『君戀しやと、呟けど。。。』

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『風雪』11 隆一

2014-11-21 00:00:14 | 小説『風雪』
第11章 隆一


 長い長い時間の中で、自分に暖かな幸せを運んでくれたのは、庭先に置かれていた小さな段ボールに入った赤ん坊だった。
 職業が刑事という不規則な生活をしていたせいか。矢谷隆一は結婚はしたものの八年もの間、子供に恵まれずにいた。妻の聡子は年上だったため、自分の子供は諦めていると言うようになっていた頃だった。すでに四十近くなっていた。だからこそ、その赤ん坊を自分で育てたいと言い出したのだろう。
 戦後の動乱を過ぎ、知り合いをどんどん亡くしていった彼女にとって家庭を持つだけでもすごく恵まれていると言うような人だ。自分の仕事は相変わらずだろうし、生さぬ仲の子を殆んど一人で育てることになるかもしれないぞと釘を刺した。それでも彼女の意思は固く、施設に行ってしまうくらいなら引き取ると言って聞かなかった。

 しかし分からないものだ。慰められたのは、完全に自分の方だった。
 聡子が一所懸命躾けているというのに、やれ玩具だ土産の寿司だと買って帰っては夜遅くに起こしてしまい怒られていた。可愛くて仕方がなかった。名前を莉一にしたことも自分の名をどこかに響かせ、たった一言でもいいから声を聞きたいと思ってしまう。
 仕事がら、血のつながりを起因とした事件も多い。また逆に血のつながりがないが為の事件も多かった。面白いものだと思う。男の子だったからか、ふとした時に零す言葉がそっくりなのだ。まだ小さな子供だったし、莉一の前でそんな愚痴を聞かせることなどなかったのに。
 そんな瞬間に、家庭とは何ていいものなのだろうと心底感じるようになっていった。

 その莉一も警察という場所を職業に選んだ。警察官ではなく事務屋になったが。単純に他に仕事を思い浮かばなかっただけだと言うが、簡単になれるものではない。それも嬉しくて仕方がない。男としては少し不器用な男に育っているなと思うと、何だか面白かった。
 いつだったか。好きな女はいないのかと聞くと、子を捨てるような親の血が怖いから女性は苦手だと話した。彼に全てがバレたのは高校受験の戸籍抄本を見た時だ。昔は必要な書類だった。いつかは話さなければならないと覚悟を決めていたが、まさか中学生で告白することになるとは思わなかったので心の準備もないまま正直にありのままを話す。しかし莉一は変わらなかった。心情はきっと穏やかではなかっただろう。それを十五歳で乗り越えてしまうくらい強い男に育っていた。

 そんな男だから結婚は無理だなと聡子と話していた。子供を授かっただけで充分だと話す妻とも、特に結婚を勧めることはなかった。
 どんな話の流れでそんな話になったのか。古い友人から、娘がなかなか嫁ぐという気持ちになってくれなくて困ると聞く。それじゃ、うちと同じだなとそれぞれの子供達の話になった。意外と合いそうじゃないか。酒場の単なる盛り上がりの一つだと思っていた。ところが暫くして、その場にいたもう一人の男から本庄郁代という名を聞かされ、見合いをしてみないかと持ちかけられた。
 そんな酒の席の戯れ言のような言葉だ。莉一にも妻にも伝えていなかった。本人に聞いてみなければ返事はできないと言うと、向こうも二人きりで会いたくないと言うから親同席で小一時間食事をするだけでいいじゃないかと言われた。これが切っ掛けになり、莉一が結婚を考えるようになればそれでいいだろうとも。確かに随分、大人しいお嬢さんという話だった。あの寡黙な莉一を選んでくれるとは思えない。それなら気が楽だなと本人の確認を取り早々に見合いの席に着くことになった。

 朴訥と言えば印象はいいかもしれない。しかし若いお嬢さんには、愛想のない冷たい男というイメージしか残らないような莉一だ。その日も聡子と食材の話をしたり、父親である本庄和史の質問に答えるだけで肝心の郁代とは全く話をしていないように見えた。そろそろ食事も終わる。二人きりにならない約束だから、そこで会食は終わると思った時だった。
『断るのなら今、聞きますよ。遠慮することはありません。どうぞ』
 その言葉にも驚いたが、更に驚いたのは郁代からの返事だった。
『またお逢いできますか』
『勿論』
 その間、数秒。では今日はこの辺で失礼しますと席を立つ莉一に、隆一と聡子は慌ててしまったほどだった――。

 因果はめぐる糸車か。
 二人が結婚し、郁代が数ヶ月後に出産を控えたある日。一本の電話がかかってきた。
『庭先に赤ん坊が置かれている』
 慌てて飛んで行った。
 莉一の時は白い上等なおくるみに包まれ、くれぐれもよろしくというような手紙が添えてあった。そこには隆一が刑事だと知った上で置いてあったのだろうと思わせる様子があった。しかしこの子にはそれがない。高校生が着るようなTシャツに、紙おむつだけという姿。正月明けの冬空にだ。見た瞬間、不憫でならなくなった。
『私が何とかしよう』
 思わず口に出ていた。今さら引き取ることはできないかもしれない。年齢的にも認められないかと思う。それでも何とかしてやりたいと思えるような、澄んだ瞳の赤ん坊だった。
『私が育てちゃ駄目ですか』
 郁代からその言葉が出たのは、きっと莉一が養子だと教えてあるからだろうと思われた。
『苦労を抱えることはない。自分の子のことだけを大事にしなさい』
 聡子も身ごもる郁代に同じようなことを話している。しかし郁代だけでなく莉一も引き取りたいと言い出した。
『自分の生い立ちから、そう思うのは分かるが時期が悪い。今は郁代さんのことを一番に考えてあげることだ』
 すると彼女は泣き出した。どうしたのだと言うと、もう抱いてしまったと。動物だって最初に見たものを親だと思うのにと。妻がまだ目が見えていないのだから気にすることはないと言っても、実の母親に捨てられ、次に抱かれた腕も失ったら、きっと気付くでしょう。人は自分の都合で命を捨てていいのだと、そんな子にはしたくないと言った。
 お腹の子は女の子と分かっている。だからかもしれない。いいお兄ちゃんになってくれるように育てるからと。結局、郁代の気持ちを尊重した。その代わり、絶対に無理はしないことを条件にどちらの家でもいいから助けが欲しい時にはすぐに連絡をすることを約束させる。
 次に手続きの話をして、それが決まったら本庄氏に話すと言う。そんなことは許されない。でも決まる前では取り上げられるかもしれないから、郁代は嫌だと言って聞かなかった。
 母は強いと思う。彼女はもう、この赤ん坊の母なんだと思った。ならば最大限の援助をしようと隆一は心の中で固く誓った――。

 莉玖と名付けられたその赤ん坊が、ふらりと一人でやってきたのは、図らずも高校進学を悩む中学三年の時だった。
 自分が養子だと聞かされたという。皮肉なものだ。莉一は自分と同じ時期に莉玖に出生の秘密を明かすことにしたのか。しかし莉玖はまるで違う話をする。
『実玖が好きなんだ』
 最初は妹が大事だから守っているだけのつもりだったという。でも少しずつ苦しくなっていったらしい。世の中には兄妹で体の関係のある者もいるとTVで見て、自分の秘密を暴かれたような気がした。そして自分は違うと言いきれなくなっていたと言った。
『だから実玖や両親と血のつながりがないって分かって、本当にホッとしたんだ』
 でも、もう一緒にはいられない。自分の目が、どんな想いで実玖を見ているか認識してしまったから。そんな男と女の浅ましさを話しているのに、彼の瞳はどこまでも真摯に語りかけてくる。
「実玖にも教えてやったらいい。二人に血のつながりがないと。そして好きだと教えてやれ』
 そう言った時の莉玖の顔はかなり滑稽だったと思っていいな。喜ぶでもなく、怒るでもなく、勿論泣くでもない。
『実玖なら大丈夫だ。だからちゃんと告白して、それからどうするか決めろ』
 そして、どうしても無理ならここに来ればいいからと言って帰した。

 ちょうど留守にしていた妻に、事の次第を説明する。
『何て子たちなんでしょうね。二人して同じ想いを抱えて苦しんでいたなんて』
 実玖がやってきたのはもう一ヶ月も前になるか。莉玖と同じように、好きの種類が違うと思う。どうしようと相談に来た。
 実玖には、まだ中学生だ。気持ちは変わるものだと話し、今は無理に気持ちを捩じ曲げるように閉じ込めなくてもいいと話した。安心した微笑みを残し帰っていった時のことを思い出す。
 縁のある二人なんでしょうか。そんな妻の言葉に、それを言うなら莉一を引き取ったことが全ての始まりだったのかもしれないと思いを巡らす――。

 その莉玖が実玖を残して消えた。
 消える直前、やはり何事もないようにやってきた。いろいろあることは聞いていたから、一人になりたかったのだろうと無理に聞き出すことをしなかった。その時のことをどれほど後悔したかしれないが。
『実玖を守るよ』
 それだけ残した。
 莉玖はまだ十八の、自身も守られるべき子供だった――。

 三年後、妻は病が見つかると呆気なく逝ってしまった。初めてのやもめ暮らしだ。気が向いたら外出する。祥月命日でも月命日でもなく、好きな時に墓参に出かける。そんなことが日常化していくのかと思っていた頃だ。水桶だけ持ち墓地を歩いていると、墓前に誰かの姿があった。
「莉玖!」
 彼はゆっくりと立ち上がり、振り返った。やはり莉玖だ。
「ごめん。お葬式のこと、何も手伝えなくて」
 彼の開口一番は、やはり莉玖らしい言葉だった。
「そんなことはいい。今、何処にいる」
「言えない。でも時々、ここに来るよ。また偶然会えたらいいね」
 そして、それ以上は何も聞くなという顔をする。

 お前がその顔をするなら、もう何も教えてくれないだろうな。
「分かった。携帯番号だけでいい。教えてくれ」
 今時の若者だ。当然のこととして聞いたが、答えは相変わらず持っていないというものだった。
 浮き世離れには早すぎるぞ。そんな風に戯けて言ってみるが、返事には悲しい気持ちが含まれる。
「買っちゃったら実玖に連絡しちゃいそうだから。ごめんね」
 ならば、聡子の遭わせてくれた偶然に感謝をしよう。飯、行くかという言葉にだけは勿論と答えてくれた。その響きは莉一の口調によく似ていて思わず笑ってしまう。
 再び消えた莉玖が、戻ってきたと聞いたのはこの日から二年後のことだった。偶然は、二度となかった――。

To be continued. 著 作:紫 草 
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