもので、同時期は戦国時代だった日本とさして変わりない。沖縄人がとかく好戦的と見るヤマトンチュー(本土人)に先駆けて“海外遠征”を実行していたのだ。
もちろん1500年当時は帝国主義が当たり前の時代だったし、周辺諸島への軍事侵攻を非難するつもりは全くはない。ただ、戦で八重山諸島を組み入れた琉球はより豊かになっただろうし、同じ沖縄県民であるはずの石垣島では今でも「反逆者」オヤケアカハチが英雄というのは興味深い。
オヤケアカハチの乱から、ふと私は妙な想像をしてしまった。火薬の原料になる硫黄と馬が豊富ならば、琉球はなぜ薩摩に侵攻しなかったのだろう?尤も石垣島と違い薩摩は人口も多く強大なので、琉球王国が叶う相手ではなかったが。
自国が戦場にならずとも、悲惨な目に遭う国もある。第一次世界大戦時のイランもその一例で、参戦国でもなく中立宣言するも、英露は軍隊を派遣してイランを占領する。第二次世界大戦でも英露は再びイランの中立宣言を踏みにじる。
軍事占領ばかりか、イラン国内は深刻な飢餓に見舞われる。イランの歴史教科書には飢えた人々は猫や犬、カラス、ネズミ、果ては木の葉や雑草まで口にしするが、ついにそれらもなくなり、至る所に転がっていた死体を食べ始めたことが載っていた。
ならば、戦争がなければイランは豊かになったのか?答えは完全にノーである。当時イランはガージャール朝だったが、ガージャール朝は戦争がなくとも内憂外患続き、イラン史で最も暗い時代とされ、国内でも人気がないそうだ。
戦争がないと豊かになる等のスローガンが、いかに短絡的デタラメであるか、少しでも知性のある方ならお分かりだろう。戦争がないと豊かになると本気で信じているのであればお頭が弱いし、この種のスローガンは「良心的日本人」に擬態した意図的な反日工作を疑っていいだろう。
その一で取り上げたヴェネツィア共和国は欧州屈指の海軍力を有していたし、先に挙げた琉球王国も“海軍”がなければ交易や宮古・八重山諸島「平定」は不可能だった。その一に寄せられた以下のコメントが全てを物語っている。
Unknown (牛蒡剣)
2021-12-08 21:56:04
戦争があろうとなかろうと目端の利く奴が儲けることが出来るというのが実際でしょう。戦争でも平時でも商売のタネは転がってるし、それをいち早く見極めた個人や国家が上手く立ち回ったか否かでしかないと思います。
◆関連記事:「軍縮問題」
「良心的な日本人」
「ナショナリズムの光と影」
色々ありますよね。中立を守れた国はスイスの様に
実力を示し、ただでは済まないことをアッピールできた国だけだともいます。ベルギーは2回とも道路になってしまい、欧州低地諸国もww2では中立ガン無視で占領、デンマーク ノルウェーだって一歩間違えれば英独双方から攻撃されかねない状況でしたし、実際ドイツに占領されました。
イランも中立を冒されたのは知ってましたがこれほど悲惨だったとは。知りませんでした。
のちにイラン帝国は革命までに世界屈指の軍隊を作り上げましたけど、(飛行機 戦車 艦艇でどれも70年台なら一流品)このトラウマだったんだなあと納得しました。
>火薬の原料になる硫黄と馬が豊富
硫黄はあっても硝石がなかったのでは?日本も
結構明から輸入してましたし。馬てストレスに弱くて航海すると、これは大戦中のレポートなんですけど、1週間馬を乗せて航海すると、最低1カ月は
休養しないと作戦に耐えられないと、兵頭二十八氏の著書「地獄のX島であくまで米軍相手に持久する方法」に書かれてました。平時に送り届けて、休養を済ませてから戦争に送ることはできますが、上陸戦だと運搬してすぐ投入なので、馬は使い物にならなかったと思います。そんなわけで元寇もまた
日本勝つべくして勝ったいくさだと思います。
確かに技術の発展は戦争によるものが多い。しかし、技術の発展は必ずしも幸福には結びつかない。
何千年経ってもニンゲンは変わらず愚かなままだ。ここは考え方を改めて、たとえ技術の発展は遅くとも平和で安定した世界を目指すべきではなかろうか。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/99d29634959f05d025e6271caf52b88c
革命前のイランは中東一の軍事大国だけでなく、世界屈指の軍隊だったのですか。パーレビ国王の父は英国に対抗するためか、親ナチスの政策を取りますが、英ソ侵攻後は退位を迫られました。そして亡命先のアフリカで死去しますが、息子がどんな思いだったのか察するにあまりあります。
火薬は硫黄だけでは作れず、硝石も必要でしたね!そして肝心の馬はあまり役に立たなかった??ww1で英国から大陸に大量の軍馬が送られたドキュメンタリーがありました。
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/d8139f7aaa3bbaad40e0b4c2583d8332
時代小説作家の隆慶一郎は日中戦争に参加したのですが、作品の中で戦友が夜、悪夢に叫び声を上げて起きた話や、自分たちを非難する人間について「殺す値打ちもないと軽蔑した」と考えたことを述べていました。
軍規違反でない限り、戦争の責任を追うのは国家なのですよね。
何事にもプラスマイナスがあり、技術の発展で不幸になるケースもあります。それでも技術の発展は止められません。それもまた人間の性だし、技術は常に新技術を生み出します。
>>ここは考え方を改めて、たとえ技術の発展は遅くとも平和で安定した世界を目指すべきではなかろうか。
残念ながら、このような殊勝な考え方をする人は少数派です。技術発展でぼろ儲け、環境が破壊されても後は野となれ山となれというエゴイストが多すぎ。
一方、環境保護活動家にも胡散臭い者が少なくないし、活動に参加している若者は共産党との繋がりが指摘されています。
櫻井翔の元兵士に対するインタビューは昨日『痛いニュース』で知りましたが、本当にロクでもないタレントだったと思いました。当人の無知や勉強不足もありますが、あえて櫻井にこの質問をするよう番組スタッフからの指示があったのでは?と見ています。所詮芸人など、河原乞食に過ぎないということです。
隆慶一郎の作品は未読ですが、自分たちを非難する人間(左翼文化人?)を「殺す値打ちもないと軽蔑した」したのは見事です。尤も戦時中なら彼を非難した人間たちは、嬉々として大本営発表を垂れ流していたと思います。
>>軍規違反でない限り、戦争の責任を追うのは国家なのですよね。
このような正論は櫻井風情をキャスターに使う番組には無理でしょう。それでも人気タレントの発言だと鵜呑みにするオバサンも一定数いますが、それが狙いなのです。
https://twitter.com/nanjno18/status/1469086082210099203/photo/1
そしてニュースゼロの当該インタビューを探したのですが見つけられず、人を殺しているという部分だけ流している映像を見つけました。こちらだと直截に聞いている印象で、かつその瞬間の元兵士の表情が硬くなっていました。
https://www.youtube.com/watch?v=bECJdYBvXVQ
当時の心境を聞くのは構いませんが、言い方と言うのはあるだろうと。正直、民間人に機銃を浴びせるアメリカ兵に同じ質問はできないでしょう。
> 隆慶一郎の作品は未読ですが、自分たちを非難する人間(左翼文化人?)を「殺す値打ちもないと軽蔑した」したのは見事です。
誰が批判したのかは記されていませんでした。とにかく戦場は地獄だと。そして作品中、剣で戦う場面がありますが、戦争の体験が戦う主人公の心境に反映されている気がしました。著者は過酷な戦場を体験しながら戦いそのものは否定していないので、この辺りの心情は平和な時代に生きる私には窺えないものがあります。
ttps://twitter.com/marukwamy/status/1467871413663334400
一見正論に見える「番組を見ずに叩いていてけしからん」ですが、「アメリカ兵を殺してしまった、という感覚は当時は?」の一言だけで愚物ぶりが丸わかり、こんな人物のインタビューなど全部見る価値もありませんね。
そしてなんJ民No.18とやら自身、特亜ネトウヨの標本で“釣り”ツイートです。文章は全く句読点が使われない書き殴りの悪文、コイツこそ相手の9割がた文章を読まない(読めない)と見ています。
櫻井のインタビューを見ましたが、聴き方も実に下手糞、炎上発言の前に「戦時中という事はもちろんなんですけど」と言っており、想像以上に戦時中の心理が分かっていなかった。ある意味、櫻井自身、いかに平時と戦時の違いに無知であるか、その現実性が引き出されてしまいましたが。
それにしても、吉岡氏は当時23歳だったとは……隆慶一郎は戦地に行った時に何歳だったかは不明ですが、過酷な戦場を体験した人物の心情はその体験のない私にも到底窺えません。
琉球の歴史も三山時代など戦乱の歴史で、統一後も外の島々に遠征して占領していたんだから平和国家というのは嘘っぱちですよね。現在でも先島諸島の人たちに差別意識があるそうですしろくでもない国家であったと思うんですよ。