伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

笑顔で

2008年07月21日 | Weblog
すこし湿っぽい感じがしますが、涼しい朝です。
今日は「海の日」なんですね。
私の住んでいるところは、わりと海に近い(近い海で車で20分ほど)
のですが、この時期海には行くことはありません。
栃木・群馬ナンバーの車はこの時期多いですね。
身近にあると妙に安心して、ありがたみが湧かないのかもしれません。

家族もそうなのかもしれません。日常無事に過ごせていることが当たり前に
感じてしまうと、それがどれほど素晴らしいことか気づくことはできません。

人は失ったときに、失ったものの価値がわかるといいますが、本当にそうだとおもいます。
家族の笑顔、子どもと手をつないだ時に感じる小さな手のひらのやわらかな感触…、
日常の当たり前の出来事が、実はとてもかけがえのない物であると気づくと、一日一日がとても貴重なものだとわかります。

日々いろんなことがあります。いいことより、思い通りにいかなくて思い悩んだり、苦しいことの方が多いかもしれません。
でも、家族の笑顔さえあれば、心は満たされます。

笑顔でいられるようにするにも、努力は必要ですが、本当に大切なものって、家族の笑顔なんだとおもいます。
どんな時でも笑顔でいられるようにするのも親の務めでもあります。

今日一日皆さんにおいても笑顔の一日でありますようにお祈り申し上げます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。


共感共苦

2008年07月20日 | Weblog
涼しい朝です。昨日の午後からいい風が吹いていましたが、
梅雨明けしたんですね。夏本番です。

日々いろんなことがあります。一日のうちにおもいっきり笑っちゃうときがあれば、人生の試練を垣間見て祈る思いもしたりとか…。
同じ一日のなかにさまざまな人生に触れ、“生きる”ということのいろんな面を見た思いが昨日はしました。

コンパッション=共感共苦 (相手の苦しみを実体験はできませんが、その苦しみ
を予想し、相手の立場を理解する努力…という意味だったとおもいます。)

以前読んだ本に載っていたのですが(プリーモ・レーヴィかフランクルか?)
相手の苦しみを理解する気持ちを持つことが出来ない人にはその人を救うことはできないし、現代において共感共苦は最も必要で最もたりないものである、という内容だったと思います。佛教でいう“慈悲”そのものであるとおもいます。

単に感情に流されず、落ち着いて相手の立場を理解する気持ちをいつも持てるようにしていたいと考えさせられた一日でした。


自分が先を行く

2008年07月19日 | Weblog
朝から蒸し暑さを感じます。昼間は厳しい暑さが予想されますね。
水分しっかり補給しましょう。

夏休みにはいりました。40日間のロングバケーション、もし私にも与えられたら
…、そんな贅沢は申しません、二日、一日でも感激です。
学生のときは有り余る時間を無駄に過ごすばかりでしたが、
今は対極の状態です。時間と仕事に支配・指示されているように感じる時があります。
そう感じること自体がすでに敗者感覚ですよね。自分が支配・指示する
気持ちに変えなくては充実感にはほど遠いですもんね。
自分が先を行く感覚で毎日を歩んでいくようにイメージをします。
このブログを書きながらなんか頭に血液が巡り始めたような気になりました。
これって自己暗示なんですかね。このままの感覚で今日はいきたいです。
すべては意識次第、とらえ方次第です。

“悟りとは意識・見方を変えること”
と以前、何かの佛教書で読んだことがあります。
そうかもしれません。日常のなかでいつもと違う見方をすれば、全く違った時間・景色が現れるかもしれません。
自分次第です。この夏のテーマにします。
まず第一に、部屋の片づけをして、視覚的にきもちいい景色にすることにします。
そこからですかね。今日も一日がんばりましょう!


明日から夏休み

2008年07月18日 | Weblog
朝から湿気が気になります。動くとじっとりという感じですね。

とうとう小中学校は今日で学校は終わり、明日から夏休みです。
昨日は下校の立哨パトロールでしたが、たくさんの荷物をかかえた子供たちが
午後のジリジリとする強い日差しの中、ぐったりとした様子で歩いていました。
見守りコース最後の子どもと一緒に歩きましたが、確かに荷物は重かったです。
あの暑さの中、子供にはこたえる重さでしょう。
自分も小学校の時は同じようだったのかな、と思ってしまいました。

自分のころは下校イコール道草でした。帰る方向が途中でそれるのは当たり前でした。
ランドセルを家に置いてから遊びに行ったところも、今の子供たちには言えないような危険な場所だったり、
河原だったり、真下の川が覗けるような鉄橋を一列になって度胸試しで渡ったりとか、
今じゃ出来ないような遊びをしていたような気がします。
やりたい放題だったんですかね。そのかわり、怪我もよくしました。二回ほど縫うほどのこともありました。
親にも心配をかけてしまいました。親の立場になると、よ~くわかりますね。

しかし、子供の頃大切なのは遊びの中でいろんな経験をすることかもしれません。
よく、知らないおじさん、おばさんに注意もされました。今思うと注意されて当たり前のことをしていました。
でもその時は手を止めますが、本当には理解できていませんでしたが。
その時はわからなくても、時間がたってから理解できることってたくさんあります。
それでもいいんですよね。時間がたってから“ありがたい”と感じることができれば…。
注意をしてくれた人の名前も顔も思い出せませんが、今は声をかけてもらい感謝しています。
あの頃のおじさんやおばさんのようになれたらな、と思います。

明日から夏休みになる子ども達にもいろんな経験を積んでもらえたらいいですし、そして大人に感謝の気持ちをいつかもてるような、そんないい夏になるといいですね。大人も知らんぷりせず、ちゃんと見てあげましょう。



健康が最高

2008年07月17日 | Weblog
日差しがないのでまだ大丈夫ですが、日中は暑くなるようですね。
水分をこまめに補給しましょう。
そろそろ疲れがたまってきたのか、朝起きるのがつらく、昼間は突然の睡魔と闘っております。
1000基以上の卒塔婆を書きあげる作業もやっと先が見え始めてきました。
体調管理をしっかりして、8月に臨まなくてはいけませんね。
相変わらず、腹筋を鍛えているのは続けていますが、やはり有酸素運動が抜けていますので、
どうにかこちらを優先させるように日中に組み入れたいところです。

“最高の利益は健康である”という『法句経』の一節は以前も紹介しましたが、
今こそこの意味を深く理解しなくてはいけない状態にいます。
そのためには無益な行いをつつしんで、自分をしっかり管理しなくてはいけませんね。
自分を救えるのは自分しかいないと佛教でもいいます。暑さもまだこれから先が本番!
ブログを読んでくださっている皆さんも体調管理に気をつけて、最高の利益である健康を維持していきましょう。

一期一会2

2008年07月16日 | Weblog
湿っぽい空気です。風がないのでこのままですと、昼間は
むし暑いでしょうね。

昨日は昼間暑かったですね。先週に引き続き昨日も講話をたのまれ、
地元の会社で社員さん50人ほどの前で一時間お話をしてきました。
先週とはガラリと変わり、20代30代の若い女性が中心でしたので
(先週は50~70代の女性)、先週の話題は不可となり、急きょ別の
内容で話すことになりました。毎回そうですが、わたくしの場合、聞く人を確認してからでないと
話題が決まりません。ここが難しいところなんですよね。
今回は会社の年一回の総会みたいなものだそうで、その最後が講話ということでした。
会社ですから、くだけた雰囲気はなく、社員の皆さんまじめに聞く体制でしたので、
こちらも前回の笑いにつつまれた雰囲気のようには話せませんでしたが、
その分内容で惹きつけるように一時間頭の中フル回転で話をさてもらいました。
やっぱり話すということはむつかしいですね。当たり前なんですが、毎回雰囲気がちがうので話し方も
変えなくてはいけなくなっちゃいます。

“一期一会(いちごいちえ)”…一生に一度会うこと。また、一生に一度限りであること。

講話のときは特にそう感じますが、日常のあらゆる出来事も一期一会の繰り返しです。
それは家族の中でも、身近な人との中でも、二度とめぐってこない瞬間瞬間の連続が生きていること、生活していることなんです。
昨日も話しましたが、「試練とは思いもかけない時に降りかかってくるもの、ですからどんな時でも“覚悟”の気持ちを心のなかに置いていてください。」
覚悟という気持ちが再びめぐることのない時間をとらえ、一期一会を感じることにつながると思います。
自分で言っていながら、自分に言い聞かせていますが、今日という一日も一期一会。
覚悟の気持ちをそっと胸に秘めていい一日にしたいです。





二度とめぐっては来ません

2008年07月15日 | Weblog
朝はさわやかな風が吹いています。昼間もこんな感じだといいんですが。
こんな日はどこかに行きたくなります。

只今、増改築中の客殿といわれる建物で作業中の大工さんとともに片隅で
お盆の卒塔婆(150cmの板状)をもくもくと書きあげていますが、夕方そこに次女・三女が
何故かわざわざ宿題を持ってきて勉強をしはじめました。
普段、子どもがいない空間にちょこんと小さくまるまって勉強をしはじめたので、
作業場の雰囲気がガラっとかわっちゃいました。微笑ましいというか、なんというか…。
子ども達にとっては何か楽しいのでしょう。やっぱり子どもはいつも楽しみを生活の中で見つけるのが上手いです。
そうでなくてはいけません。楽しみを求めることが、子どものエネルギーそのものです。
大人においてもその場その場をチャレンジするように、充実感につながるように仕事をする、生きること、が必要なことでしょう。
楽しみ、充実感を無くして生きているとは言えません。

今日一日が始まります。マンネリの一日と感じて過ごすのか、平成20年7月15日という二度とめぐってこない一日として充実感をもとめて一日を過ごすのか、意識次第です。はっきりいって自分に言い聞かせていますが、前向きな意識で今日一日を味わいたいとおもいます。皆さん一緒にどうですか!

本堂に感謝

2008年07月14日 | Weblog
湿気のせいか玄関から出た瞬間、「モワッ」とするような空気を感じました。
むしむしする一日かもしれませんね。

昨日は午後から私どもの寺の年間行事である、チャリティーコンサートの実行委員会が開かれ、
いつも寺のイベントを支えてくれる近所のお父さん、お母さん、お檀家さんが集まりました。
いつもとは違い、風通しのいい本堂で会議をしました。
本堂っていいですね~。普段は法要が主ですが、5年ほど前から様々なイベントに本堂を使わせてもらってます。

フルートと琴の演奏、ハンガリーから来てくれた人形劇(すべて一人で)、クラッシックギターコンサート、、ピアノ・フルート・オーボエのコンサート、ジャズビッグバンド(3回)、タイ舞踊、落語、シンガーソングライターのソロコンサートなどなど、いろいろやらせてもらいました。
どんなことをやっても、本堂の雰囲気にピッタリ合っちゃうんですよね。
逆に本堂が合わせてくれているようにも感じます。「人が好きな本堂」って見えちゃう時があります。
たくさんのひとが楽しんでいるのがうれしいように思えます。
本堂って、なんともいえない空間を作ってくれるんですよ。あたたかいんですよね。

そんな本堂で会議も、もりあがりました。また、いいイベントが出来上がりそうに思えます。
人と人を結んでくれる本堂に本当に感謝の気持ちで一杯です。
こんなに自由に使わせていただきありがとうございます。
たくさんの人にも、本堂にもよろこんでもらえるように、いいチャリティーコンサートにしていこうと思います。10月4日開催まで頑張ります。


“知足”2

2008年07月13日 | Weblog
朝はまだ涼しくてきもちいいですね。今日も30度位いくみたいですね。

我が家の番犬には試練の季節です。普段着が毛皮ですから、予想してもつらいのはわかります。
どんな生き物でも試練の時期はありますよね。暑い時期、寒い時期、雨季、乾季…。
餌もなく、力のないものは息絶えてしまいます。人間は衣服や家屋・冷暖房、冷蔵庫などがありますから、
調節したり、貯蔵したりして気候環境から自分たちを守ることができます。
しかし、快適性や嗜好を限りなく叶えるため、地球の気候まで変化させてしまいました。
先日もブログに載せましたが、“知足(ちそく)”…(足ることを知る。満足していること。わずかなもので満足し、
分に安〔やす〕んじて、欲張らないこと。)の意識がぬけていたからでしょう。
身近な我が家の番犬がこれからの本格的な暑さのなか「ハア ハア」と大変そうにしている姿をみるたびに、
人間のわがままが他の生き物を苦しめているんだと感じることでしょう。
今からでもどうにかしなくちゃいけないんですよね。
怠らず、やれることはやりましょう!すべての生き物のため。

汗をかいた分…

2008年07月12日 | Weblog
今日も暑くなる予感のする朝です。昨日も暑かったですね。
我が家でも“初せみ”というか、蝉が鳴きました。真夏を感じさせます。

昨日は午前中、水戸の公民館で講話を頼まれ、1時間30分ほど話をしてきました。
毎回そうですが、聞く相手の反応を見ながら話を進めていくので、頭の中の
検索エンジンは常時フル回転です。今回の聴衆はさすがに希望者ということで、
熱心に聞いてもらいました。昨年ある高校の体育館で1学年(320人ほど)を対象に
話をした時は大変でした。べつに希望して聞きに来たわけではないので、おもしろいはなしの時はこちらに注目しますが、
ちょっとまじめっぽい話のときはすぐ居眠り状態になっちゃいます。ま~自分も学生の時はそうでしたから、気持はわかりますが…。
とにかく相手に理解してもらえるように話をするというのは見た目以上に大変です。

お釈迦様は教えを説く際、相手に一番理解しやすいように、説く相手に合わせてお話をしました。『対機説法』といいます。
相手の素質に適した教えを説く、というのは大変むつかしいことです。
頂上に行くのにまっすぐの道を教えても体力があればいける人もいますし、つづら折りの道を教えなければ頂上まで行けない人もいます。
人によって道は様々です。そのたびにいろんな道を教えるのですから、教えを本当理解しているお釈迦様にしかできません。
私はまだまだ修行の足りない坊主ですが、理解してもらえるように話すということは、自分自身にとって一番勉強になります。
こちらのほうがさらに教えに近づくことが出来ます。

公民館のホールは時間とともに熱気を帯び、室内温度は上昇して最後はびっしょり汗をかきましたが、汗をかいた分私も勉強させていただきました。
呼んでいただけることに感謝です。来週は地元の会社で社員の皆様の前で講話があります。また汗をかいて勉強させてもらいます。感謝。