自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるようになったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。 こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるようになったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。 こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。
動画に登場するおばさんの発言は、信仰心の薄い一般日本人には「よくこんな戯言が口にできる」としか思えませんが、本人たちは漫才ではなく本気だから始末が悪い。自己陶酔するのは勝手ですが、教会に籠ってやってくれ!と言いたくなります。
ただ、あの類のおばさんにノストラダムスのことを言ったのは不味かったと思います。返って脈があると思われ、勧誘に熱意が入るはず。前に『宗教の勧誘を受けたら…』という記事を書きましたが、ひろさちや氏の主張を引用しています。氏は即座に断れと言っていました。確かに聞く姿勢を見せれば、宗教の押し売りをする連中ですから。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/cf769d323354d8d5fcfbc386b3c7ff17
キリスト教の興味深い動画を投稿しました。エホバの証人のおばさんが、聖書の予言や滅びの日などと、中二病な発言をされています。これ程キリスト教に夢中だと幸せかな?(爆笑)。
あれですよ、宗教は趣味なんですよ。だから理解できないです。キリスト教徒にとってイエス様とやらはスターなんですね。異教徒にとっては大迷惑ですが。
http://www.youtube.com/watch?v=eDps7RGLB2A
横浜にお住まいでしたか。キリスト教と称しても、胡散臭いカルトもありますからね。
三位一体を取るアタナシウス派が「正統」とされ、これがカトリックになりましたが、古代ローマ末期からアリウス派やネストリウス派のような宗派もありましたから、現代でも“異端”は生まれるのでしょう。
非信者からすれば、「キリストの弟」を自称する教祖には噴飯モノですが、この類の詐欺師ならその程度のホラを吹くのは朝飯前でしょう。
以前「信仰の自由」という記事で排他的な宗教の危険性を書いてますので、気が向いたらご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/ba4a48bf9112299b6848bfe613cd12f6
こんばんは。むかしあにまるです。
私の住んでる辺りでも右翼街宣車に混じって、偶にキリスト教系の街宣車(と言うんですかね?^^;)が来ます。
一応、キリスト教の教義を嫌々ながらでも学んだ身としては、正当的なキリスト教の教義とは懸け離れた言説に仰天します。
こいつら、三身一体論も知らんだろう、と。(笑)
あくまで、キリストは神ではなく神の子なのであって、父なる神と子なるキリスト、そして聖霊をもって絶対者たるヤハウェ神を顕現するものとなるはずです。
まぁ、この第3位の聖霊なるものが一番解りにくい存在でして、私も良く分かってなかったりしますが。
なので、万能の神であるキリストなどと言われると\眼一杯脱力してしまいます。
ましてや、某統一教会の教祖の「キリストの弟」宣言には「はぁ?」としか。(笑)
一通りキリスト教を学んだ上で「これは信用するに足らない」と私は判断しました。
以前に言ったことと矛盾するかもしれませんが、宗教って強いようで実は決然と「信じない」と言ったらそれで終わってしまう、結構脆いものではないかとも思いました。
与太話ですみません。おやすみなさい。
マキャベリは天国地獄の死生観を信じてなかったと思います。
血の池地獄や針山地獄も生者の想像の産物だと思いますが、乞食と修道士と使徒しかいない天国なら願い下げです。スペイン映画『カルメン』で、最後に「お前と一緒なら、数千年の地獄の業火もあっという間に過ぎ去る」と歌われてました。地獄でもカルメンには男どもがわらわら寄ってきそうですが・・・
共産圏での名称はブラックジョークそのものですね。「人民解放軍」やら中華「人民共和国」朝鮮「民主主義人民共和国」!
旧ソ連や中国もトップの血の継承はしてないのに、北朝鮮はまさに金王朝。呉善花さんは共産主義と儒教の混合と書いてました。
仙台の中心部でもプラカードを持ったキリスト教の街宣をしてますが、秋葉原もそうでしたか。街の中心ならまだしも、最近は住宅街にも宣伝車が来るので、鬱陶しいだけです。「聖書の間違い」というサイトがありますので、関心があればご覧下さい。
特にお勧めは「殺せ!と神が命じるとき」の章。
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html
「私が行きたいのは地獄であり、天国ではない。地獄へ行けば歴代の教皇、国王、皇太子と一緒になれるだろうが、天国には乞食と修道士と使徒しかいないのだから」(マキャベリ 遺言)
さすがにマキャベリですね(辛辣ですね)。もし、本当に、天国と地獄というものがあったとしたら、mugiさんはどちらに行きたいですか?地獄も辛いでしょうけど、こんな天国では退屈でしょうね。
共産主義では、軍は民衆を抑圧するものとして、政府は直接支配するものではないそうです(例えば、中国軍ではなく人民解放軍)。ですが、旧ソ連、中国、北朝鮮などの共産主義政権は、外は軍拡で対抗し、内は軍により言論・自由を抑圧する(天安門事件など)。
このことからも、共産主義は欠陥“宗教”であることの一端も、証明されるのではないでしょうか?
(厳密には、中国、北朝鮮の共産主義は、血縁による支配の継承を禁じているのに反している為、亜流、または共産主義のいいこと(?)だけ抜き取った、といった所でしょうか?)
追伸、
秋葉原でも、キリスト教の街宣(イエスを信じないと地獄に落ちる、など)をよく耳にします。本当に、他宗教を信じる自由や、宗教を信じない自由を、この国は保障しているのですが。本当に、ウ○イだけですね。
(こんな者ばかりがいる天国は、本当に天国といえるのでしょうかね?)
日蓮など他の宗派、特に念仏地獄など攻撃してました。私の家は浄土宗なので檀家はこぞって地獄行きですね^^;
天国地獄など誰も見た事もない。見た事がないから、好き勝手にホラを吹けるのでしょう。天国地獄はこの世の人間の作り出す現象です。
共産主義もまたアヘンですね。階級闘争など実現不可能な御託並べて崩壊した欠陥“宗教”に過ぎません。
上記コメントで9世紀のアラブ思想家の意見を挙げましたが、これって共産主義や儒教にも当てはまります。
「マルキストの精神はせっせと反体制派を反動右派と糾弾することで形成されてゆく」
「儒教体制はせっせと異文明を夷狄と蔑視することで形成されてゆく」
むかしあにまるです。TBありがとうございました。
この、 「××を信じないと、地獄に落ちる」は仏教でも一神教的色合いの強い真宗系の派生とか日蓮宗やその派生である日蓮正宗(創価学会の旧宗門)でも良く使われる論法ですよね。
何しろ地獄を見た人なんていないので、誰も検証の仕様がない状況下で決め付けるように言われてもなぁ、と言う気がします。
この辺、「絶対者に選ばれた」人たちのどうしようもない独善を感じて仕方がないのですが。
同じ臭いを共産主義と特アに感じます。
共に理想と現実が乖離しているのに、自ら努力することなく、絶対者に選ばれているからやがて自分たちの理想の世界が来ると言う思い込みだけで他者を見下す倣岸さがどうにも。
他者にそういう態度であたれば反発を招くのは分かりそうなものだと思うのは、相手が自分と同じ考え方をするのではと言う同じ罠に捕まっている考え方かもしれませんが。
その辺がわたしがずっとキリスト教に感じている違和感の正体なのかもしれませんね。
与太なコメントで済みません。^^;
全然過激ではないですよ。
私は個人情報欄にも書きましたが、インド、中東史に関心があり、イスラム圏の中東などまさに貴方が書かれた通りだったのですから。多神教のインドは“異端”という思考はないのでまだマシですが、一神教は神の名において殺害しますので。
「神学者の敬神の念はせっせと反体制派を不信仰者と糾弾することで形成されてゆく」と9世紀のアラブ思想家アル・ジャーヒズは言っていたそうです。
いつも、稚拙な私のコメントに対します、ご丁寧なお返事(コメント)、ありがとうございます。
>「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが
私的な解釈ですが、一言よろしいでしょうか?
それは、そもそも、宗教なるものは、神(キリストやアラー等)や仏の言葉を信仰するのではないということです。神の言葉を聞いた、神の教えを引き継いだ、宣教師や弟子の言を信じることです。
これは、例え、人を殺すなと神が言ったとしても、神を冒涜する人、敵対する人、そして、神の名を借りて教えるものたちを批判する者はべつものとなるのです。
そして、信者も神、そのものを信仰するのではなく、司教や僧侶の言を信仰するのです。
神の言を語る者は、その時、その場所に会わせて(神の教えや解釈を)変化させて、神の名を借りて、冒涜するものに罰を与える(と脅す)。そういう意味では、一番、神に対する冒涜を行っているのは、司教、僧侶、宣教師、弟子等、そのものです。それに対する、明確な罰を受けた、という話はあまり聞いたことがありません(政敵を貶める為に、神の名を借りて、罰を与えることは、多数あると思いますが)。
少し、過激かもしれませんので、この辺で。