「はい、どうぞ」
そう言って、小さな硝子のテーブルにコーヒーカップを置く。
「ありがとう」
彼女は礼の言葉をくれながら、持ち帰ったケーキを箱から取り出した。
フォークを置いた皿を彼女に渡すと、持っていたケーキをそこに置く。
「紺野さんはザッハトルテが好きなんですか」
「うん。苦めのチョコが好きだから」
出された皿を受け取りながら答えると、「私もチョコはビターの方が好きです」と言った。
「冷めないうちに飲んで」
さりげなくコーヒーを勧める。
結構好きなコーヒー。大したものじゃないが、それでも豆を引きメーカーで落とす。
香りと一緒に温もりと味を堪能する。
そんな感じが好きで、近くサイフォンを買おうかと考えているくらい。なのに彼女ときたら、全っ然、口をつけない。否、それどころか、手を出すこともしない。
緊張しているのだろうか、とも思ったが、それは違うようだ。何故なら、彼女の選んだレアチーズは半分の形になっているから。
もしかしてコーヒー嫌いか!?
以前もあった。コーヒーの押し売りのようだと言われて振られたっけ。
「コーヒー、嫌い?」
前回のことが脳裏を掠めると、自然に口から言葉が出てきた。
きょとんと俺を見る彼女。
あれ。何か変なこと、言ったかな。
俯いてしまった彼女は、何も言わなかった。
ま、仕方ない。
人には嗜好がある。
全く同じ嗜好の人間などいる筈もない。
ただ少し… いや、かなりがっかりしているのも事実だ。
どんな嗜好の違いがあっても、基本的につきあったりすることは可能だろう。
でもコーヒー嫌いの人間とだけは、つきあえない。
専門店へ行く。すると絶対、具合が悪くなると言われるからだ。
今では、どんな好い女でもコーヒー嫌いの人間だけは遠慮するようにしている。
ただ今回は、かなり落ち込みそうだ。こんなに気になる女に会ったの、久し振りだったから。
「…野さん!?」
どのくらい、経っていたのだろう。
彼女が顔を覗き込んでいる。
「あ。ごめん。何か出すよ。といっても野菜ジュースくらいしかないけど」
言いながら立ち上がろうとすると、彼女の手が俺の左手に重ねられた。
何だろう。
暖かくて、優しくて、それでいて悩ましい。
「あ。ごめんなさい」
俺の視線を辿り、彼女が慌てて手を引いた。
あ~、勿体無い。
「あの…」
相変わらず下を向いたまま、彼女は言葉を繋ぐ。
「何?」
「コーヒー」
「うん」
「嫌いじゃないです」
はっとした。どうやら気を使わせてしまったようだ。
「気にしなくていいよ」
「ホントに!」
身を乗り出すようにした彼女と、視線が絡む。
「好きなんです。ただ…」
何か言おうかと思った。けれど、そのまま言葉を待った。
「極度の猫舌なんです」
俺、結構もてるし、女の子に困ったことなくて色んな女の子知ってるけど、もしかしてコイツ最強かも。
近づいたままの距離にある、彼女の顎に指をかける。
近づいて近づいて、そして。
「キスしてもいい?」
と聞く。返事を聞く前にしてたけど。
俺からすれば、すっかり冷めきったコーヒーを「美味しい」と飲み干した彼女は、キス一つしただけで帰ると言った。
俺、きっとコイツと結婚する。
ふと、そんな予感がした。
帰り道。
見上げると真っ青な空に真っ白な雲が流れていく。
「あれ。ポケモンみたい」
隣を見ると、同じように彼女が雲を見ていた。
「ポケモン!?」
すると、彼女の顔は火がついているように真っ赤になった。
「ごめんなさい。年の離れた弟がいるんです。雲を見る時はいつも気にしてるから」
何だか、必死に言い訳してる姿も可愛い。
「弥子。またな」
駅のホームでの別れ際。
まだ明るい日差しのなかで真っ赤になっている彼女の唇に、そっとキスを落としてみた。
【了】
著作:紫草
そう言って、小さな硝子のテーブルにコーヒーカップを置く。
「ありがとう」
彼女は礼の言葉をくれながら、持ち帰ったケーキを箱から取り出した。
フォークを置いた皿を彼女に渡すと、持っていたケーキをそこに置く。
「紺野さんはザッハトルテが好きなんですか」
「うん。苦めのチョコが好きだから」
出された皿を受け取りながら答えると、「私もチョコはビターの方が好きです」と言った。
「冷めないうちに飲んで」
さりげなくコーヒーを勧める。
結構好きなコーヒー。大したものじゃないが、それでも豆を引きメーカーで落とす。
香りと一緒に温もりと味を堪能する。
そんな感じが好きで、近くサイフォンを買おうかと考えているくらい。なのに彼女ときたら、全っ然、口をつけない。否、それどころか、手を出すこともしない。
緊張しているのだろうか、とも思ったが、それは違うようだ。何故なら、彼女の選んだレアチーズは半分の形になっているから。
もしかしてコーヒー嫌いか!?
以前もあった。コーヒーの押し売りのようだと言われて振られたっけ。
「コーヒー、嫌い?」
前回のことが脳裏を掠めると、自然に口から言葉が出てきた。
きょとんと俺を見る彼女。
あれ。何か変なこと、言ったかな。
俯いてしまった彼女は、何も言わなかった。
ま、仕方ない。
人には嗜好がある。
全く同じ嗜好の人間などいる筈もない。
ただ少し… いや、かなりがっかりしているのも事実だ。
どんな嗜好の違いがあっても、基本的につきあったりすることは可能だろう。
でもコーヒー嫌いの人間とだけは、つきあえない。
専門店へ行く。すると絶対、具合が悪くなると言われるからだ。
今では、どんな好い女でもコーヒー嫌いの人間だけは遠慮するようにしている。
ただ今回は、かなり落ち込みそうだ。こんなに気になる女に会ったの、久し振りだったから。
「…野さん!?」
どのくらい、経っていたのだろう。
彼女が顔を覗き込んでいる。
「あ。ごめん。何か出すよ。といっても野菜ジュースくらいしかないけど」
言いながら立ち上がろうとすると、彼女の手が俺の左手に重ねられた。
何だろう。
暖かくて、優しくて、それでいて悩ましい。
「あ。ごめんなさい」
俺の視線を辿り、彼女が慌てて手を引いた。
あ~、勿体無い。
「あの…」
相変わらず下を向いたまま、彼女は言葉を繋ぐ。
「何?」
「コーヒー」
「うん」
「嫌いじゃないです」
はっとした。どうやら気を使わせてしまったようだ。
「気にしなくていいよ」
「ホントに!」
身を乗り出すようにした彼女と、視線が絡む。
「好きなんです。ただ…」
何か言おうかと思った。けれど、そのまま言葉を待った。
「極度の猫舌なんです」
俺、結構もてるし、女の子に困ったことなくて色んな女の子知ってるけど、もしかしてコイツ最強かも。
近づいたままの距離にある、彼女の顎に指をかける。
近づいて近づいて、そして。
「キスしてもいい?」
と聞く。返事を聞く前にしてたけど。
俺からすれば、すっかり冷めきったコーヒーを「美味しい」と飲み干した彼女は、キス一つしただけで帰ると言った。
俺、きっとコイツと結婚する。
ふと、そんな予感がした。
帰り道。
見上げると真っ青な空に真っ白な雲が流れていく。
「あれ。ポケモンみたい」
隣を見ると、同じように彼女が雲を見ていた。
「ポケモン!?」
すると、彼女の顔は火がついているように真っ赤になった。
「ごめんなさい。年の離れた弟がいるんです。雲を見る時はいつも気にしてるから」
何だか、必死に言い訳してる姿も可愛い。
「弥子。またな」
駅のホームでの別れ際。
まだ明るい日差しのなかで真っ赤になっている彼女の唇に、そっとキスを落としてみた。
【了】
著作:紫草