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その弐拾弐
「本土へ運ぼう。ここでは無理だ」
『まあちゃんが転んで血流してる』
と診療所に飛び込んできた弟の拓司に話を聞くと、下校途中、ふざけていた所で石段を踏み外し真っ逆さまに落ちたという。
当初は話もしたらしいが、水帆が着いた時には意識レベルといえる反応はなかった。
「お母さんを呼びに行ったか」
拓司に尋ねると、即座に頷いた。
しかし待っている時間はない。緊急ヘリの要請が必要だった。輸血用のストックなどないのだ。一刻を争う状況のなか、真孝の両親が駆けつけ事情を説明する。
ヘリが到着するまでの四十分。途方もなく長く感じられた。小学校の校庭に着陸地点を決め、遊んでいた子供たちには避難をさせる。時間を逆算して真孝を運ぶ。
他県にはドクターヘリという医師、看護師が同乗するヘリがあるらしいが、ここではそうはいかない。
葛城は数日留守になるかもしれないと気になる所に電話を入れた。皆、大丈夫だということで薬を届けることもなく、真孝に付き添った。応急処置にもならない措置だけを施しヘリを待った。
幸いにも天候に恵まれ、予定時刻よりも早く病院に到着する。
そこで真孝の緊急手術が行われ、心臓が止まることもなかった為、頭部の怪我ではあったが多分大丈夫だろうとのこと。ICUでの経過観察は運び込んだ病院に任せ、葛城は島へ戻ることにする。
船で駆けつけてきた両親と拓司も来たし、一安心だ。
久しぶりの本土だ。
不思議なものだが、戦争を全く知らない世代でも本州を本土と呼ぶ。中には県名を言うものもいるが、多くは違う。
どうせ定期便はない。呑んでいくか。島に居ると、いつ急患があるか分からないので殆んど呑むことはない。
小さな居酒屋の暖簾をくぐる。
カウンターの一番手前にいた男をちらりと認めた刹那、彼は椅子から立ち上がる。その拍子に椅子が倒れ、半分ほど残っていたビールごとコップが床に落ち割れた。
「大丈夫ですか」
思わず、そう声をかけてしまったくらい、男は自分を見て驚いている。とても酔っぱらって椅子から落ちるような人には見えない。
しかし、こんな男を水帆は知らなかった。
「葛城、水帆」
途端、その男からその名が漏れた。
「お前、誰だ」
今では身内と真帆以外知る者のない、その名を何故この男が知っている。
男を立たせると、話を聞きたいからと強引に外へと連れ出した――。
To be continued. 著作:紫 草
HP【孤悲物語り】内 『溺れゆく』表紙