その一の続き
日英の著名な女性参政権活動家が、そろって祖国の戦争遂行への協力姿勢を見せていたというのは興味深い。尤も市川房江はバンクハースト夫人の例に倣ったことも考えられるが、後者があくまで戦争以前と同じく過激な活動を続け、戦争反対を表明していたらどうなっていたのか?ほぼ逮捕され、サフラジェットは非合法化、解散させられただろう。バンクハースト夫人の次女以外にも戦争反対を訴えた平和主義者もいたのだが、彼らはこぞって“非国民”呼ばわりされた挙句、監獄に送られている。“非常時”には欧米もそれほど苛酷なのだ。そしてバンクハースト夫人は1858年生まれ、過激な行動も辞さなかった人物なので、戦争=絶対悪という考え方はなかったのかもしれない。
「女性が国防に参加しないと戦争を遂行できないことが分かって、欧州では女性参政権が自然に認められました」、と断定したmottonさんは高知出身の男性である。彼は2008年にも故郷を引き合いにコメントをしている。これだけで高知と東北での違いが判った。
―私も両親が共働きでした。祖母は80越えても畑仕事で家族の野菜をまかなっています。高知は男が昼間から酒を飲んで国家とか語っているので、そうなってしまったのでしょう。ただ大分の親戚もそんな感じでしたから(怠けても飢死や凍死はしない)南国ゆえかもしれません。北国や砂漠だと生存のために男の物理的パワーに頼らざるを得なくなるので、どうしても父権が強くなります。
自衛・自活が出来ない者は権利を主張できませんからね。女性が戦争に参加する第一次世界大戦まではどこでもそうでしょう。
戦争での男手不足のため、女性の社会進出が加速するケースがある。日欧米全て近代以降の戦争はこのパターンだし、意外に知られていないイランの例を挙げたい。1963年、イランは女性参政権を獲得したが、女性教育の拡充や社会進出を決定付けたのがイラン革命とその直後に起きたイラン・イラク戦争である。
欧米メディアではチャドル強制着用を殊更取り上げ、女性抑圧政権と報道していたが、女性布教者や教育者育成のための女子宗教学院を開いたのこそホメイニだった。元来、宗教学院は男性聖職者を育成する教育機関で女は対象外だったが、人口の半数を占める女性にイデオロギーとしてのイスラム(但しシーア派)を浸透させるため、女性布教者の養育が不可欠とホメイニは考えたのだ。
女子宗教学院にはイランは元より、他のイスラム諸国から多くの女子留学生を受け入れていた。女子留学生たちは卒業後、故郷で宗教学校の教師をしたり、女子宗教学院を開設するなど女性宗教者、つまり知識人層として活躍する。もちろん「イラン革命の輸出」政策でもあり、多数派スンナ派に警戒されたが、女性が国策や国防に参加しないと、革命や戦争を遂行できないことを知ったホメイニの戦略だった。戦後、イラン女性は宗教の他に理工系教育機関にも進出していく。
以上は女と戦争の関わりでのプラス面だが、やはり戦地で女は絶対的に不利である。先日、東大名誉教授・上野千鶴子が、「男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。「守られて」みなければ、敵のほうがもっと「いい男」かもしれないのだ」と放言していたことを知った。上野の著書を引用したブログ記事もあり、人気サイト「BLACKASIA」2014-06-22付けの記事「戦争の現状は、日本の大学教授の無邪気な見解を粉砕する」とは、上野を指している。
「BLACKASIA」では無邪気な見解と控え目な表現だが、私のメル友の男性は感想をこう述べている。
―こんなボンクラでも名誉教授ですか。いい仕事ですね。戦時中の男なんて、敵国の女性を蹂躙したり殺害した例ならば、枚挙にいとまがないのですが、、、。(戦時中でなくとも、今現在でもこういう事は、世界中で行われているのですが)
戦争で敵側のイイ男と出会えるかもしれない等の発想自体、無知蒙昧の見本というか…その可能性は皆無ではないが、とびきりの美貌と魅力を持つ女に限られる。その類の上玉は大将クラスが独占するし、一般の女はただの戦利品、モノ扱いなのだ。まして老女など役に立たず、気紛れに殺される確率が高い。
そして戦時なら敵国はもちろん自国の男でも危ないことを、この女名誉教授は知っているのか?戦争となれば男は完全に雄状態となり、野獣化する。敵の男に護られる前に、裏切り者と見なされれば容赦なく私刑対象である。女も戦時では非情だし、敵と通じたと疑えば攻撃は辞さないはず。第二次世界大戦後、ドイツ兵と関係した連合国の女達は丸坊主にされ、リンチされたものだった。
大規模な破壊、大量殺戮が可能となった近代の大戦がなければ、女性参政権は未だに獲得できなかったのかもしれない。女が政治に参加する権利を得たのは画期的だが、その代償も大きかった。女が参政権を得た結果、果たして政治レベルはそれ以前より向上したのか、疑問を感じることもある。
ミハイル・ショーロホフ作の「静かなドン」という長編小説があります。
この作品の映画化されたものを、若いころブルのTVで見たのですが、次のような箇所が奇妙に記憶に残っています。
コサック族の村で、ある女性は、夫が長く戦場に出かけているので、とても我慢ができず、露に侵略してきていた仏軍兵士のところに夜這いをかけます。
戦後、仏軍兵士から梅毒をうつされたことを知って、この女性は、夫が村に帰るのを待たずに、ドン川に身を投じ、大きな川の真ん中の方へと泳いで溺死=自殺して果てます。
まあ、小生としては、戦時に敵兵に身をゆだねる女性等多いとは決して想像もしないけど、もう一つの例外として、戦時中の元日本兵の記憶で、「日本人は優秀だから、種を欲しい」と言って、警備役の男性同伴で夜這いしてくる女性が、東南アジア(ミャンマーなど)ではいたという話も聞きました。
別に名誉教授とかに賛同はしないけど、世の中には意外とたくましい女性もいる、ということ、昔ほど女傑がいたということかも。人類の歴史には、例外も存在する、ということでしょう。
長編小説「静かなドン」は未読ですが、とても興味深いストーリーですね。私はコサックの風習を知りませんが、いかに孤閨に耐えられなかったにせよ、よりによって敵兵の元に夜這いをかけた??或いは侵略軍でもフランス人、つまりロシア人の憧れる文明人だったので、夜這いに来たのやら。これがタタール人なら、まずやらないかったかも。
また、この女性は梅毒をうつされなかったならば、自殺しなかったかもしれませんね。戦争前と同じく何食わぬ顔で夫と暮らしていたり。
そして戦時中、日本兵の元に警備役の男性同伴で夜這いしてくる女性が、東南アジア(ミャンマーなど)にいたという話は初耳です。これが事実ならば嬉しいですね(笑)。このようなケースは例外かもしれませんが、戦時には女性も逞しくなります。優秀な子種を欲しいというのは、牝としての本能ですから。
同じ「静かなドン」の映画で、もう一人のコサック女性は、夫が出陣し、長い間村に帰ってこないので、食べるために隣村のロシア人貴族の家に家政婦・女中として働きに出ます。
そして、いつの間にかこのロシア人貴族の愛人とされ、毎晩よろしくやっていた。ある日、夫が戦場から戻り、このロシア人貴族の家で妻が働いている、と言うのを聞いて、連れ戻しに来ます。
ところが、この夫に、貴族邸で働く他の男性従業員が、「女は、抱いてくれる男になびくものだ」と意味深な告げ口をします。夫は気づいて、馬の後ろから徒歩で付いてくる妻に冷淡に接します。馬に乗せてもやらないし、口もききません。
妻は泣きながら、「許しておくれよあんた、しょうがなかったんだよ・・・いつまでたってもあんたが戻ってこないし・・・・」と泣き崩れます。
結局夫は、とうとう諦めます。コサック兵も、戦場に出ている間に、現地で女を抱くこともある。夫がいない間に、妻が寝取られることもある・・・それがどうしようもない現実だと、徐々に理解する・・・と言う風景を、なかなかしっとりと、上手にロシア人俳優たちが演じていました。ウクライナ、或は北コーカサス付近のやたらに広い、寂しい平原地帯では、隣村と言っても馬で1日がかりの距離です。徒歩の妻と一緒では、途中で野宿も必要です。野宿すると、妻の寂しさも分るのです。いつの間にか一緒に体を寄せて二人は眠りにつきました!!
こんなストーリーで結構泣けたのは、ロシア南部の大平原の寂しさ、自然の厳しさ、などの風景が、あまりにも印象的で、人間の浮気程度は小さいことに見えるからかも。
ドン川は静かでも、人間社会は喧しいようですね。ロシア人貴族の愛人となったコサック女性ですが、生活もかかっているし、帝政時代ならば主人の誘惑には断わり辛いところはあったと思います。それでも、「女は、抱いてくれる男になびくものだ」というのは事実。私としては、毎晩、夫に浮気されていたロシア貴族の正妻の動向がいささか気になりました。
それにしても、ウクライナ、或は北コーカサス付近の平原地帯では、隣村と言っても馬で1日がかりの距離とは知りませんでした。本当に広い!日本ではこのような大平原がないため、平原地帯の人々の習慣は理解しにくいのかもしれません。
ロシア貴族の正妻・・・については全然記憶にありません。何しろこの映画をTVで見たのは、まだ小生が20代前半の頃で、コサックの妻たちの浮気について記憶しているのが不思議なくらいですから。
とはいえ、小生の記憶では、映画に出てくるのは、この貴族の田舎にある領地の家(Petersburgの都に本宅があるはずだから、ある意味別荘です)で、妻とか家族は同伴していなかったと思う。或は、この貴族は、まだ若くて独身だったかも。
だから、正妻が浮気に感づいて・…云々の修羅場はゼロでした。
要するに記憶にあるのは、若くて、美人で色気のある女性が、旦那の長期の出征で、男日照りに嘆いていて、とうとう仏兵士に夜這いをかけて・・・
と、もう一人は、かなり慎ましやかに見える夫人が、ロシア貴族の家に家政婦として働きに出て、長期間そこで働く間に、ご主人様が、夜になると本宅から彼女の住む女中小屋にやってきて、夜を共にする、と言う風景です。
後者の夫人の夫は出征先から帰宅後、妻の勤め先である貴族の家に、妻を連れ戻しに行き、そこで浮気に気が付く・・・という話です。
別にこの夫も、貴族を殺して復讐する、ということもしない。ただ、1度だけ、鞭で妻をぶちましたが・・・。
この映画では、ロシア貴族の正妻は登場していなかったのですか。さらに別荘住いのようで、ひょっとして単身赴任?つい愛人という言葉に反応してしまい、正妻との三角関係を連想してしまいました(笑)。
同じコサックでも、タイプの異なる女性が登場するのは面白いですね。若くて、美人で色気のある女と慎ましやかな人妻。どちらも夫の出征中に不倫をしますが、夜這いをかける前者に対し、主人から夜這いをかけられた後者。明らかに不倫に積極的な前者は性病を得て自殺し、後者は夫が許すような設定も男性作家らしいというか。
もう一つ思い出した風景があるので、これも書いておかないと、何となく完結しない気分・・。
その梅毒を貰ってしまった美人妻は、毎晩夜這いをかけていることを察した老人(夫の父親)に、敵軍相手に何をしていると怒鳴られます。
その時、この妻は、老人の手を取って自分の体に這わせて、「文句があるなら、毎晩私を抱いてよ、私はまだ若いのよ。とても我慢できないのよ・・・。」
これに対して老人は力なく、俺はもう無理だよ・・・と言います。
この時の印象も強烈で、未だに台詞が(本来はロシア語ですが、日本語で記憶している)出てくるほどです。(TV画面にはブル語の翻訳も出ていて、小生は少しのロシア語知識+学習中のブル語で、一生懸命内容をフォローしていた)。
ともかく、ショーロホフの原作は長すぎて、とても読む気にはなれなかったけど、映画で見た限りでは、こういう浮気場面などがあり、社会主義時代のソ連でも、こういう映画を撮れるのだ、ブルでもこういう内容の映画(白黒でしたが、TVが白黒しか映せないからなのか、映画もまだカラーでは撮っていなかったかも)を放映できるのだと、不思議でした。まあ、社会主義でも、少しエロっぽい場面くらいは許可を出せたようです。
その「慎ましやかな妻?」で、夜這いをかけられた方の妻も、実はかなりのモノでした。
夫が長期出征で、家政婦として働きながらも、元気が無かったのが、夜這いされるようになると、昼間も生き生きとした働きぶりで、甲斐甲斐しく主人の本宅を清掃するし、ご主人様の洗濯物も嬉しそうに洗濯するようになります。
女中小屋の隣の小屋に住む男性従業員(かなり年配で、夜這いしそうもない感じ)は、この女性が、ある日以来急に元気になり、陽気なのにすぐ気が付きます。そして、例の夫が連れ戻しに来た時に、「女は抱いてくれる男になびく」という言葉を発しました。まるで、男としての魅力はすでに無い自分を憐れむように、そして貞淑そうな妻が、毎晩嬉々としてご主人様を迎えていたのを妬むように・・・・。
まあ、男女の普通の感情を、淡々と描く・・・、これがショーロホフの手法かと思いました。善悪を超えている領域かも。とはいえ、あなたの言うように、男にとって都合のよい女を描いている、ともいえます。
梅毒を貰ってしまった美人妻は、何と舅に夜這いを責められても居直って、「文句があるなら、毎晩私を抱いてよ…」と言うのですか。いくら夫不在でも、元から男なしにはいられない性質だったのかもしれませんね。コサックやスラヴの性風習は知りませんが、帝政時代でも思ったより開放的な印象を受けました。
共産圏の映画は何となくお堅いといったイメージがあるのですが、この作品は結構際どい個所があるようですね。政治問題は論外にせよ、案外浮気のような男女関係は問題にされなかったのでしょうか。
もう一人の一見慎ましやかなコサック女性も、やはり好き者でしたか。その気があるから、主人も嗅ぎつけて夜這いに来たのやら。そのおかけで、仕事に身に入るようになったというのは理解できます。
彼女の夫に継げ口をした男性従業員ですが、彼が若かったならば、こちらと関係したのかもしれませんね。例え年配者でも、嫉妬心は無くなっていないはず。
それにしても、タイトルとは裏腹に波乱万丈そうなストーリーのようですね。この映画を観たくなりました。