その①、その②の続き
インドの人口の凡そ8割強はヒンドゥー教徒が占めている。自身、ヒンドゥー教徒であるヴァルマ氏の見解は興味深い。一般にインド人は宗教に寛容とのイメージがあり、インド人もまたそう信じているが、そのような見方を氏は間違っていると言う。ヒンドゥーの慣例はとても偏狭で堕落しており、高カーストの教徒がシュードラ(※カースト最下層、他に不可触民までいる)に加え続けた暴力や偏見は他の宗教では見られないもの、とまで書いている。氏の説は正論だが、己の属する宗教のタブー面をはっきり明記する姿勢は異色である。これが他教徒、殊にムスリムだったらどうだろう?開口一番、「イスラムは寛容な宗教」が決まり文句であり、「イスラムは誤解されている。偏見を止めてほしい、もっと理解してほしい」など、自分が他宗教を理解する姿勢は見せぬ一方、異教徒には寛容と尊重を要求する有様。欧米人キリスト教徒や仏教徒も、まず己の信仰する宗教のマイナス面を異教徒に話したりしない。
ヴァルマ氏が続けて書いた文章から、その理由が浮かび上がる。「ヒンドゥー教徒は現代においても、過去においても、自分たちの宗教に関して不安を感じたことがない」と、氏は断言している。ヒンドゥー至上主義者は妄想に憑かれた一部に過ぎず、歴史的に見てヒンドゥーは存続の危機に対し、この上ない自信を示してきたとして、様々な実例を挙げている。
ヒンドゥー教は1聖典に成文化した慣習を入れるとか、1つの神の下に組織化する、防衛や宣伝のため教会を建てるといった必要性を全く感じなかった。ヒンドゥー教では異議を唱えることも理論上は許されており、他の宗教では見られないことだとヴァルマ氏は言う。異端という考え自体もなく、ヒンドゥーの哲学は一神教なら極刑に値する無神論者にも理解を示す。
1998年、アジア初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、ヒンドゥーの核心を突き、こう述べている。「不可知論や無神論について世界最大の文学が、サンスクリット語で書かれています」。少し古いが、『ヒンドゥー教』(クシティ・モーハン・セーン著、講談社現代新書)に六派哲学の一派による言葉「救済もない、転生、来世もない、これが絶対の真理である…」が載っているのを見た時、私も驚いた。宗教の基本教義である神による救済や輪廻転生も否定する者が古代からいたとなる。
ヒンドゥー教は1つの統一体―聖典・教会・神―でコントロールする必要がなかったので、攻撃や消滅に対し強い免疫力を持ち、何時も驚くほど落ち着いていた、と記すヴァルマ氏の文面から、己の宗教への揺ぎ無い自信が伺える。信者にとりヒンドゥー教とは自分の行き方そのものであり、人に改宗を勧めたり、簡単に改宗させられたりはしない、忠誠心を何時も試す必要もない、ヒンドゥー教には改宗そのものの概念もないと言う。生まれながらにヒンドゥーであるか、部外者であるかの2つだけだ、と。
インドは武力により改宗を迫られたことが歴史上2度ある。11世紀のムスリム侵攻と近代のイギリスによるもので、双方とも一神教、軍事を福音の目的に使ったことは共通している。インド人は異教徒征服者の政治的優位性は認めたものの、信仰は受け入れなかった。改宗に応じた者もないわけではなかったが、しなかった人々に比べれば圧倒的に少数だった。同様の状況下にあった他国と比べれば、その違いがはっきり浮かび上がる。アフリカ大陸、南米、東南アジアではイスラムやキリスト教が現地人の宗教を制圧するも、インドでその試みは失敗している。インドで千年前からヒンドゥー教徒の信徒数は大多数を占め、現代もそれは変わらない。
ヒンドゥーが他宗教を敵視しなかったことは、歴史的事実として非常に重要だ、とヴァルマ氏は強調する。理由は至って簡単、ヒンドゥーは他宗教を怖れなかったからと氏は断言している。単なる強がりではない証明とばかり、氏は実例を挙げて自説を展開している。ユダヤ人は何処の地よりもインドで平安に暮らし、アラブ出身のムリスムは千年以上も昔、ケーララ州で邪魔されることなしに布教活動を行っていた。パールシー(インドのゾロアスター教徒)は7世紀(※8世紀、10世紀説もあり)に、キリスト教徒は4世紀にインドに平和的に来ている。もし、ヒンドゥー教徒が他宗教に脅威を感じていたなら、おそらく押さえつけていただろう、と氏は言う。確かにキリスト教を押さえつけた儒教圏や日本とも対応が異なっている。そのため後に「宗教の衣をまとった帝国主義」(ネルー)に苦悶するに至るのだが。
その④に続く
よろしかったら、クリックお願いします
インドの人口の凡そ8割強はヒンドゥー教徒が占めている。自身、ヒンドゥー教徒であるヴァルマ氏の見解は興味深い。一般にインド人は宗教に寛容とのイメージがあり、インド人もまたそう信じているが、そのような見方を氏は間違っていると言う。ヒンドゥーの慣例はとても偏狭で堕落しており、高カーストの教徒がシュードラ(※カースト最下層、他に不可触民までいる)に加え続けた暴力や偏見は他の宗教では見られないもの、とまで書いている。氏の説は正論だが、己の属する宗教のタブー面をはっきり明記する姿勢は異色である。これが他教徒、殊にムスリムだったらどうだろう?開口一番、「イスラムは寛容な宗教」が決まり文句であり、「イスラムは誤解されている。偏見を止めてほしい、もっと理解してほしい」など、自分が他宗教を理解する姿勢は見せぬ一方、異教徒には寛容と尊重を要求する有様。欧米人キリスト教徒や仏教徒も、まず己の信仰する宗教のマイナス面を異教徒に話したりしない。
ヴァルマ氏が続けて書いた文章から、その理由が浮かび上がる。「ヒンドゥー教徒は現代においても、過去においても、自分たちの宗教に関して不安を感じたことがない」と、氏は断言している。ヒンドゥー至上主義者は妄想に憑かれた一部に過ぎず、歴史的に見てヒンドゥーは存続の危機に対し、この上ない自信を示してきたとして、様々な実例を挙げている。
ヒンドゥー教は1聖典に成文化した慣習を入れるとか、1つの神の下に組織化する、防衛や宣伝のため教会を建てるといった必要性を全く感じなかった。ヒンドゥー教では異議を唱えることも理論上は許されており、他の宗教では見られないことだとヴァルマ氏は言う。異端という考え自体もなく、ヒンドゥーの哲学は一神教なら極刑に値する無神論者にも理解を示す。
1998年、アジア初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センも、ヒンドゥーの核心を突き、こう述べている。「不可知論や無神論について世界最大の文学が、サンスクリット語で書かれています」。少し古いが、『ヒンドゥー教』(クシティ・モーハン・セーン著、講談社現代新書)に六派哲学の一派による言葉「救済もない、転生、来世もない、これが絶対の真理である…」が載っているのを見た時、私も驚いた。宗教の基本教義である神による救済や輪廻転生も否定する者が古代からいたとなる。
ヒンドゥー教は1つの統一体―聖典・教会・神―でコントロールする必要がなかったので、攻撃や消滅に対し強い免疫力を持ち、何時も驚くほど落ち着いていた、と記すヴァルマ氏の文面から、己の宗教への揺ぎ無い自信が伺える。信者にとりヒンドゥー教とは自分の行き方そのものであり、人に改宗を勧めたり、簡単に改宗させられたりはしない、忠誠心を何時も試す必要もない、ヒンドゥー教には改宗そのものの概念もないと言う。生まれながらにヒンドゥーであるか、部外者であるかの2つだけだ、と。
インドは武力により改宗を迫られたことが歴史上2度ある。11世紀のムスリム侵攻と近代のイギリスによるもので、双方とも一神教、軍事を福音の目的に使ったことは共通している。インド人は異教徒征服者の政治的優位性は認めたものの、信仰は受け入れなかった。改宗に応じた者もないわけではなかったが、しなかった人々に比べれば圧倒的に少数だった。同様の状況下にあった他国と比べれば、その違いがはっきり浮かび上がる。アフリカ大陸、南米、東南アジアではイスラムやキリスト教が現地人の宗教を制圧するも、インドでその試みは失敗している。インドで千年前からヒンドゥー教徒の信徒数は大多数を占め、現代もそれは変わらない。
ヒンドゥーが他宗教を敵視しなかったことは、歴史的事実として非常に重要だ、とヴァルマ氏は強調する。理由は至って簡単、ヒンドゥーは他宗教を怖れなかったからと氏は断言している。単なる強がりではない証明とばかり、氏は実例を挙げて自説を展開している。ユダヤ人は何処の地よりもインドで平安に暮らし、アラブ出身のムリスムは千年以上も昔、ケーララ州で邪魔されることなしに布教活動を行っていた。パールシー(インドのゾロアスター教徒)は7世紀(※8世紀、10世紀説もあり)に、キリスト教徒は4世紀にインドに平和的に来ている。もし、ヒンドゥー教徒が他宗教に脅威を感じていたなら、おそらく押さえつけていただろう、と氏は言う。確かにキリスト教を押さえつけた儒教圏や日本とも対応が異なっている。そのため後に「宗教の衣をまとった帝国主義」(ネルー)に苦悶するに至るのだが。
その④に続く
よろしかったら、クリックお願いします