その一の続き
ホロドモールのような未曾有の惨事を各国は知らなかったのか?と現代人なら思うはず。wikiの「国際社会の反応」にはいかにソ連が狡猾に隠蔽、それに手を貸した欧米の知識人がいたことが載っており、ここから一部引用したい。
―ウクライナの報道も制限されていたので、ごく少数の目撃者をのぞいて世界に知られることもなかった。ジャーナリストのガレス・ジョーンズは1933年3月、ウクライナへの旅行禁止処置をやぶって汽車でハルキウに入り、人々が飢えで腹がぱんぱんにふくらんでいるのを目撃した……
こうした少数の報道や、ウクライナから逃亡した農民たちの証言などから、ウクライナでの惨状について各国もある程度承知していたが、スターリンは、五カ年計画の成功を宣伝し、外交的承認を得ようとしていたため、飢饉を絶対に認めるわけにはいかなかった。
ソ連は、あらゆる手段を用いて、飢饉を作り話だと否定していった。オーストリアの新聞が飢饉を報道すると、ソビエト連邦共産党機関紙『プラウダ』は「無礼な中傷だ。汚い作り話だ」と否定した。ワシントンのソ連大使は、ウクライナの人口は年率2%で増えており、ソ連でもウクライナの死亡率は一番低いと述べた。
また、ソ連の人口学者は、ウクライナの人口増加率が低いのは、凶作や自然減、そして「それまでウクライナ人と考えていた人が、自分をロシア人とみなすようになった」ことも要因であると説明した。
ソ連は、ソ連に同情的な世界中の知識人を利用して飢饉の隠蔽工作を行っていたことが現在では判明している。アメリカの「委員会」は、木材産業での強制労働が認められないと報告したが、この「委員会」は、ソ連との友好関係を保つ機関から報酬をもらって雇われていた。
当時バーナード・ショウやH・G・ウェルズ、エドゥアール・エリオらはソ連に招かれた。しかしこれは、「模範的な運営が成されている農村」を見せられ、当局の望み通りの視察報告を行っただけであった。
フランスの急進党エドゥアール・エリオは1933年8月と9月にソ連に滞在し、ウクライナにも5日間滞在し、見学や宴会で歓迎されると、『プラウダ』はエリオが、ウクライナに飢饉はなく、ソ連での飢饉があるという報道は虚偽報道だと述べたと報じた……
バーナード・ショーは1932年に「ロシアでは栄養失調のものは一人もいなかった」と証言した。1933年にはイギリスではソ連に関する嘘のキャンペーンが繰り広げられているが、実際のソ連には経済的奴隷制や失業もないと公言した……
wikiには載っていないが、'30年代初めにはインドの詩人タゴールも訪ソし、帰国後は素晴らしい国だと絶賛している。ソ連を称賛したのは文学者に留まらず、ジャーナリストにもいたことがwikiに記載されている。
―ニューヨーク・タイムズ特派員記者のウォルター・デュランティは、ガレス・ジョーンズが実際にウクライナで目撃したことを報道すると、「いたずらに恐怖心をあおろうとしたでっちあげ」で「誇張された有害で悪意に満ちた(反共主義の)プロパガンダ」だとジョーンズを批判し、ソ連では「現実に飢饉などない」と断言した。
こうして「権威ある知識人たちがソ連政府に同調して飢饉の事実を否定することを繰り返していくうちに、飢饉のことは忘れられていった」。
ホロドモールについて、再び以下のコメントを頂いた。
資料の廃棄 (スポンジ頭)
2022-03-28 00:18:19
>ソ連に同情的な世界中の知識人を利用して飢饉の隠蔽工作を行っていたことが載っています。
ロシアが制圧した都市で、ソ連がウクライナ人を弾圧した資料が破壊されたそうです。戦争目的に関してこんな話は盲点でした。資料が破棄されロシアに有利な歴史が作られるのは困りますね。
https://twitter.com/IN_Japanologie/status/1507960858474790912
以下はリンク先のHiroaki Yoshikawa 氏のツイート。
「インテルファクス・ウクライナ通信社より3月25日付。キーウの北でロシア軍に占領下のチェルニーヒウ州で、ソ連時代のウクライナ人弾圧に関する史料(ウクライナ保安庁СБУが所有)が破壊されたと、国家文書業務長で歴史学者のアナトリー・フロモフ氏が報告。やはりか…」(3月27日)
同日にはさらに衝撃的なツイートもある。
「ソ連国家による文書押収は、国内知識人だけでなくベルリンをはじめとする海外で何度も行われた…」
ホロドモールは330万人から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出したと見られている。ロシアのウクライナ侵攻後もロシア寄りの世界中の著名人を利用、あらゆる手段を用いて自国に不利な情報をフェイクと否定する姿勢は90年前と全く変わりない。日本のメディアにもロシアシンパが盛んに出ている。
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