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その拾竜
滝川精一は就職し、日常という時間が五年も経てば、若い頃のことは思い出となっていく。
スキー場で会った彼女。しかし彼女だけは、いつまでも強烈な印象を残したままだった――。
そんな精一に見合い話が舞い込んだ。
会社の上司からの話だった。顔を潰すわけにはいかないため、会うだけという約束で承知した。
ただ、その話自体が相手の女性から持ち込まれたものであり、断ることができない立場にあると知ったのは、見合い前日のことだった。
(結婚なんてするつもりないのに)
そんな精一の本音を聞く者は誰一人としていなかった。
当然だ。彼女は取引先の社長令嬢だった。見初められたのだ。その後は逆玉の見本のような展開になっていった。
ただ精一自身の父親もかなりの実業家として名を馳せていたのに、今回は言いなりのような話になっても異を唱えることはなかった。
最初は努力をしようと思った。
女っ気ゼロの自分には過ぎた話だ。妻となる女性を理解しようとしたし、愛そうとも思った。
そして、ある日、告げられた。
『子どもができた』
と。
浅はかな話だ。
結婚をしたのだ。子どもができても不思議ではない。ところが精一はそのことに全く思いが及ばなかった。
そして次の瞬間、精一の魂はある一つのことに囚われてしまった。
あの時、彼女は妊娠したんじゃないだろうか――。
愛情というのは不思議なものだ。
一瞬前まで確かに在ると信じていた気持ちは、彼女の存在が脳裏をかすめた刹那、跡形もなく消え去った。
心はすでに家庭と呼ばれる場所にはなく、彼女を捜そうと考えている。
子どもが生まれてくる、ということは恰好の理由となった。
妻を実家に帰し、精一自身は彼女を捜した。一枚の写真もなく、名前も知らない女。それでも、どうしても見つけたかった。
そして彼の執念は、精一を彼女の血族へと導いたのだった――。
To be continued. 著作:紫 草
HP【孤悲物語り】内 『溺れゆく』表紙