その一の続き
戦時下の日本で、「非国民」とそしりを受けてもパーマをかけ、洋装をやめずにおしゃれをし続けた女性たちがいたのは、国家権力に対する密やかな抵抗だけとは思えない。単に罰則がなく、逮捕もされなかったのが最大の原因と私は見ている。
対照的にイラン・イラク戦争時のイラン社会で頭をスカーフで覆わない女性は、容赦なく逮捕された。家族が保釈金を払い、ようやく解放されることもあったが、当局が暴力を振るうのは珍しくなかった。戦争終結後でもスカーフなしで逮捕される状態は続いている。
イランでは「非国民」ではなく「不信心者」呼ばわりされるが、これがどれほど酷いレッテルかは、多少でもイスラムに知識のある人なら判るはず。尤もスカーフをしない女性には、“売春婦”と面罵されることが多い。スカーフを被らぬ“売春婦”なら、集団暴行の挙句殺害されても文句は言えない。
拙記事を見て、イランの様な極例を挙げていると思った人もいるかもしれないが、イスラム圏でイランは特殊ではない。女性は一応顔を出し、選挙権も持っているのだから、サウジよりはマシである。サウジで女性参政権が与えられたのは2015年だが、絶対君主の命によってだった。ちなみにスイスの女性参政権の獲得年は1991年。
立命館大学の飯田未希教授は昨年、「非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ」という書を刊行、戦時下でおしゃれに拘った女性を取り上げたという。調べる中、「地方の美容業界の記録などで『防空壕の中でパーマをかけた』『空襲でもかけた』という話が出てきたそうで、想像以上に多くの女性が、批判されながらパーマをかけ、丈の短いスカートをはいていることに驚いた」と話す。
読書メータに件の本のレビューが載っているが、こうしてみると日本のおしゃれ抑圧はかなり温かったことに私も驚いた。岩出山町はド田舎だったにせよ、一応電気は通っていた。ただ、母が勤労奉仕で行った鳴子町の農家は電気はなく、ランプ生活だったという。これではパーマどころではない。
防空壕や空襲下でもパーマをかけた女たちがいたことに驚いた人は多いだろうが、明日をも知れぬ極限状態では人間本来の欲望が露わになる。イラン・イラク戦争時のテヘランでも、富裕層は地下室で飲酒やダンスに興じていたのだ。表向きは禁止されているはずのアメリカのポップスのカセットテープや映画のビデオテープを鑑賞するのが戦時下でのせめてもの気晴らしだったから、日本のパーマと通じるものがある。
これを密やかな抵抗と樋口恵子氏や飯田教授は解釈しているが、私はそればかりとは思えない。いつ死ぬか分からないならば、生きているうちに好きなこと、やりたいことを実行したいという本性の表れだったはず。
パーマネント「禁止」は結局のところ、国家権力よりも女の嫉妬によるところが大と私は見ている。大日本婦人会やイスラム革命防衛隊の女達、さらに時代を遡れば、フランス革命時の女革命派もやることは似ている。おしゃれに現を抜かす上層階級の同性が許せず、言いがかりを付けてはつるし上げる集団心理は同じ。そして特集記事の末尾の文章も意味深だ。
「戦争は装うを抑圧するが、ファッションが社会を動かすことがある。その好例が、フランスの高級ブランド「シャネル」の創始者ココ・シャネル(1883~1971年)だ。
7月公開予定のドキュメンタリー「ココ・シャネル 時代と闘った女」は彼女の生涯を追っている。ウェストを締め付けず動きやすい機能的なシャネルの服は、戦争に労働力をとられた結果、働くことになった女性の圧倒的な支持を集めた。
日本の女性が戦時下、パーマを求めたのも手入れが楽で機能的な側面もあったからだ。ファッションは精神だけでなく身体の自由を支えることもある。」
シャネルのドキュメンタリーではナチス・ドイツによるフランス占領時代、彼女がドイツの外交官と愛人関係にあったこと、つまり対独協力行為(コラボラシオン)であったことを取り上げているのだろうか?時代とは闘ってもナチスには協力していた女でもあった。
日本女性が戦時下、パーマを求めたのを手入れが楽で機能的な側面もあったからという意見はこじ付けにも思える。モンペだって手入れが楽で機能的なファッションだった。ダサいので嫌われたが。
周囲から声高に非難され、非国民呼ばわりされてもパーマをかけ、洋装していた女性たちは大変勇気がある。国家権力への抵抗だけではなく、己自身の生き方を貫いた気概は見事だと感心させられた。
一方wikiには、樋口恵子氏の2010年8月14日付のこんな発言が載っている。
「(日本が韓国を植民地支配していた)事実に関して、節目ごとに36回でも、100回でも謝り続けて100年友好状態を続けていくと日韓の歴史も変わって行くだろうと思う。」
また樋口氏は、「世代間で歴史認識に対する考え方が違うことを危惧している」とも言っていたとか。道理でメディアによく登場するはずだが、同調圧力を強いる大日本婦人会と同類の左翼婆さんだった。そして戦時下で非難されてもおしゃれをしていた女性を称賛する樋口&飯田両氏が、おしゃれやファッションセンスはイマイチなのは苦笑した。
2007年、塩野七生さんは粕谷一希氏との対談で、「アジア歴史資料センター」に在籍する人物の発言を挙げている。
「歴史事実は共有できるが、歴史認識は共有できない」
◆関連記事:「昭和初年の美容整形」
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つまるところそれが正しいと思います。パーマで国家への抵抗云々とは何というかwwwww
色々言われますがww2の戦時下の日本の締め付けなんて諸外国に比べたら全然ゆるゆるです。
「焼き立てパン買ってきたよ」「逮捕」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス①第一次世界大戦編~https://note.com/wa8492/n/n2d8158f72d86
この方のww2編
お宅のペット、まだ生きてるの?」「転職したい?投獄な」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス②第二次世界大戦編~|枢密院勅令 @order1914 #note note.com/wa8492/n/n709c… Welcome to this crazy time 基本的人権もクソもないイカレた時代へようこそhttps://note.com/wa8492/n/n709c535ddc4b
それとは別に、戦時下においては一定レベルの思想統制や情報統制は仕方ないかと思います。負けたらもっと酷いことになるので。(実際、GHQの思想統制や情報統制を受けたわけで。占領したのが中ソだったら、そんなものじゃすまないし。)
一つ大きく誤解されていることがあって、民主主義では確かに「戦争を始める権利」は国民にあります。
しかし、「戦争を終わらせる権利(正確には軍事行動を停止させる権利)」は国民にありません。
戦争が始まったら、軍事機密の保持や敵国のプロパガンダへの対抗のために、情報統制は必須です。情報を開示されず敵国のプロパガンダに晒される国民は最善の選択ができません。
だから、戦争を終わらせる(正確には軍事行動を停止させる)のは、戦争を始める前に選んでおいた(全権を委任され全ての情報を得て最善の選択ができる)最高司令官です。
# 大本営発表を絶対的に否定すること自体が、戦時下におけるプロパガンダを有効にするためのプロパガンダです。
そして、参政権は「戦争を始める権利」でもある(こちらから攻撃しなくても外交で失敗すれば攻撃される)ので、参政権を行使した結果責任を負うための国防の義務と不可分なのです。
国防の義務の平等をシステム化したのが徴兵制であり、参政権とは一人一個の命を預ける最高司令官を選ぶ権利だから一人一票です。
参政権の行使が政府予算の分配だけなら、株主総会のように参政権(一票の価値)は納税額に比例すべきでしょう。
しかし、この辺りの議論は、戦後、うやむやにされています。(サヨクは意図的にしたくないし、ウヨクは馬鹿だし、アメリカは頭お花畑なのでズレているし。もっとも、日本人は戦争が始まったら即座に理解するとは思います。)
そして第二次世界大戦でも同じでしたか!これではナチス・ドイツの方が自由だったかも。
また飯田教授は政府のコロナ対策を暗に批判、「酒の提供禁止といった禁止事項が増えるのは戦時下と似ている」と述べていましたが、厳しいロックダウンと罰則を科す欧州の国々に比べれば全然ゆるゆる。軍靴の足音が聞こえるの類の教授殿は中共のそれには全聾状態。
河北新報には米国在住で多文化共生を教えていると称する女がコラムを載せていましたが、東条英機を独裁者と書いていた!枢軸国・連合国ともにリーダーが独裁者でなかったのは日本くらいですよ。単に無知なのか、意図的な確信犯なのやら。
市川房枝が翼賛体制に参加したことは意外に知られていませんよね。彼女の功績を称える人もこの件には無視します。英国でもサフラジェット(女性参政権活動家)は、第一次世界大戦時にはかなり戦争協力しており、戦後ついに女性は参政権を獲得しました。
先に牛蒡剣さんがリンクされていますが、英国の思想統制や情報統制はかなり厳しかったようです。これではナチス以上?と感じました。米国も思想統制や情報統制は当たり前のはず。21世紀の9.11以降でも情報統制が敷かれています。
>>「戦争を終わらせる権利(正確には軍事行動を停止させる権利)」は国民にありません。
その通りでしたね。そして参政権は「戦争を始める権利」でもあることを知らない一般国民は多いでしょう。戦時中はどの国も「大本営発表」を行っており、日本だけがしていたのではない。サヨクはそれを意図的に無視しているし、もし本当に知らなければ無知の極みです。
著者によると、当時のベルリンでは性道徳が完全に崩壊していたそうです。着る楽しみ、食べる楽しみ、その他あらゆる楽しみがなくなったために、唯一の楽しみはセックスだけ。
連合軍の猛爆撃は、人々はいつしかそれを日常生活の一部として受け入れるようになっていました。空襲警報が解除さると、人々は防空壕から出て、解放感を満喫するために、あちこち歩きまわるのですが、これはセックスの相手探しでもあり、簡単に意気投合してしまうというのです。戦争中ですから、若い男の多くは戦地へ行ってしまったためか、むしろ女性の方が積極的だったらしいのです。
爆撃の後にセックスの相手探しとは、体を重ねることで生きている事を実感したかったのか、明日死ぬかもしれないから、今のうちにやれるだけやっておこうと思ったのか、戦時下の人間の心理として、大変興味深いと思いました。
戦国時代の籠城では城内でセックスに走ることがあったそうですが、第二次世界大戦時での東京ではベルリンの様なことは起きていたのやら。防空壕でパーマをかけていた日本女性は、ベルリンに比べどこかのどかに思えてきます。
江戸川乱歩の「防空壕」は初めて知りました。残念なことに青空文庫にはなっていませんが、ネタバレしているブログ記事がありました。最後に美女の正体が明かされるのは滑稽です。
内田百けんに「東京焼盡」と言う、東京が空襲を受けていた時代の日記があります。3月10日に大空襲を受けたのですが、意外に周囲の人間が明るくサバサバしていたそうで、「生き残った」事で逆に暗い雰囲気にはならなかったのかと思ったり。
あとは、酒や食料を知り合いから貰って空襲の中でも楽しみを見つけようとしており、どんな状況でも人間は気晴らしを求めるようです。
「防空壕」の“美女”は何と50代でしたか!同じ50代でも50と59では現代でもかなり違いますが、当時の50代は元首相の発言通り、「女性と言うには、あまりにもお年」状態だったのやら。戦前は現代よりも短命だったし、医療水準も低く女性は老けやすかったのでしょう。
一方、男性は一夜のあと彼女以外の女性に対する興味を失ってしまったとは……堅気の男女交際はオープンではない時代でしたから。
「東京焼盡」も初めて知りましたが、読書メータでのレビューからも興味深いですね。
https://bookmeter.com/books/466764
空襲時でも酒を求める呑兵衛の心象は、酒好きの私も共感させられました。東京大空襲とは比較になりませんが、東日本大震災直後には暗い雰囲気は見られませんでしたね。行列をつくって店に並んでいる時も、暗い顔つきの市民はいなかった。