2008-06-12付けの記事でも載せたが、ジャーナリスト上がりの作家・辺見庸氏は死刑反対を訴え、次のように述べていた。
「犬や猫の殺処分に怒り涙を流す者たちが、人間の絞首刑に泣きもしないのはどうしてなのか」
これぞ日本人の感傷的ヒューマニズムに訴えようとする手段に過ぎず、吐き気を催したくなる偽善の典型にしか見えない。wikiによれば辺見氏は「「耳障りのいいことばだけがもてはやされ、不謹慎と非難されそうな言葉は排除される」言説に強い違和感を覚え、口を閉ざした」後、「「語ってはいけないものを語ること」を意識した」作品を発表したという。
ならば私も氏に倣い、語ってはいけないものを語ることにする。辺見氏の問いかけへの答えは簡単だ。死刑囚よりも犬猫の方が遥かに愛されており、他人に危害を加えた犯罪者よりも、人を傷つけず役に立つ動物の方が大切だからだ。辺見氏もそれくらい判らぬはずはない。これも氏の“耳障りのいい言葉”を装った不謹慎と非難されそうな言葉である。
洋の東西問わず人類史を見れば、一般庶民よりも動物の方が大切にされていた例に溢れている。人権という概念は近代にようやく生まれたに過ぎず、19世紀までは全世界で奴隷制はみられ、奴隷と動物ではそれほど境遇に違いはなかった。むしろ家畜の方が奴隷よりも大切にされていたのではないか?まして野生動物など、単に狩りの対象に過ぎなかった。
昔の東北の農村で嫁は「角のない牛」だったと言った人がいたが、時には牛の方が大切にされていたのかもしれない。いくらでも代わりが利く嫁に対し、牛は貴重な生き物だし、牛馬同然に酷使されていたのは農家の嫁だけではない。
数年ほど前、『イマームの転落』というエジプトの女性作家ナワル・エル・サーダウィの小説を見たことがある。かなり重いテーマの作品だったので、前半だけしか読まなかったが、ロバの代わりに粉ひき作業だったかを女がされられていた個所があった。ロバは高価なので、早々に使えないという理由で。もちろんこれは寓話で、いくら男尊女卑のエジプトでも実際に女が動物の代わりに粉ひきをさせられることは考えられない。片倉もとこ氏もサーダウィの作品を、イスラム社会の負の面を強調しすぎていると批判的だった。
サーダウィはエジプトのフェミニズム活動家ではあるが、その言動から投獄されたのも1度だけではなかったはず。『イマームの転落』のヒロインはビント・アッラー(※神の娘の意)、イスラムを少しでも知る人ならば、これだけでも大変なことになるのは分ろう。神への冒涜そのものであり、フィクションでは済まされない。日本のお嬢ちゃま活動家とは、度胸も次元も違うのは確かではある。
辺見氏のような文化人は死刑反対の根拠として欧米の例を挙げるのが毎度だが、欧米人が有色人種を動物並、或いはそれ以下に扱っていたのはさほど遠い時代ではない。現代でもアジア・アフリカ人よりも動物を優遇していると感じることもある。欧米人の訴える死刑廃止は、第三世界で我が物顔に振る舞う欧米人への処刑を防ぐのが真の目的ではないか…と私は最近疑っている。
『自由な人間』という記事でも書いたが、独立前のインドで乗馬、散策していたインド人に、通りかかった英国人が「そんなにひどく馬に鞭を入れてはいけない」と注意した。それに対するインド人の答えが振るっている。
「イギリス人がこれよりひどく人間をぶっているところを見た。馬への貴方の同情は筋違いのようだ」
多くの日本の知識人が人権国家と憧憬するフランス。しかし、そのフランスも中世は農奴は動物はもちろん果樹以下の存在だったのだ。『残虐の民族史』(柳井伸作著、光文社)には興味深い古事が紹介されている。
―12世紀頃のフランスの農奴の中には、冬場にものを煮炊きする薪がないと、果樹の皮をはいで使う者たちがいた。彼等は現行犯で捕えられると、その樹木の下で腹を裂かれ、腸を引き出して木に釘付けにされた。ゆっくりと腸を引きずり出され、その間に鞭打ちを受けたという。地主にとっては、貴重な果樹は農奴以上に大切だったということなのだろう…(39頁)
12世紀の日本も一般庶民に人権などない時代だったが、ここまではされなかった。確かに人間の絞首刑に泣きもしない動物愛護主義者たちと、農奴よりも果樹を大切にした地主は通じる面がある。しかし、動物愛護主義者や肉親以外でも、絞首される死刑囚に泣きもしない人が大半ではないか。中には憐憫どころか、「ざまあみろ」と思う者もいるはず。所詮他人事に過ぎず、辺見氏自身、己と関わりのない絞首刑者に涙したのか?
最後に語ってはいけないものを語るが、人間は他の人間を見下す生き物であり、凶悪犯を同じ人間どころか、獣以下と見る者は21世紀でも多いだろう。
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歯切れよく偽善を暴く文章、溜飲が下がる思いです。
自分の言説に酔うがごとくの辺見庸さんて姜尚中さんと似ているなとかねがね思っているのです。
辺見庸氏への歯切れのよいコメントに、同感致しました。
偽善的知識人の典型だと思います。
片倉もとこ氏をあげておられますが、フィールドワーク先のベドウィンキャンプには外交官であるご主人の公用車で乗り付けていたとして、批判されていましたよ。以前、編集の仕事に携わっていた時に、人類学の学者の何人かがこぼしていましたので記憶に残っています。元祖日本のお嬢様研究者なのかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/9bfd472649801dc329e21bb59eb9aab8
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/ca1b1b4ef8325a7f084e76a72e424803
姜尚中もその点は全く同じでしょう。メディアに好都合な知識人でチヤホヤされるから、自分の言説に酔うのは当然ですね。裸の王様ならぬコメンター。
今時ここまで偽善丸出しの知識人も珍しい。辺見氏は現代を「人倫のない時代」と断言、メディアの現状を「資本の運動へのメディア側による未だかつてなく従順な投降」「世の中の狂(たぶ)れ心と暴力に闘わずして屈した」と批判していました。つまり、活字媒体が衰退したのは世の中が悪いということで、人倫無き知識人こそ当人でしょう。
片倉氏の件は初耳です。ご主人の車でフィールドワーク先に行くのは結構ですが、公用車はいただけません。外交官夫人となれば、ここまで公私混同がやれるのでしょうか。学生時代、氏の講演を聞いたことがありましたが、確かにお嬢さん風の印象でしたね。学者は世間知らずが多いし、片倉氏も社会通念がないのやら。
小生も、死刑の執行には涙などしないけど、自分の猫が死んだら泣くと思う。これが普通の人間でしょう。EUの死刑禁止への肩入れは不思議なことです。被害者の肉親が、犯人への死刑判決を望まないはずもないと思うけど。
他方、辺見庸という元報道関係者は、はじめて名前を知ったけど、wikiによれば、共同通信社員だったらしい。通信社社員には、おかしい人がいると小生も感じたことがある(現地新聞をほとんど読まず、自ら勉強もしないで、日本人にばかり取材していた)。現地在住の日本人を安く雇用する現地雇い制度もあるから、さほどのインテリでない場合もあるようです。
ともかく、動物愛は、西欧でも盛んで、どうしてこんな不思議なコメントをするのか?小生にはわからない。
日本の死刑廃止運動家にはクリスチャンが多く、あるカトリックのブロガーも、娘が殺害されても犯人の死刑を望まなかった米国人を紹介した記事を書いていました。しかし、聖書には死刑奨励の文句がありますから、言行不一致の極みです。
「だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない」(レビ記24:17)
以前、実話をもとにした米映画『デッドマン・ウォーキング』を見たことがあり、記事にしました。興味深いのは米国では死刑執行の際、被害者遺族の立会いを認める州もあるのです。もちろん遺族が望まなければ、立ち会う必要はありません。この辺は羨ましいと思いました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/c731e49966093b3d9db569e610cca2fa
シーシェパードのような動物愛というより動物狂徒にとっては、人間より鯨が大切な生き物なのでしょう。ま、私自身、この連中よりサメの方がずっと高等な生き物と思っているし、シーシェパードの連中などサメの餌に相応しいと思っています。
wikiによれば辺見氏は、昭和19年宮城県石巻市生まれ、早稲田大学第二文学部社会専修卒業、共同通信社に入社、外信部のエース記者として知られたそうです。この年で宮城の田舎から早稲田大に入学するほどなので、かなり恵まれた環境のはず。インテリなのは確かでしょうけど、書いていることは左派寄りでしたね。オバマに関して聞かれ、こう答えていました。
「期待していない。オバマ政権は基本的にクリントン(元大統領の)ファミリーが支えている。彼らはイスラエルと非常に関係が深い。ガザ虐殺も反省していないのではないか…」
「犬や猫の殺処分に怒り涙を流す者たちが、人間の絞首刑に泣きもしないのはどうしてなのか」
簡単な事ですね。絞首刑になる人間は何の罪を犯したか。人間の都合で殺処分になる犬や猫が何の罪を犯したか。そこを鑑みれば、一方に同情し、他方に同情しないのは、当然の事だと思います。
また、例えば、無罪の罪で死刑になる人間には同情しますが、自己の欲や、病気とされる事によっての殺戮した者が絞首刑になろうとも全く同情しない。それは、犬や猫も同様で、例えば、幼児や老人などを噛み殺したり、大人の人間でも怪我をさせるような犬や猫であれば、殺処分となっても、同情しないですね。
ま、酔っぱらいの屁理屈なので、正しい事はないでしょうけど。
田中宇(サカイ)という人の有料メルマガを小生は購読しているけど、それによると、イスラエルのネタニャフ政権は、今回の大統領選で、オバマではなく共和党候補に積極支援し、オバマ政権によって冷遇されているとか。すなわち、辺見氏の意見は間違っている模様。
オバマ政権は、米国の経済復興を重視し、そのためには軍事費削減、アフガニスタン、中東などからの撤退路線です。
国産のシェールガス・オイルの開発で、米国の中東からの撤退方針は、それなりに合理性も持つ。だから、イスラエルのわがままに、これ以上付き合う必要性も薄れているようです。ましてや、共和党を支持したユダヤ系の票には依存せず、勝利した、ということで、ユダヤ、イスラエル系には厳しい側面が当分続くとみられる。
なお、辺見氏は小生より1年年上ですが、大学生のころ、当時の時代、左翼偏重が日本の言論界の主流だったから、辺見的意見は、普通の凡人の意見と言える。
小生のように大学から、すぐに共産国で暮らし、共産主義の欠陥ばかり体験した人間とは違って当然だけど、やはり『へそ曲がり精神』に欠けており、マスコミで発言すべき人間とは思えない。
>>絞首刑になる人間は何の罪を犯したか。人間の都合で殺処分になる犬や猫が何の罪を犯したか
この言葉に尽きます。先のコメントにも書いたように、辺見氏は共同通信社外信部のエース記者として知られたそうですが、記者の屁理屈は酔っぱらいのそれよりも遥かに悪質です。
私も冤罪で処刑される人には同情しますが、絞首刑になるのは犯罪者の中でもとりわけ凶悪犯です。殺人でも犯さない限り、まず死刑にはなりません。辺見氏にそれが判らないはずもない。だからトンでも論を展開するのでしょうけど、彼の身内が惨殺されても犯人の絞首刑を望まないやら。辺見氏はおそらくひょう変するタイプだと見ています。
辺見氏へのオバマへの見解は2009年初めなので、当時はそう見られても当然だったかもしれません。ガザ紛争てもイスラエルにはダンマリだったし、大統領就任後もイスラエル支持を明確にしていた。大統領首席補佐官ラーム・エマニュエルはユダヤ系でアメリカ、イスラエルの二重国籍だったはず。この人物は2010年まで首席補佐官でした。
イスラエル寄りと見られる民主党ですが、共和党にも劣らぬほどシンパがいるらしく、『イスラエル・ロビー』という本ではその実態が描かれています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/349849663875060e245a13064da1e7f8
しかし、最近ではシェールガス・オイルの開発で風向きが変わってきたようですね。それでも米国内のキリスト教原理主義者は侮れない影響力があり、彼らは総じてイスラエル支持です。キリスト教徒なのにシオニズムを支持するのだから、異教徒には本当に不可解です。
以前、辺見氏コラムをネタにした時、「ユウスケ」さんから次のコメントを頂きました。
「大衆、つまり社会的常識を持ち合わせた大多数の一般人に記事を提供している人間が、社会正義のような大義名文を振りかざしたり、自分たちを選ばれた人間であるかのように気取っているのは、不愉快きわまりないですな。
ジャーナリストは大衆的目線を保たなければならないにもかかわらず、やはり取材相手が一般人ではなかなか知り合う機会のない高名な人々であると、自分もその一員であるかのごとき錯覚を覚えるのでしょう」