トーキング・マイノリティ

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チェチェン

2005-07-04 20:36:18 | 読書/中東史
 イラクの混乱は毎日のように報道される。が、チェチェンで起きている出来事はまずニュースにもならない。親アラブでアメリカ非難をする人々がチェチェンにはだんまりを決め込んでいるのは何故だろうか?

  1552年、モスクワ大公国のイワン四世雷帝)は3世紀に渡ってロシアを支配したカザン・ハーン国を滅亡させる。この「タタールのくびき」からの開放こそ、現代にも通じるチェチェン紛争の幕開けともなる。
 「ロシアの新しい臣民となった不信者どもに真の神を受け入れさせよ。我々と共に彼らに幾久しく聖なる三位一体を崇拝させよ
 イワン雷帝はこの言葉どおり、イスラム教徒のタタールの王侯貴族や宗教指導者に過酷な態度で臨んだ。宗教指導者の多くはモスクやマドラサ(寺院、宗教学校)、ワクフ(宗教寄進)財産を奪われ、非業の最期を迎える。

  19世紀になり、カフカース征服に本格的に乗り出したニコライ一世は、カフカースの「黒人」たちの掃討を命じた。現代でもロシア人はチェチェン人を「黒人」と蔑称で呼ぶ。実際は人種上からチェチェン人はコーカソイド(白色人種)なのだが。
  1834年、ニコライ一世の元に、チェチェン人の処置について、ある官僚の上奏文が届けられた。
邪悪な意図を持つ輩を扱う唯一の方法があります。それは完璧なまでに絶滅する事です。これは決して難しいことではありません。実際、彼らの人口数は戦いを重ねるごとに少なくなっているからです
  エカテリーナ二世以来、四人の皇帝による征服戦争でチェチェン人は激減。1870年頃まで、チェチェン住民の3分の2が死亡したといわれる

  ロシアがソ連となっていた1944年2月、独ソ戦争の最中にもチェチェン人、イングーシ人がほとんど一夜にしてカザフスタンへ移住させられた。この時50万人ほどのチェチェン人が、流刑地から祖国に戻った時には半減していたと言われる。エリツィン以降のチェチェン侵攻では少なくとも数万人もの死者がでたとされる

  北方領土問題への牽制のため、中韓の歴史認識支持を表明したロシアの、カフカースでの歴史の一部である。

■参考『世界の歴史20巻-近代イスラームの挑戦』中央公論社


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2 コメント

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Unknown (Mars)
2005-07-06 01:10:00
こんばんは、mugiさん。

雨が降ったり止んだりで、スッキリしないですが、がんばっていきましょう。



ところで、ロシアですが、やはりあの国は100年前と余り変っていないのですね。ロシアが親しい中国の言葉を借りると虎狼の国。警戒はすれども、友好は難しいですね(親しい国は、類は友を呼ぶというか)。

私は不勉強で申し訳ないですけど、そういう歴史があったのですね。左巻きの日教組やマスゴミ、人権団体やプロ市民があまり取り上げないのもうなずけます(ましてや、ロシアの肩を持つ報道とかには、、、)。



やはり、こういう国々が常任理事国である国連(連合軍)に幻想を抱くのはやめないといけませんね。更に、当事国のチェチェンにとっては、現在進行形の戦争(あえてこの言葉を使います)であり、援軍を出すことはできないのでしょうか?(こういう所にも、米国の無思慮・無頓着さがわかります)



それはさておき、我が国体制は、、、。国内問題は山積なのに、〒問題でもめる等。とても、援軍の期待薄ですね。
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Unknown (mugi)
2005-07-06 22:49:15
こんばんは、 Marsさん。

ほんとうに梅雨特有のうっとうしい天気が続きますが、はやく明けて欲しいですね。



中国も虎狼の国ですが、ロシアはやはり熊の国の方が相応しいかも(笑)。

チェチェンだけではなく、クリミア・タタール人の例もひどい。あの国全体が「収容所群島」そのものですからね。

アメリカも「テロとの戦争」で黙認してますし、チェチェンに駆けつける援軍はアラブのイスラム原理主義者ばかりなので、さらに問題が複雑化しています。



ああ、それにしても我が国体制は 〒問題の援軍はアメリカ。郵貯のカネ目当てに。
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