その①の続き
ジャムセートジーはゾロアスター教の近親婚の規定に従い、曽祖父の代に分かれた同族のターター家出身のヒーラーバイ・ターターと結婚する。彼女の兄ダーダーバイはターター財閥創業当初からの最古幹部で、中国貿易部門を担当していた。ジャムセートジーはこの血縁の妻との間に2人の息子を儲け、双方に神官教育を施し、ヘールベド級神格の資格を取得させた。ちなみにターター家には上位のモーベド級神官やダストゥール級神官まで昇った祖先はおらず、そのためターター家は下級神官の家系と見なされることがあるが、ターター家は最高位のダストゥール級神格まで昇る資格を持つ。これは単に世俗活動にエネルギーを注ぎ、それ以上の神官イニシエーションを受けなかっただけと解釈する向きもある。
1904年、ジャムセートジーがドイツ帝国ヘッセン州のナウハイムで死去した後、次男ラータンは早世していたため、長男ドーラーブジーが単独でターター財閥第2代総帥となる。同族の相続権を主張できる直径男子が複数存在していれば、財閥分割の可能性もあったが、この時点ではドーラーブジー以外の相続はありえなかった。ジャムセートジーは「ターター家の家名を守れ」の遺言を遺しており、その意味は①ゾロアスター教神官家系としてのターター家の伝統を守る②ターター財閥をさらに発展させる、とも取れるが、ドーラーブジーは②と解釈した。
そして、父が志半ばでやり残したターター電力とターター・スチールの創設に邁進していく。その結果、父にもまして有能だったとされるドーラーブジーはターター家の鋼鉄工場を三つに、電力会社を同数にそれぞれ拡大、さらに父が考えていなかった保険会社を一つ、インド科学研究所を一つ、セメント会社を一つ、石油会社を一つ、印刷会社を一つ創設し、1932年、ドイツ・ヴァイマル共和国のバート・キッスィンゲンで世を去る。
それにしても、父子共に終焉の地がインドでもイギリスでもなく、ドイツなのか?日本と同じくドイツもまた、インド独立運動家をイギリスへの牽制として支援しており、民族主義者でもあったターター家はドイツにも接近したのであろうか。チャンドラ・ボースのようにインド独立運動家の中には敵の敵とばかり、ドイツと組もうとした者もいた。
親族の女性の手紙によれば、1902年当時、ドーラーブジーのボンベイ(現ムンバイ)の邸宅には5人の使用人が働いており、うのうちの1人は、「ボーイ」と渾名された日本人だったという。ゾロアスター教研究家の青木健氏は当然これに関心を示したが、いくら調べても「ボーイ」の出身や消息は不明だったそうだ。同族意識が極めて強いゾロアスター教神官団の家庭で異邦人が採用されるのは、余程の事情があったと青木氏は推測している。後のターター財閥総帥にも少年時代に日本で過ごした者もいた。
ドーラーブジーは子供も甥もおらず、彼の急逝後、ターター財閥は一時的に後継者不足に陥り、初代の妹の息子であるナオロージー・サクラトワーラーが臨時に第三代総帥を引き受けた。ジャムセートジー系統のターター家に直径男子が絶えた以上、ダーダーバイ系統のターター家から養子に入るのが順当だったのだが、ダーダーバイの長男ラータンは従弟のドーラーブジーと仲違いし、フランスに移住していた。その上彼は、最初のゾロアスター教徒妻を亡くした後、ゾロアスター教神官団の規定に背き、パリでフランス人女性スザンヌと結婚して、保守的なゾロアスター教徒の怒りを買っていた。
ゾロアスター教徒は同族と結婚し純血を尊ぶことで知られ、信者間では神官家系と平信者との結婚も忌まれる。もちろん、異教徒からの改宗も認めない。特に神官が純血を守りたがり、同じ信者でも神官家系と一般信者ではDNA配列さえ違っているという。ラータンが黒人や中国人と結婚したというのなら同教徒が怒るのも無理はないが、フランス人でもダメだったというのは、純血への凄まじい執念が伺える。
初代ジャムセートジーの臨終に間に合った親族は、このラータンとドーラーブジーの2人しかいなかったにも係らず、彼の枕頭で従兄弟同士は目さえ合わせなかったと伝わっている。近親婚を繰り返した故に近親憎悪も激しいのだろうか?「短気者」の家名どおり、元から激情の血が流れているのか。
この対立の背景ゆえ、ラータンの家系からターター財閥の相続人が選出される可能性は低かった。またドーラーブジーもこのような事態を予測していたのか、財産をチャリタブル・トラストに委託する手続きを取っていた。
しかし、6年を経て代貸しのサクラトワーラーも死去した1938年、ターター財閥の後継者問題が再燃する。サクラトワーラーの時代にはターター財閥は下降線を辿っていた。世界経済全体が世界恐慌で不況だったためもあるにせよ、強力なリーダーシップを発揮する総帥の不在も響いたらしい。ここで後継者として浮上したのこそ、ラータンとフランス人妻の間の息子ジャハーンギールだった。
その③に続く
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ジャムセートジーはゾロアスター教の近親婚の規定に従い、曽祖父の代に分かれた同族のターター家出身のヒーラーバイ・ターターと結婚する。彼女の兄ダーダーバイはターター財閥創業当初からの最古幹部で、中国貿易部門を担当していた。ジャムセートジーはこの血縁の妻との間に2人の息子を儲け、双方に神官教育を施し、ヘールベド級神格の資格を取得させた。ちなみにターター家には上位のモーベド級神官やダストゥール級神官まで昇った祖先はおらず、そのためターター家は下級神官の家系と見なされることがあるが、ターター家は最高位のダストゥール級神格まで昇る資格を持つ。これは単に世俗活動にエネルギーを注ぎ、それ以上の神官イニシエーションを受けなかっただけと解釈する向きもある。
1904年、ジャムセートジーがドイツ帝国ヘッセン州のナウハイムで死去した後、次男ラータンは早世していたため、長男ドーラーブジーが単独でターター財閥第2代総帥となる。同族の相続権を主張できる直径男子が複数存在していれば、財閥分割の可能性もあったが、この時点ではドーラーブジー以外の相続はありえなかった。ジャムセートジーは「ターター家の家名を守れ」の遺言を遺しており、その意味は①ゾロアスター教神官家系としてのターター家の伝統を守る②ターター財閥をさらに発展させる、とも取れるが、ドーラーブジーは②と解釈した。
そして、父が志半ばでやり残したターター電力とターター・スチールの創設に邁進していく。その結果、父にもまして有能だったとされるドーラーブジーはターター家の鋼鉄工場を三つに、電力会社を同数にそれぞれ拡大、さらに父が考えていなかった保険会社を一つ、インド科学研究所を一つ、セメント会社を一つ、石油会社を一つ、印刷会社を一つ創設し、1932年、ドイツ・ヴァイマル共和国のバート・キッスィンゲンで世を去る。
それにしても、父子共に終焉の地がインドでもイギリスでもなく、ドイツなのか?日本と同じくドイツもまた、インド独立運動家をイギリスへの牽制として支援しており、民族主義者でもあったターター家はドイツにも接近したのであろうか。チャンドラ・ボースのようにインド独立運動家の中には敵の敵とばかり、ドイツと組もうとした者もいた。
親族の女性の手紙によれば、1902年当時、ドーラーブジーのボンベイ(現ムンバイ)の邸宅には5人の使用人が働いており、うのうちの1人は、「ボーイ」と渾名された日本人だったという。ゾロアスター教研究家の青木健氏は当然これに関心を示したが、いくら調べても「ボーイ」の出身や消息は不明だったそうだ。同族意識が極めて強いゾロアスター教神官団の家庭で異邦人が採用されるのは、余程の事情があったと青木氏は推測している。後のターター財閥総帥にも少年時代に日本で過ごした者もいた。
ドーラーブジーは子供も甥もおらず、彼の急逝後、ターター財閥は一時的に後継者不足に陥り、初代の妹の息子であるナオロージー・サクラトワーラーが臨時に第三代総帥を引き受けた。ジャムセートジー系統のターター家に直径男子が絶えた以上、ダーダーバイ系統のターター家から養子に入るのが順当だったのだが、ダーダーバイの長男ラータンは従弟のドーラーブジーと仲違いし、フランスに移住していた。その上彼は、最初のゾロアスター教徒妻を亡くした後、ゾロアスター教神官団の規定に背き、パリでフランス人女性スザンヌと結婚して、保守的なゾロアスター教徒の怒りを買っていた。
ゾロアスター教徒は同族と結婚し純血を尊ぶことで知られ、信者間では神官家系と平信者との結婚も忌まれる。もちろん、異教徒からの改宗も認めない。特に神官が純血を守りたがり、同じ信者でも神官家系と一般信者ではDNA配列さえ違っているという。ラータンが黒人や中国人と結婚したというのなら同教徒が怒るのも無理はないが、フランス人でもダメだったというのは、純血への凄まじい執念が伺える。
初代ジャムセートジーの臨終に間に合った親族は、このラータンとドーラーブジーの2人しかいなかったにも係らず、彼の枕頭で従兄弟同士は目さえ合わせなかったと伝わっている。近親婚を繰り返した故に近親憎悪も激しいのだろうか?「短気者」の家名どおり、元から激情の血が流れているのか。
この対立の背景ゆえ、ラータンの家系からターター財閥の相続人が選出される可能性は低かった。またドーラーブジーもこのような事態を予測していたのか、財産をチャリタブル・トラストに委託する手続きを取っていた。
しかし、6年を経て代貸しのサクラトワーラーも死去した1938年、ターター財閥の後継者問題が再燃する。サクラトワーラーの時代にはターター財閥は下降線を辿っていた。世界経済全体が世界恐慌で不況だったためもあるにせよ、強力なリーダーシップを発揮する総帥の不在も響いたらしい。ここで後継者として浮上したのこそ、ラータンとフランス人妻の間の息子ジャハーンギールだった。
その③に続く
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