寒い冬の昼下がり。彼からのメールを知らせる着信音が鳴る。
≪今夜、約束果たせそう。また連絡する≫
ん!? 約束って何だっけ…
私は、そのメールをすっかり記憶の端っこに追いやっていた。再び耳慣れた着信音が鳴ったのは、夜の帳が下がった頃。
≪一時間後、西武石神井駅の改札口出た処で≫
その文を読んで、ううん、読んでいる最中で瞳の奥が熱くなるのが分かる。
もう忘れていると思っていた。戻ってきた日常。以前とは少しだけ変わった距離と覚悟。
「憶えていてくれたんだ…」
私は身支度を調えて、石神井までの路線図を携帯サイトに呼び出した――。
吐き出されてくる乗客、家路を急ぐサラリーマン。その中に、どんなに紛れていようとも目を引いてしまう彼。
それなのに周りにいる男性客は誰一人、彼には気付かない。
「おかえりなさい」
すると彼ははにかみながら、ただいまと囁く。
「透明人間に見える天の羽衣でも、纏っているみたい」
「羽衣って、天女じゃん」
他愛もない話をしながら、腕を組んで街灯の続く道を歩く。
この横顔を一生忘れない、と記憶の奥に大事に刻む。
「一緒に暮らそうか」
!?
その唐突な言葉に、私は咄嗟に反応できなかった。
でも彼は、その後を続けない。
だから、ゆっくり考えて言葉を繋ぐ。
「いつか。そう、いつか、誰も貴方を追わなくなって仕事もできなくなって、そうしたら養ってあげましょう」
何だ、それ!という彼の言葉は、あえて無視する。
「これ以上は望まない。人は無限の欲を求めてしまう生き物だから」
「お前には、それ当てはまらないって分かって言ってる?」
そんなことはない。私だって人間だもん。独占欲くらいあるもん。
「仕事が忙しいって、俺放置されることも多いけど」
言いながら彼が笑う。私も笑う。
「そうね。もし私が笑えなくなったら、そしたら一緒にいて。そのことに気付いて」
組んでいた腕を外され、手を繋がれた。そろそろ有名な公園に着く。桜が咲く頃には、多くの人で賑わう公園。今は静まり返った夜の帳のなかに在る。
「了解。今度は見逃さないから」
そう言った彼の瞳に、私が映る。
近づいてくる鼓動と体温を感じながら、彼の匂いに酔ってしまいそう。
唇に触れた彼の指が、その冷たさを誘う。
ぞくりとした感覚は与えられたものなのか。それとも空から落ちてきた、この粉雪のせいなのか。
もう、どちらでもよくなって、私は静かに瞳を閉じた――。
【終わり】
著作:紫草
≪今夜、約束果たせそう。また連絡する≫
ん!? 約束って何だっけ…
私は、そのメールをすっかり記憶の端っこに追いやっていた。再び耳慣れた着信音が鳴ったのは、夜の帳が下がった頃。
≪一時間後、西武石神井駅の改札口出た処で≫
その文を読んで、ううん、読んでいる最中で瞳の奥が熱くなるのが分かる。
もう忘れていると思っていた。戻ってきた日常。以前とは少しだけ変わった距離と覚悟。
「憶えていてくれたんだ…」
私は身支度を調えて、石神井までの路線図を携帯サイトに呼び出した――。
吐き出されてくる乗客、家路を急ぐサラリーマン。その中に、どんなに紛れていようとも目を引いてしまう彼。
それなのに周りにいる男性客は誰一人、彼には気付かない。
「おかえりなさい」
すると彼ははにかみながら、ただいまと囁く。
「透明人間に見える天の羽衣でも、纏っているみたい」
「羽衣って、天女じゃん」
他愛もない話をしながら、腕を組んで街灯の続く道を歩く。
この横顔を一生忘れない、と記憶の奥に大事に刻む。
「一緒に暮らそうか」
!?
その唐突な言葉に、私は咄嗟に反応できなかった。
でも彼は、その後を続けない。
だから、ゆっくり考えて言葉を繋ぐ。
「いつか。そう、いつか、誰も貴方を追わなくなって仕事もできなくなって、そうしたら養ってあげましょう」
何だ、それ!という彼の言葉は、あえて無視する。
「これ以上は望まない。人は無限の欲を求めてしまう生き物だから」
「お前には、それ当てはまらないって分かって言ってる?」
そんなことはない。私だって人間だもん。独占欲くらいあるもん。
「仕事が忙しいって、俺放置されることも多いけど」
言いながら彼が笑う。私も笑う。
「そうね。もし私が笑えなくなったら、そしたら一緒にいて。そのことに気付いて」
組んでいた腕を外され、手を繋がれた。そろそろ有名な公園に着く。桜が咲く頃には、多くの人で賑わう公園。今は静まり返った夜の帳のなかに在る。
「了解。今度は見逃さないから」
そう言った彼の瞳に、私が映る。
近づいてくる鼓動と体温を感じながら、彼の匂いに酔ってしまいそう。
唇に触れた彼の指が、その冷たさを誘う。
ぞくりとした感覚は与えられたものなのか。それとも空から落ちてきた、この粉雪のせいなのか。
もう、どちらでもよくなって、私は静かに瞳を閉じた――。
【終わり】
著作:紫草