『ローマ人の物語-スペシャルガイドブック』での塩野七生氏と「中央公論」の元編集長・粕谷一希氏との対談で、宗教も取り上げられていた。日本もローマも多神教だが、塩野氏は同じ多神教でも日本とローマは本質的に違うと言う。日本の場合は自然に神々の数が多くなったが、ローマは他国を征服し、その敗者の宗教まで取り入れた。征服した民族の神までローマの神々に組み入れるというのは、その神々を信じている民族の存在を認めるということでもある、それに対し、日本は自国の中で自然繁殖したようなものでしかない、と。日本の多神教にかなりシビアだが、これにはファンの私にも異論がある。
古代世界の覇権帝国ローマに対し、ほとんど鎖国状態だった日本では征服した民族の神を取り入れることは出来なかった。ただ、神々を“自然繁殖”したとする ならば、宗教の成立もまた自然繁殖と言える。人間は環境の生き物であり、その環境が宗教を形づくる。日本の神々も大陸や朝鮮半島起源の神々もおり、帰化人 が郷里から持ち込んだのだ。有名な七福神もインドや中国、日本の土着の神々である。~天と付くのは大体インド系の神であり、七福神の一人の大黒天はインドのシヴァ神と大国主神が習合。インドのシヴァが若いイケメンで描かれるのに対し、大国主が袋を担いだオッサン姿なので、分からない方も少なくないだろう。
代表的な多神教ならヒンドゥー教だろう。成立したのは4世紀頃と見られるが、その前身にバラモン教が あり、ヒンドゥーをネオ・バラモン教と呼ぶ学者もいる。バラモン教は元来インド亜大陸に侵攻したアーリア人の宗教だったが、先住民の土着の信仰と融合して 成立したのがヒンドゥー教。最も信仰を集めるシヴァも非アーリアの神である。この点は敗者の宗教を取り入れたローマと同じ。しかし、ローマの多神教とヒン ドゥーの決定的な違いは前者は職業的聖職者と啓典がなかったこと。日本の神道は啓典こそないが、神官は存在した。ローマがキリスト教という敗者の宗教に飲 み込まれたのも、職業的聖職者と啓典がないことが大きかったと私は思う。
ローマと覇権を争ったペルシア帝国の宗教がゾロアスター教。 ローマと違い、ペルシアは支配下に置いた民族の神を取り入れず、異民族の宗教の影響は受けても、他宗教の神を崇めることはなかった。さらに異民族からの改 宗者も認めなかった。こう書くと、ローマと違い非寛容な印象を持たれるだろうが、他の宗教の存在を認めているし、自分たちの宗教を強要することはまずな かった。この宗教も職業的聖職者と啓典がある。塩野氏はペルシアに点が辛いが、様々な民族が存在するオリエント社会で、曲がりなりにも帝国と平和を築いた のだから、ペルシアの寛容な統治はもっと評価されてよいのではないか。
ヘレニズム時代、 小アジアに暮らしていたペルシア人について記したギリシア人の記録がある。他の民族がギリシア文化に染まっていく中で、ペルシア人は自分たちの伝統と文化 を固く守り続けていたそうだ。だがユダヤ人と違い他民族との協調は巧みなペルシア人ゆえ、民族の伝統は固持しつつ、異民族とも共存していたのだ。この記録 は、後年インドに移住したゾロアスター教徒(パールシー)を髣髴させる。千年以上前からインドに居住しつつ、融和はしても同化しなかった民族集団。「彼らがインドで自分たちの文化を守り続けたのは、驚くべきことだ」とネルーにも言わしめているほど。商売柄インドに行ったローマ人もいたらしいが、インドに移住した他の民族同様彼らは早々現地に同化してしまったのと好対照だ。
塩野氏は対談で「日本人が植民地を作った時、神社の鳥居を持っていってしまった。我々は多神教の精神を忘れたんです」とも語っている。ローマも属州にジュピター等の神殿を作ったのではないか。本質は同じだと思われるが。
ただ、氏の「日本人は情緒的に宗教を捉えますが、宗教は団体、組織になると非常に恐ろしい力を発揮する。時に人の心の中にまで手を突っ込んでくる」は納得。日本の知識人には宗教のことを知らない者が少なくないのは残念だ。知識人がそうだから、カルトに簡単に騙される。
多神教同士なら習合も可能だが、一神教では共存は不可能だ。一神教に飲み込まれたローマの宗教の脆さは何を意味するのだろう。ゾロアスター教もイスラムに屈服するが、仏教、マニ教、景教な ど中央アジアに栄えた諸宗教で現代まで生き残ったのは興味深い。一神教徒に長く支配されながらも、飲み込まれなかったヒンドゥーとゾロアスター教は親戚筋 の宗教でもある。日本も敗戦後、キリスト教に改宗する者がさほど出なかった。一神教を沙漠の宗教、多神教を森の宗教と言った方がいるが、どちらも自然から 発生しているのだ。
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古代世界の覇権帝国ローマに対し、ほとんど鎖国状態だった日本では征服した民族の神を取り入れることは出来なかった。ただ、神々を“自然繁殖”したとする ならば、宗教の成立もまた自然繁殖と言える。人間は環境の生き物であり、その環境が宗教を形づくる。日本の神々も大陸や朝鮮半島起源の神々もおり、帰化人 が郷里から持ち込んだのだ。有名な七福神もインドや中国、日本の土着の神々である。~天と付くのは大体インド系の神であり、七福神の一人の大黒天はインドのシヴァ神と大国主神が習合。インドのシヴァが若いイケメンで描かれるのに対し、大国主が袋を担いだオッサン姿なので、分からない方も少なくないだろう。
代表的な多神教ならヒンドゥー教だろう。成立したのは4世紀頃と見られるが、その前身にバラモン教が あり、ヒンドゥーをネオ・バラモン教と呼ぶ学者もいる。バラモン教は元来インド亜大陸に侵攻したアーリア人の宗教だったが、先住民の土着の信仰と融合して 成立したのがヒンドゥー教。最も信仰を集めるシヴァも非アーリアの神である。この点は敗者の宗教を取り入れたローマと同じ。しかし、ローマの多神教とヒン ドゥーの決定的な違いは前者は職業的聖職者と啓典がなかったこと。日本の神道は啓典こそないが、神官は存在した。ローマがキリスト教という敗者の宗教に飲 み込まれたのも、職業的聖職者と啓典がないことが大きかったと私は思う。
ローマと覇権を争ったペルシア帝国の宗教がゾロアスター教。 ローマと違い、ペルシアは支配下に置いた民族の神を取り入れず、異民族の宗教の影響は受けても、他宗教の神を崇めることはなかった。さらに異民族からの改 宗者も認めなかった。こう書くと、ローマと違い非寛容な印象を持たれるだろうが、他の宗教の存在を認めているし、自分たちの宗教を強要することはまずな かった。この宗教も職業的聖職者と啓典がある。塩野氏はペルシアに点が辛いが、様々な民族が存在するオリエント社会で、曲がりなりにも帝国と平和を築いた のだから、ペルシアの寛容な統治はもっと評価されてよいのではないか。
ヘレニズム時代、 小アジアに暮らしていたペルシア人について記したギリシア人の記録がある。他の民族がギリシア文化に染まっていく中で、ペルシア人は自分たちの伝統と文化 を固く守り続けていたそうだ。だがユダヤ人と違い他民族との協調は巧みなペルシア人ゆえ、民族の伝統は固持しつつ、異民族とも共存していたのだ。この記録 は、後年インドに移住したゾロアスター教徒(パールシー)を髣髴させる。千年以上前からインドに居住しつつ、融和はしても同化しなかった民族集団。「彼らがインドで自分たちの文化を守り続けたのは、驚くべきことだ」とネルーにも言わしめているほど。商売柄インドに行ったローマ人もいたらしいが、インドに移住した他の民族同様彼らは早々現地に同化してしまったのと好対照だ。
塩野氏は対談で「日本人が植民地を作った時、神社の鳥居を持っていってしまった。我々は多神教の精神を忘れたんです」とも語っている。ローマも属州にジュピター等の神殿を作ったのではないか。本質は同じだと思われるが。
ただ、氏の「日本人は情緒的に宗教を捉えますが、宗教は団体、組織になると非常に恐ろしい力を発揮する。時に人の心の中にまで手を突っ込んでくる」は納得。日本の知識人には宗教のことを知らない者が少なくないのは残念だ。知識人がそうだから、カルトに簡単に騙される。
多神教同士なら習合も可能だが、一神教では共存は不可能だ。一神教に飲み込まれたローマの宗教の脆さは何を意味するのだろう。ゾロアスター教もイスラムに屈服するが、仏教、マニ教、景教な ど中央アジアに栄えた諸宗教で現代まで生き残ったのは興味深い。一神教徒に長く支配されながらも、飲み込まれなかったヒンドゥーとゾロアスター教は親戚筋 の宗教でもある。日本も敗戦後、キリスト教に改宗する者がさほど出なかった。一神教を沙漠の宗教、多神教を森の宗教と言った方がいるが、どちらも自然から 発生しているのだ。
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ローマも属州に自分たちの神々を祭る神殿を建ててますね。当然日本と同じく拝めとは言った筈です。多少は信仰を強要したと言えなくもないですが、これが一神教ならどうだったでしょう?
異教の神殿は尽く破壊、その上に自分たちの教会を立てます。北インド、欧州、中東、新大陸に古代の神殿の遺跡がほとんどないのはその大規模な破壊行為の結果。ハワイなど、アメリカ人が来てから、それ以前の土着宗教は邪教と否定され、当然神々を祀る建物は破壊。19世紀のことです。
>ドグマさん
>>塩野氏よりもmugi氏に同感
私のような無名の一ブロガーには、とても光栄なお言葉です。
かく言う私もペルシアを贔屓目に見がちなので、他山の石にしたいところですが、ローマの宗教が滅びたのに対し、少数にせよペルシアのゾロアスター教は生き残ったのは興味深いです。
敗戦でも神道は根絶されませんでしたが、最近宮司のなり手がいないのは問題。